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スリランカのニュース 2002年1月~12月 

スリランカのニュース 2002年1月~12月分です。
内戦のニュースばかり。イヤになります。

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2002/01/02LTTEのリーダーであるヴェルピライ・プラバーカラン(Velupillai Prabhakran)が、ノルウェーの首相であるクェル・マニェ・ボンデヴィック(Kjell Magne Bondevik)に対し、和平交渉を促進する仲介役として積極的に関わることを要請。
2002/01/02国防大臣が、LTTEの支配地域に対する禁輸措置を緩和すると発表。7年ぶりのこと。
2002/01/04ノルウェー政府副外相であるヴィダル・ヘルゲッセン(Vidar Helgesen)が、LTTEの政治部門のリーダーであるアントン・バラシンハム(Anton Balasingham)と会談。
2002/01/10ノルウェー政府副外相であるヴィダル・ヘルゲッセン(Vidar Helgesen)が、ウィクラマシンハ(Ranil Wickramasinghe)首相、クマーラトゥンガ(Chandrika Bandaranaike Kumaratunga)大統領と会談。
2002/01/11スリランカ政府が、タミル人漁師に課してきた漁業制限を緩和すると発表。より強力なエンジンの船を使い、今よりも沖合いでの漁が可能になる。タミル人はさらなる緩和を要求。
2002/01/20クマーラトゥンガ(Chandrika Bandaranaike Kumaratunga)大統領が、民族紛争を終結させるために重要な決定を行う権限は、内閣政府ではなく大統領の手中にある、と発言。
2002/01/20LTTEが、一方的な停戦をさらに1ヶ月延長すると発表(24日から)。
2002/01/20スリランカ政府が、一方的な停戦をさらに1ヶ月延長すると発表(24日から)。
2002/01/22ノルウェー政府の代表団が、LTTEの政治部門リーダーであるアントン・バラシンハム(Anton Balasingham)と、停戦協定案について協議。
2002/01/24シンハラ人仏教僧の指導者が、ウィクラマシンハ(Ranil Wickramasinghe)首相に対して、LTTEに対する非合法化措置を解除しないよう要請。
2002/01/25LTTEに対する非合法化措置の解除を示唆するスリランカ政府の姿勢に対して、人民連合(People's Alliance, PA)の構成党である人民解放戦線(People's Liberation Front[Janatha Vimukthi Peramuna, JVP])、イーラム人民民主党(Eelam People's Democratic Party, EPDP)、シンハラ人右翼政党である人民統一戦線(People's United Front[Mahajana Eksath Peramuna, MEP])が共同して反対キャンペ-ンを実施する計画。
2002/01/27トリンコマリー(Trincomalee)で、UNF政権の閣僚であるアルムガム・トンダマン(Arumugam Thondaman)が、LTTEと会談。トンダマンは、セイロン労働者会議(Ceylon Workers Congress, CWC)のリーダー。
2002/01/29コロンボで、数百人に及ぶ人民解放戦線(People's Liberation Front[Janatha Vimukthi Peramuna, JVP])の支持者達が、タミル人への自治権付与に抗議するデモを実施。
2002/02/04ワウニヤ(Vavuniya)とトリンコマリー(Trincomalee)を結ぶ道路が再開される。10年ぶりのこと。
2002/02/05クマーラトゥンガ(Chandrika Bandaranaike Kumaratunga)大統領が、「LTTEの停戦は見せかけのものであり、子供兵士の徴兵を行っている」と批判。LTTEはこれを否定。
2002/02/13スリランカ政府が、LTTEの支配地域に対する薬品と医療機器の禁輸措置を解除。
2002/02/15ワウニヤ(Vavuniya)とキリノッチ(Killinochchi)を結ぶ道路(A9)が、再開される。「ジャフナまで開通させる用意がある」とLTTE。
2002/02/18スリランカ政府が、2002年度予算において、防衛費を削減する意向を発表。
2002/02/21ムライティブ(Mullaittivu)沖で、スリランカ政府海軍とLTTEのシー・タイガーの戦闘。政府軍に1名の死者。UNF政府の閣僚であるG・L・ペイリス(G. L. Peiris)は、「和平交渉の妨げにはならない」と発言。この日、スリランカ政府とLTTEの間で、無期限の停戦に合意。
2002/02/22スリランカ政府とLTTEの間で、無期限停戦文書(the Memorandum of Understanding, MOU)に調印。発効は23日から。これに対し、署名に慎重であったクマーラトゥンガ(Chandrika Bandaranaike Kumaratunga)大統領は、これに対して「ショックと当惑を感じる」とコメント。
2002/02/23人民解放戦線(People's Liberation Front[Janatha Vimukthi Peramuna, JVP])が、国会で停戦文書(MOU)に関する討論を開催するよう要求。3月4日に開催されることに。
2002/02/24人民連合(People's Alliance, PA)の平等社会党(Lanka Sama Samaja Party, LSSP)が、クマーラトゥンガ(Chandrika Bandaranaike Kumaratunga)大統領らに対して和平交渉を妨害しないよう要請。
2002/02/27クマーラトゥンガ(Chandrika Bandaranaike Kumaratunga)大統領が、和平交渉の進展を支援すると表明。
2002/03/01クマーラトゥンガ大統領が、停戦文書(the Memorandum of Understanding, MOU)の調印を非難する書簡を、ウィクラマシンハ(Ranil Wickramasinghe)首相に送付。翌日LTTEは、クマーラトゥンガ大統領を非難。
2002/03/08かつてのタミル人武装勢力であった民主人民解放戦線(Democratic People's Liberation Front, DPLF)が、スリランカ政府軍に武器を手渡し、武装解除を実施。
2002/03/08コロンボ近郊で開催されたUNPの集会に、手榴弾が投げ込まれる。5人の市民が死亡し、20人が負傷。
2002/03/18コロンボで、多数のシンハラ人仏教僧を含む1万人以上の人々が、停戦協定の調印に抗議して人民解放戦線(People's Liberation Front[Janatha Vimukthi Peramuna, JVP])のデモに参加。
2002/03/20地方議会(Local Government)選挙が実施される。全222議席中の218議席を国民統一戦線(United National Front, UNF)が制し、人民連合(People's Alliance, PA)を圧倒。和平交渉の進展を評価する、有権者の意向が現れたものとされる。
2002/03/22スリランカ政府が、あらゆる物品に課せられた6.95%の国家安全保障税(National Security Levy)を,6月1日から廃止すると発表。
2002/04/04スリランカ政府が、国内路線の飛行禁止措置を解除。
2002/04/05カルタラ(kalutara)県のベルワラ(Beruwala)で、シンハラ人とムスリム人が衝突。暴動を鎮圧するために、スリランカ警察が発砲し、ムスリム人2人が死亡。夜間外出禁止令。
2002/04/07スリランカ政府が、LTTEに対する非合法化措置を5月1日に解除する予定であることを発表。
2002/04/08キリノッチ(Kilinochchi)とジャフナ(Jaffna)を結ぶ国道9号線(A9)が開通。これで全線が開通。
2002/04/10LTTEのリーダーであるヴェルピライ・プラバーカラン(Velupillai Prabhakran)が、共同記者会見の場に初めて姿を現し、和平プロセスを評価。600人の報道関係者が参加。
2002/04/13ノルウェー政府副外相であるヴィダル・ヘルゲッセン(Vidar Helgesen)が、コロンボに到着。LTTEと会談するため。
2002/04/13LTTEとスリランカ・ムスリム会議(Sri Lanka Muslim Congress, SLMC)が、和平協定に調印。LTTEは、ジャフナ半島からムスリム人10万人近くを追放してきた経緯があり、それゆえに両者の間に交渉が行われることは長らくなかった。LTTEは、追放行為を謝罪し、ジャフナ半島へのムスリム人の帰還を認めた。なお、ムスリム人の多くは、イスラム教化したタミル人のことである。彼らは、政治的にはタミル人ではなくシンハラ人に与してきた。
2002/04/17クマーラトゥンガ(Chandrika Bandaranaike Kumaratunga)大統領が、LTTEに対する非合法化措置の撤廃に反対する姿勢を緩和。国際的な圧力に屈したものと見られる。
2002/04/19ノルウェー副外相であるヴィダル・ヘルゲッセン(Vidar Helgesen)が、LTTEに対する非合法化措置の撤廃に関してクマーラトゥンガ大統領と協議。
2002/04/21アメリカの指導のもと、ジャフナ半島で地雷の撤去作業が開始される。
2002/04/22コロンボで、数百人のシンハラ人仏教僧が、和平交渉に抗議するデモを実施。
2002/04/23コロンボで、人民解放戦線(People's Liberation Front[Janatha Vimukthi Peramuna, JVP])が、和平交渉に抗議するデモを実施。
2002/05/05LTTEが、スリランカ政府海軍が5月2日にタミル民間人の漁船2隻を沈めたことを、停戦協定違反だとして非難。スリランカ政府海軍は、1隻はLTTEのシー・タイガーの船だったと主張。
2002/05/11コロンボで、千人近くのシンハラ人仏教僧が和平交渉に抗議するデモを実施。
2002/05/14シンハラ人の国会議員多数が、アヌラーダプラ(Anuradhapura)のドゥッタガーマニー王(King Duttu Gemunu)の像の前で、LTTEとの和平交渉に抵抗することを決意。ドゥッタガーマニー王は、タミル軍の侵略からシンハラ王国を守った古代の英雄。
2002/05/16コロンボで、5000人近くのシンハラ人がLTTEとの和平交渉に抗議するデモを実施。
2002/05/21スリランカ政府の和平交渉担当書記のバーナード・グナティルケ(Bernard Goonatilake)が、LTTEの政治部門リーダーであるS・P・タミルシェルヴァム(S. P. Thamilchelvam)と初の会談。
2002/05/24スリランカ政府が、憲法改正案を公表。総選挙から1年が経てば国会を解散できるという大統領の権限をなくすことが盛り込まれたもの。
2002/06/03平等社会党(Equal Society Party[Lanka Sama Samaja Party, LSSP])が、クマーラトゥンガ(Chandrika Bandaranaike Kumaratunga)大統領を含め、人民連合(People's Alliance, PA)が人民解放戦線(People's Liberation Front[Janatha Vimukthi Peramuna, JVP])と一体となって和平交渉を妨害している、と非難。
2002/06/03スリランカ政府が、テロ行為防止法(Prevention of Terrorism Act, PTA)にもとづき、北東部地域における漁業活動を制限する措置を発表。国際停戦監視団は、この措置を非難(6日)。
2002/06/05ウィクラマシンハ(Ranil Wickramasinghe)首相が、LTTEに対する非合法化措置を和平交渉が開始される10日前に解除すると発表。タミル民族同盟(Tamil National Alliance, TNA)との会談において。
2002/06/06ジャフナ(Jaffna)で、ジャフナ地方の漁業従事者数百人が漁業制限措置の撤廃を求めてデモ。以後も頻発。
2002/06/12ジャフナ(Jaffna)とバッティカロア(Batticaloa)で、漁業制限措置に抗議するストライキが実施される。
2002/06/19コロンボで、人民解放戦線(People's Liberation Front[Janatha Vimukthi Peramuna, JVP])が、LTTEに対する非合法化措置の解除とタミル人への自決権の付与に反対するデモを実施。
2002/06/27バッティカロア(Batticaloa)県のワライチェナイ(Valaichchenai)で、ムスリム人過激派と思われる集団がタミル人の民間人を襲撃。双方で7人が死亡、50人が負傷。外出禁止令(7月2日解除)。
2002/06/30アムネスティ・インターナショナルが、2週間に及ぶスリランカ訪問を終え帰国。途中、スリランカ政府、LTTEの双方と会談。停戦協定を高く評価。
2002/07/09コロンボで、人民解放戦線(People's Liberation Front[Janatha Vimukthi Peramuna, JVP])の支持者やシンハラ人仏教僧らを含む5000人近くのシンハラ人ナショナリストが、和平交渉に反対するデモを実施。
2002/07/15チェンカラディ(Chenkaladi)とマハ・オヤ(Maha Oya)を結ぶ国道5号線(A5)が開通。7年ぶりのこと。
2002/07/15ロンドンで、ノルウェー副外相であるヴィダル・ヘルゲッセン(Vidar Helgesen)が、LTTEの政治部門のリーダーであるアントン・バラシンハム(Anton Balasingham)と会談。特別アドヴァイザーのエリック・ソルハイム(Erik Solheim)と外務省事務局長のリサ・ゴールド(Lisa Gold)も同席。和平交渉の議題について。
2002/07/17EUの代表団が、LTTEと会談。
2002/07/24アメリカ訪問中のウィクラマシンハ(Ranil Wickramasinghe)首相が、ブッシュ大統領と会談。ブッシュ大統領は、和平交渉の進展を強く要請。
2002/07/25ジャフナ(Jaffna)で、LTTEの支配地域に突入したスリランカ政府軍兵士1人がLTTEの兵士に狙撃され、死亡。LTTEの兵士2人が負傷。双方ともに静観の構え。
2002/07/27ロンドンで、スリランカ政府の閣僚であるミリンダ・モラゴダ(Milinda Moragoda)が、LTTEの政治部門のリーダーであるアントン・バラシンハム(Anton Balasingham)と会談。スリランカ政府とLTTEとの、初の閣僚級レベルの直接会談。
2002/08/06日本のスリランカ大使オオツカセイイチロウが、LTTEの政治部門リーダーであるS・P・タミルシェルヴァム(S. P. Thamilchelvam)と会談。
2002/08/12スリランカ政府が、東部地域の海路をLTTEが利用することを、条件付きで認める。これも、和平交渉再開の条件の1つであった。LTTEは、8月18日に実際に利用。
2002/08/14ノルウェーのオスロで、スリランカ政府代表であるミリンダ・モラゴダ(Milinda Moragoda)とバーナード・グナティルケ(Bernard Gunatilake)が、LTTEの政治部門リーダーであるアントン・バラシンハム(Anton Balasingham)と会談。和平交渉を9月12~17日にタイで開催することに合意。
2002/08/21スリランカ政府が、ウィクラマシンハ(Ranil Wickramasinghe)政権に対する信任投票を29日に実施すると決定。
2002/08/23スリランカ政府とLTTEが、和平交渉の日程を9月16~18日に確定することに合意。
2002/08/25スリランカ政府が、9月6日から1ヶ月間、LTTEに対する非合法化措置を解除すると発表。ただし、和平交渉が決裂した場合には再び非合法化する。
2002/08/29野党の人民連合(People's Alliance, PA)が、ウィクラマシンハ(Ranil Wickramasinghe)政権に対する信任投票の実施の是非を巡り、分裂。延期を申し入れたPAに対して、人民解放戦線(People's Liberation Front[Janatha Vimukthi Peramuna, JVP])が強く抗議。
2002/08/30スリランカ政府が、第19憲法改正案を9月11日に議会に上程することを決定。改正の狙いは、大統領の議会解散権(総選挙から1年たてば議会を解散できるという権限)を抑制すること。
2002/09/01SLFPの集会で、クマーラトゥンガ(Chandrika Bandaranaike Kumaratunga)大統領が、スリランカ政府を「ヴィジョンをもっていない」として批判。
2002/09/03コロンボで、シンハラ人仏教僧らを含む数千人のシンハラ人ナショナリストが、LTTEに対する非合法化措置の解除に抗議するデモを実施。
2002/09/03ウィクラマシンハ(Ranil Wickramasinghe)首相とクマーラトゥンガ(Chandrika Bandaranaike Kumaratunga)大統領が、会談。クマーラトゥンガ大統領は、国民統一戦線(United National Front, UNF)が多数派である限り国会を解散しないことを確約。ウィクラマシンハ首相は、第19憲法改正案の上程を週末まで延期することを約束。
2002/09/03人民連合(People's Alliance, PA)が、第19憲法改正案に反対の意を表明。
2002/09/04スリランカ政府が、「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」に対する非合法化措置を解除(4日0時より)。LTTEは、1998年1月25日に、キャンディの仏歯寺に爆弾テロを実行(16人が死亡)。同月26日に、スリランカ政府はLTTEに対する非合法化措置を発布。他にも、アメリカ、インド、オーストラリア、イギリス、カナダがLTTEを禁止(現在も継続)。野党のスリランカ大統領のチャンドリカ・クマーラトゥンガを含め、非合法化措置の解除に反対する意見も多数あり。
2002/09/06人民連合(People's Alliance, PA)と人民解放戦線(People's Liberation Front[Janatha Vimukthi Peramuna, JVP])が、LTTEに対する非合法化措置の解除に抵抗する意を表明。
2002/09/09コロンボで、数千人の人々が、スリランカ政府の進める和平交渉を支持する平和行進を実施。和平交渉推進派の存在を国際社会に知らしめるために、ウィクラマシンハ(Ranil Wickramasinghe)首相が提唱したもの。
2002/09/12第19憲法改正案が公示される(19日に議会に上程)。
2002/09/16ノルウェー政府の仲介のもと、タイのサタヒップ(Sattahip)海軍基地で、スリランカ政府と「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」の間で、和平交渉の第1ラウンドが開始される。18日までの3日間。
主な合意内容:1.政府軍によって維持されているハイ・セキュリティー・ゾーンへの難民帰還問題を扱う合同委員会(Joint Committee)を設置すること。2.人道的活動および復興に関する活動に携わる、合同作業部会(JointTaskForce)委員会を編成すること。3.援助国に対して、和平プロセスを支援するための人道的活動に対する緊急支援を求めること。
以上の合意は、スリランカ北部・東部地域(LTTEの支配地域)への30万人に及ぶ国内避難民の帰還を促進すること、同地域に埋設されている150万個以上にも及ぶ地雷の除去作業を加速させることなど、内戦により疲弊した地域の復興を促進させるための措置である。なお、上記2における合同作業部会は、スリランカ政府(シンハラ人)、LTTE(タミル人)、ムスリム人の3民族によって構成される模様(ムスリムは、シンハラ、タミルについで、3番目に多い民族)。
LTTE側の交渉担当者アントン・バラシンハム(AntonBalasingham)は、和平交渉終了後の記者会見において、LTTEの交交渉の目的を「地域的自治(regionalautonomyorself-government)の確立」とし、「独立国家(separatestate)の樹立は自治要求が拒絶された場合の最終的な選択肢(thelastresort)である」と発言。さらにタミル・ホ-ムランドについては、「タミル語を話す人々が居住する地域のことだ」と説明。
和平交渉の以後の日程:
第2ラウンド2002年10月31日~11月3日
第3ラウンド2002年12月2日~5日
第4ラウンド2003年1月6日~9日
2002/09/18LTTEの政治部門リーダーであるアントン・バラシンハム(Anton Balasingham)が、「タミル人の自治権確保が聞き入れられず、タミル人への抑圧が続くのであれば、最終手段として独立国家の樹立を目指す」と発言し、タミル・イーラム国の樹立が優先的な目的ではないことを表明。
2002/09/24LTTEが、スリランカ政府海軍がジャフナ沖のデルフト(Delft)島に新しいキャンプを建設していることを、停戦協定違反として非難。
2002/09/28スリランカ政府とLTTEが、戦争捕虜の交換を実施。政府軍兵士6人、LTTE兵士11人の交換。
2002/10/22スリランカ最高裁が、大統領の国会解散権を無効とする憲法改正案(ウィクラマシンハ政権が提出)を違憲と断定し、国民投票の実施を求める。現行憲法の規定では、大統領は、総選挙から1年が経過すればいつでも国会を解散することができる(前回の総選挙は昨年12月5日)。スリランカでは、和平推進派のウィクラマシンハ首相(与党統一国民党)と和平慎重派のクマーラトゥンガ大統領(野党スリランカ自由党)が対立を続けている。そのためウィクラマシンハ首相は、クマーラトゥンガ大統領が12月5日以降に和平交渉を妨害するために国会を解散するのではないか、と危惧している。
2002/10/28日本の外務省が、明石康氏が11月3日から9日にかけてスリランカを訪問すると発表。明石氏は、「スリランカの平和構築および復旧・復興に関する日本政府代表」に就任している。日本政府は、スリランカの復興を支援する国際援助国の会合を東京で開催することを決定している。
2002/10/30コロンボ市内で、シンハラ人とムスリム人の間に暴動が発生し、外出禁止゚が発令される。暴動により1人が死亡、21人が負傷。発端は、ムスリム人が、コロンボ市の中心部にイスラム教育センター(Islamic teaching centre)を建設しようとしていること。シンハラ人は、建設禁止命令を求めて裁判所に提訴していたが、火曜日(29日)に却下された。翌30日に、シンハラ人仏教僧が建設予定地周辺で平和的な抗議活動を行っていたところ、ムスリム人とシンハラ人の暴徒が衝突し、暴動へと発展。現在、スリランカ・ムスリム会議の国会議員(ウィクラマシンハ政権に参加)は、①スリランカの北部州と東部州の永久合併、②ムスリム人による暫定行政機構の設置(和平交渉でLTTEが要求しているのと同様のもの)、③独自の安全保障システムの設立などを、政府に対して要求している。
2002/10/30スリランカ高裁が、1996年にコロンボで発生した爆弾テロへの関与を疑われている、LTTEのリーダーであるヴェルピライ・プラバーカラン(Velupillai Prabhakaran)に対して、200年の懲役刑を求刑。プラバーカランは欠席。
2002/10/31タイのナコン・パトムで、ノルウェー政府の仲介のもと、スリランカ政府と「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」の間で、和平交渉の第2ラウンドが開始される。スリランカ政府代表は、憲法問題担当相のG・L・ペイリス(G.L.Peiris)。LTTE代表は、政治部門リーダーのアントン・バラシンハム(Anton Balasingham)。両交渉団は、コロンボのカトゥナーヤカ国際空港から同じ飛行機に乗って現地入り。
2002/11/24スリランカ首相のラニル・ウィクラマシンハ(RanilWickremesinghe)とLTTEのアントン・バラシンハム(Anton Balasingham)が、オスロにて初めての直接会談。ほぼ12年ぶりに行われた、最高レベルの政治家による会談。
2002/11/25スリランカ支援国会議が、オスロで開催される。会議の目的は、スリランカ経済の再建、および、戦禍により疲弊した東部・北部地域の復興を支援するための資金援助について話し合うこと。参加国は、米、英、豪、日、仏、カナダ、その他EU諸国などの計39ヶ国。以下の2点につき、合意された。
①7000万ドル程度の人道的援助を実施すること、和平交渉に大して政治的支援を行うこと。
②第2回支援国会議を、2003年春に、日本で開催すること。議題は、長期的援助の実施、援助国間の調整。
スリランカ野党の人民連合(People'sAlliance,PA)は、スリランカ政府がLTTEとともにこの会議に参加することに反対。各国が、それをきっかけにしてLTTEに対する非合法化措置の解除に踏み切ることを恐れたため。
インドは、ラディブ・ガンディー首相を暗殺したとされるLTTEと同席することを拒否し、参加せず。
米国は、LTTEをテロ組織に指定していることからLTTEと同席することを拒否し、ウィクラマシンハ首相と個別に会談。
ウィクラマシンハ首相は、会議冒頭のスピーチで、2003年中に和平が達成されるであろう、との見通しを示す。和平成立の時期に言及するのは初めてのこと。
米国のアーミテージ国務副長官は、LTTEに対して、武装闘争を止めること、および平和的手段による紛争解決を認めることを公式に宣言するよう、求める。
2002/11/27LTTEのリーダーであるヴェルピライ・プラバーカラン(Velupillai Prabhakaran)が、ラジオ演説を実施。以下を宣言。①LTTEの運動目的を、独立国家の建設から、LTTEの支配地域であるスリランカ東部・北部地域における自治権の獲得(internal self-determination)に変更する。②ただし、自治権の獲得が妨害された場合には再び独立国家の樹立を求めることになる。
③和平交渉は、期間を定めず、あらゆる問題について話し合うべきである。※①は、オスロ支援国会議でのアーミテージ米国務副長官の発言に対する回答、③は、同じくウィクラマシンハの発言に対する牽制と思われる。スリランカ政府は、この「歴史的な転回」(プラバーカラン)を好意的に受け入れると会見。
2002/12/02ノルウェーのオスロでノルウェー政府の仲介のもと、スリランカ政府と「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」の間で、和平交渉の第3ラウンド。スリランカ政府代表は、憲法問題担当相のガミニ・L・ペイリス(GaminiL.Peiris)。LTTE代表は、政治部門リーダーのアントン・バラシンハム(Anton Balasingham)。タミル人の内的自決(internalself-determination)を連邦制度を採用することを通じて保証し、それによりスリランカ政府とLTTEの間に存在する政治的問題を解決することに両者が合意。これは、LTTEのヴェルピライ・プラバーカラン(Velupillai Prabhakaran)による「LTTEの運動目的を独立国家の建設から自治権の獲得(internal self-determination)に変更する」との宣言(2002.11.27)を受けたもの、といえる。これにより、LTTEが長らく掲げてきた分離独立構想は、公式に撤回されたことになる。また、連邦制以外のもうひとつの選択肢として考えられていた国家連合制(confederation)の採用も、否定されたことになる。今回の会談ではカナダ憲法の専門家による説明が行われている。スリランカに連邦制度を導入するために憲法を改正する際には、カナダのケベック・システムがモデルとして考えられているようである(和平交渉終了後の記者会見において、バラシンハムはそう明言している)。
2002/12/09ラニル・ウィクラマシンハ(RanilWickremesinghe)が率いる国民統一戦線(United National Front,UNF)政府は、憲法改正ではなく新憲法の上程を目指していることを表明。9日に開かれた記者会見でガミニ・L・ペイリス(GaminiL.Peiris。和平交渉)政府側交渉団代表、憲法問題担当相)が発言。
2002/12/13野党第1党のスリランカ自由党(SriLankaFreedomParty:SLFP)が、ラニル・ウィクラマシンハ(Ranil Wickremesinghe)率いる国民統一戦線(UnitedNationalFront,UNF)が進める和平交渉に対し、疑義を表明。・SLFPは、LTTEリーダーのヴェルピライ・プラバーカラン(VelupillaiPrabhakaran)が殉教者の日(Martyr'sday、2002.11.27)に行った演説(と和平交渉第3ラウンドにおける合意文書(2002.12.5)を比較検討し、いくつかの疑問点について回答することをUNFに対して要求。
2002/12/26スリランカ政府軍とLTTEが、ジャフナ半島にタミル人の難民を帰還させるための条件を巡って、深刻な対立関係に。政府軍は、難民帰還の条件として、LTTEが事前に武装解除することを要求(2002.12.20)。ジャフナ方面の司令官である、サラト・フォンセカ(SarathFonseka)大将によるもの。政府軍の基本的なスタンスは、「LTTEの武装解除がなされない限り、ジャフナ半島では政府軍が劣位におかれることになる。それではジャフナ半島の治安を維持できなくなるので、あくまでLTTEの武装解除が必要となる」というもの。LTTEは「受け入れ不可能な非現実的な条件である」として猛烈な批判を展開(2002.12.26)。
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