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シンハラ語で話してみよう-1 

SAY IT IN SINHALA.png私がはじめてスリランカに行ったのは1985年4月1日であった。その当時の私は27才。会社に入社して4年目。

言語と言えば、日本語はもちろん1級と自負し、英語はもちろん4級と自負していた。なにせ、中学・高校・大学と英語は相性が悪く、常に赤点であった。私の中学・高校は6年間一貫教育のミッションスクールで日本でも有数の進学校でもあった。

中学の時の赤点のボーダーラインは65点。高校になって、これじゃああんまりにも赤点のレベルが高すぎるだろうと、50点に引き下げられたが、私は常に62点とか48点程度しか取れず、中間テスト、期末テストの後の補習の常連であった。英語の教師はフランス系のカナダ人達であったが、彼らも私の発音の悪さにさじを投げた。

それ以来、語学というのは苦手である。今でも苦手である。家では英語しか喋らない環境にあるが他言語を話すというのは非常に苦痛である。海外に出て、国際結婚までして、足掛け21年経とうとしているが、なぜ、英語なんか話しているか理解しがたい。他言語の修得は大嫌いなのだ。

スリランカに5年ほど赴任し、娘がその間に生まれて、帰国命令が出た。やれやれ、やっと日本だ、もう、ヨメさん以外に英語を喋る必要もない、と安心した。

ところが、

ヨメさんも日本の生活に圧迫感があり、娘の将来の教育も考えなければいけない。私自身は多言語など修得するのはまっぴらなのだが、こと娘に関しては、誰がなんと言おうと日本語を教えるのもまっぴら、とこう思っていたのである。言語は文化を運ぶ。日本語を第一言語としたばかりに、日本化したガキに痛い目を見ている国際結婚仲間を見るにつけ、日本の学校、日本語の教育は絶対娘には受けさせない、とこう誓った。

『美しい日本と私』などウソなんである。というか、『美しい日本と私』を常に考えている文化人ばかりならそうであろうが、ミニスカートにパンツ丸出し(その当時はそういう風俗はなかったがそのかわり引きずるようなロングスカートが流行っていた)、高校生で喫煙しているガキを見るにつけ、日本語を教えたらいくら私が躾ようと、周囲の影響でこうなってしまう可能性があると危惧したのだ。

未だにその考えは変わらない。娘の前の学校の日本人の友人は3才から香港で教育を受け、英語はネイティブ並に出来る。しかし、第一言語は日本語である。14才の時には、既に日本のTV(日本からビデオなどが送られてくる)の影響なのか、日本の雑誌の影響なのか、はたまた日本人の友人の影響なのか、夏休みには処女喪失を目標として、それ以来3年間男あさりに余念がない。朝も顔を洗わず、勉強もせず、日本で言う汚ギャルと化している。グッチもじゃらじゃら持っている。私の頃はそういう女は公衆便所と称したものだが。大学もどうするんだろうね。

と、話がそれた。

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