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サンフランシスコ講和会議とジャヤワルダナ 

1951年9月6日アメリカ合衆国サンフランシスコに於ける対日平和条約の締結と調印のための会議

※このエントリーの引用では「JAYAWARDENA」を「ジャワルデネ」をそのまま使用致しました。私のコメントでは、「ジャヤワルダナ」と致しました。

・・・私は現在、会議で考慮中の条約の最終草案の公式化にまで持って行った出来事について、語る必要はありません。アメリカ代表ダレス氏とイギリス代表ケンネス・ヤンガー氏は、1945年8月の日本の降伏文書協定から始めて、それ等の出来事を詳細に且つ丁寧に我々に示されました。然しながら、次の事柄は述べて置いてもよいと思います。

即ち、本条約の草案を採用すべきであるという手続きに関しては、四大強国の間で探刻な意見の衝突があったことを述べて置いてもよいと思うのです。ソ連は、四大強国だけが、即ちアメリカ、イギリス、中国及びソ連の外相会議だけが、それを引き受けるべきであると主張し、そして若し条約草案作成のために他の国々が加入するのであれば、拒否権を保留されなければならないと主張しました。・・・


by セイロン政府代表団々長J.R.ジャワルデネの演説

1951年(昭和26年)のサンフランシスコ講和会議において、ソ連代表はドイツと同様、日本の分割統治を提唱しておりました。アメリカはその案に反対しておりました。イギリスは、日本の戦争被害に遭い、その当時ほとんどが独立していなかったアジア各国の意見を聞くという案を提唱しました。そこで、サンフランシスコには日本の戦争被害にあった未だ独立していなかったアジアの国々の代表も集まったのです。

今、我々日本人は本州・四国・九州・北海道と周辺の島々を含めた独立国家を当然のように考えています。しかし、1951年当時では現在では当然と思っている事実が極めて危ない瀬戸際に立っていました。ここで、日本を独立した一つの国家とすると、再度軍国主義が台頭し、アジアの脅威になるのではないかと。ソ連などは、米ソ英中の四ヶ国だけで日本分割を決定してしまえと主張していました。

・・・何故アジアの諸国民は、日本は自由であるべきだと切望するのでしょうか。それは我々の日本との永年に亘るかかわり合いの故であり、又アジア諸国民が日本に対して持っていた高い尊敬の故であり、日本がアジア緒国民の中でただ一人強く自由であった時、我々は日本を保護者として又友人として仰いでいた時に、日本に対して抱いていた高い尊敬の為でもあります。

私は、この前の戦争の最中に起きたことですが、アジアの為の共存共栄のスローーガンが今問題となっている諸国民にアピールし、ビルマ、インド、インドネシアの指導者の或人達がそうすることによって自分達が愛している国が開放されるという希望から日本の仲間入りをした、という出来事が思い出されます・・・


by セイロン政府代表団々長J.R.ジャワルデネの演説

また、サンフランシスコ講和会議は、日本の戦争賠償に関しても討議する会議でもありました。この会議でセイロン政府代表のジャワルダナ(元スリランカ大統領で当時外相)が他のアジア諸国に先駆けて、日本のセイロンに対する戦争賠償の放棄を演説してくれなければ、日本の戦争賠償は非常に広範囲に渡ったはずです。

戦前の日本、いや大日本帝国は、昭和8年ぐらいから20年までの十数年間で語られる事が多い。しかし、戦前というのは明治維新から昭和20年までの80年間で語られるべきで、その最後の十数年間だけを突出して語るべきではありません。

その80年間、日本は近隣のアジア諸国に脅威を与え続けただけではなかった。欧米に拮抗し、対抗しうる有色人種の独立国家が存在しうるという驚異も与えたのです。欧米の植民地主義で塗炭の苦しみを味わっていたアジア諸国に独立の希望を与えたのも戦前の日本の姿の一つである事も事実なのです。

・・・「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」はアジアの数え切れないほどの人々の生涯(生活)を高尚にしました。仏陀、大師、仏教の元祖のメッセージこそが、人道の波を南アジア、ビルマ、ラオス、カンボジア、シャム、インドネシアそれからセイロンに伝え、そして又北方へはヒマラヤを通ってチベットへ、支那へそして最後には日本へ伝えました。

これが我々を数百年もの間、共通の文化と伝統でお互いに結びつけたのであります。この共通文化は未だに在続しています。それを私は先週、この会議に出席する途中日本を訪問した際に見付けました。又日本の指導者達から、大臣の方々からも、市井の人々からも、寺院の僧侶からも、日本の普通の人々は今も尚、平和の大師の影の影響のもとにあり、それに従って行こうと願っているのを見いだしました。我々は日本人に機会を与えて上げねばなりません・・・


by セイロン政府代表団々長J.R.ジャワルデネの演説(抜粋)

結局、明治維新以来60年間の営々とした努力は、最後の20年近くの軍部の暴走で無と化しました。いや、無ではなく、負と化しました。

ジャヤワルダナの演説は、理想・希望を述べたもので、現実社会はそれとは全く逆の方向に、単なる憎しみの連鎖の方向に向かい続けています。しかし、ジャヤワルダナの言う「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」を唱え続けなければ、将来この負の連鎖が止む事もありません。理想・希望と片づけずに、日本人はセイロン人から贈られた言葉を肝に銘じる必要があります。

Reference Site : 60年後の反省、インド・パール判事の真意に中に・・・
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