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ヰタ・セクスアリス7 

昭和60年4月1日(月) 0日 27才
1st April 1985(Mon) 0 days 27 years

 僕はエアランカ102便の機上にあった。成田空港からスリランカのカツナヤケ国際空港までの直行便だ。シンガポールで1時間給油のために立ち寄る。飛行時間は12時間だ。

 スリランカというのはどういう国なんだろう?事前に何も調べなかった。プロジェクトの図面を眺めただけだ。紅茶で有名なセイロンという島である以外、僕には無意味な国だ。おき残してきた日本という国も、ある意味では、僕にとっては無意味な国だ。あらゆる国が無意味だ。僕にとっては符号にしか過ぎない。

 僕は成田空港で買った日経新聞を開いた。

「日本電信電話公社(電電公社)が日本電信電話株式会社(NTT)に、 日本専売公社が日本たばこ産業株式会社(JT)に民営化」

 なんなのだろう?電電公社がNTTに、専売公社がJTになった。それがどうしたのだろうか?ある符号が別の符号に変わったに過ぎないのだ。今、乗っているこのUL102便といのも符号だ。この12Cなんて座席番号も符号だ。ボーディングパスに書いてある"FRANK LLOYD, MR"という名前も符号に過ぎない。1週間前に僕は27才になったが年齢だって符号なのだ。

 僕が投げ捨ててきたものすべてが符号と化す。僕の触れたものすべてが符号になる。符号と符号の関連性などないのだ。非記号論理学だ。記号論理学は、言葉を、文字や記号の列で表して、その変換について研究する。非記号論理学は、言葉を、文字や記号の列で表すが、なにも、なににも変換しない、研究すらしない。僕が今まで生きてきた9,827日の人生なんて、非記号論理学そのものだ。

 そして、べつの人間が僕を研究する。これは僕にとっては被記号論理学だ。記号論理に組み込まれてしまう。ヒルベルト空間内に僕は閉じこめられている。完備な内積空間、内積の定義されたベクトル空間。その内積から導かれるノルムによって距離を入れると、距離空間として完備となるような位相ベクトル空間になる。フォン・ノイマンだ。シュワルツの不等式、三角不等式、中線定理。量子力学における状態あるいは固有関数はヒルベルト空間上の正規化されたベクトルだ。

 フランク、西暦なら80年代だが、昭和に直すと60年だ。もう、昭和50年代のバカ騒ぎは終わったのだよ。正気に返らないといけない。堅実に働かなくてはいけない。量子力学も、地球物理学も、心理学も、役に立たない。役に立つのは、四則演算くらいだ。微分も積分も必要ない。騒音計算で、Logが出てくるくらいだ。自然対数すら必要ないのだ。

昭和57年5月14日(金) 1,053日前

 僕は今年技術系の会社に入った。建築会社で、空調というものをやる会社だ。冷暖房設備工事という。普通の人はまったく気付かない部分の仕事をするのだ。僕らの行うことはすべて天井裏に隠れていたり、建物の機械室の中だったりする。建物に入った人間は、そんなものがあるなど想像もしないだろう。だけど、僕らの仕事がうまくいっていないと、建物に冷房も暖房もないわけだ。夏は暑く、冬は寒い。見えないけれども大切な仕事。

 僕は、そういう会社でも研究所があるので、研究所勤務を申し入れた。会社の取締役という人は、「考えておく」と言った。社会に出て、「考えておく」なんて言われたら、それはその内将来のいつかもしかしたら実現するかも知れないはかない可能性である、という意味なんだ、ということに気付くのは数ヶ月経ってからだった。

 社内研修が終わって、配属ということになり、僕を迎えに来たのは、現場所長という人種であった。つまり、いわゆる工事現場の監督というやつだ。僕は、工事現場とやらいうところにやらされて、朝は8時にお茶くみをし、図面を手で書いて(パソコンなどという物はまだ存在していない)、それを酢酸やアンモニアを使った青焼き機(コピーマシンなんてない)で焼いて、作業現場に持っていって、図面通りに配管とかダクト(冷風や温風を通す亜鉛鉄板製の矩形の風洞)が施工されているかどうかを見て回る。職人さんと打ち合わせをする。5時になると、現場所長が酒を飲み出すので、酒の支度をし、現場所長や下請けの親方が賭博をするのを傍目に、図面を書く。たいがいが、午後10時くらいまで残業だ。

 僕は、会社という物は、背広を着て、午前9時から午後5時まで机に座っているとばかり想像していたので、かなりビックリした。しかし、これなら、研究室だって同じだ。いつも、工具を持って、センサーを設置したり、波高計という海面の高さを測定する機械をかついで、日本全国の湖や湾を回ったりしたがそれと似たようなものだ。

 違うのは、大学の研究室では、微分積分、常用対数や自然対数が必要だが、工事現場は必要がない。四則演算なのだ。幅と長さ、高さがわかればよろしいということ。二乗とルートは使う。面積計算があるからだ。それをみんなそろばんや計算尺で計算する。たまに、カシオの計算機を使って計算している人もいる。

 僕は給与が思いの他出たので、ヒューレットパッカードのプログラム計算機を買って、それで計算式をプログラムして、配管やダクトの計算をしていた。

 現場所長の有明さんは、現場で博打をしたり、日曜勤務の時は府中の競馬場に行ってしまったりするのだが、思いの外親切な人だった。もちろん、現場監督だから地下足袋ははいていない。(ゼネコンと呼ばれる建築会社の所長の中には、一部上場企業の社員のくせに地下足袋をはく人もいるのだ)僕らは、靴の先端を鉄板かこってつま先を保護する安全靴というものをはくのだ。

 有明さんは、昨年バングラディッシュという国の建築現場を終えて、日本に帰ってきたばかりだ。だから、英語が多少出来る。バングラディッシュから研修生が日本に来ていて、彼と英語で話しているのを見て、現場ではチンチロリン(湯飲みにサイコロをしれて転がす賭博だ)をやっている姿とはちょっと違うのを見て驚いてしまった。

 有明さんは、バングラディッシュで運転免許証を買ってきて(免許証は外国では買えるのだ。9000円で買ったと言っていた)、日本の免許に書き換えたそうだ。でも、買ってきた免許証なので、運転した経験はない。それで、日本でスバルのポンコツを買って、自宅から時速50キロで日曜日などは現場に来ていた。

 日曜日に僕が帰ろうとすると、有明さんが「フランク、駅まで乗っけていってやる」という。僕は、ありがとうございます、と言ったが、内心怖かった。

 有明さんと僕がスバルに乗り込む。有明さんがエンジンを始動する。クラッチをつなぐ。アクセルを踏み込む。動かない。スバルは振動するのだが動かない。有明さんはおかしいな、おかしいな、と言っている。僕は、どうにも悪い気がしたのだが、「有明さん、ハンドブレーキが。。。」と言った。有明さんはばつの悪そうな顔をして、「おお!そうだな!ハンドブレーキがかかっていては、動かないな」と言った。府中の駅まで行く間は、ちょっと恐ろしかった。有明さんも怖かったに違いない。

 ある日、有明さんが、僕がHPの計算機で計算をしているのを目にとめた。

「フランク、そりゃあ、なんだ?」
「有明所長、ヒューレットパッカードのプログラム計算機ですよ」
「それで何をしている?」
「計算尺よりも正確なので、プログラムして、配管の口径計算とダクトのサイズ計算をしています」
「おまえが作ったのか?」
「プログラムのことですか?ええ、作りましたが」
「レイノルズ数の計算とか面倒だろうに」
「それほどでもないですよ」
「ふ~む、最近は便利な世の中になったな。じゃあ、フランク、それで騒音計算は出来るか?」
「出来ますよ。オクターブバンド毎に測定して、合成するあの計算でしょ?簡単ですよ」
「対数を使うんだぞ」
「簡単ですよ」
「ふ~む、だったら、講堂とスタジオの騒音計算をやってくれるかね?」
「わかりました」

 四則演算以外の計算をするというのは久しぶりだったが、もう足し算引き算には飽きていたので、ちょうど良かった。講堂とスタジオの騒音計算を監修しているのがNHKの技術研究所だった。NHKの担当者は30才前半くらいの技術主任の女性で、名前を小川さんと言った。

 現場に来る時、小川さんは、白衣を着てくる。クレオパトラのような髪型、長身で、TVの司会者の楠田枝里子に似ている。有明さんから指示されたので、小川さんが現場に来て打ち合わせをする相手は僕となった。小川さんは、丁寧に、騒音の測定ポイントを僕と見て回った。

「ロイドくん、ここでは壁に近接しすぎだから、騒音値がうまく測定出来ないわ。もっと座席に近い方がいいようよ。それから、パイプオルガン周辺の測定、これは同時に温湿度も測定しておきたいの。温湿度によってどの程度騒音値が変化するか、ちょっと論文に書きたいのね。これは、私の個人的な論文なんだけど、手伝ってもらえるかしら?」
「問題ないですよ。本社から毛髪温湿度計を持ってきて、連続測定します。僕が、温湿度値を読みとって、お渡し致しますよ」
「わあ、うれしいわ。ところで、ロイドくんは、建築会社の現場の人間にしては詳しいのね?」
「専攻は物理なんですよ」
「ああ、道理でね。どこの大学?」
「理科大です」
「あら、私も理科大よ」
「へぇ~、先輩ですか」
「飯田橋?野田?」

僕の大学は飯田橋と野田にあった。物理科の場合、「飯田橋?野田?」と聞くだけで、理学部か工学部かだいたいわかるのだ。

「飯田橋です」
「あら、一緒ね。私もダバシよ。物理科だから、本当に後輩なのね」
「奇遇ですね」
「本当に奇遇だわ」

 小川さんとは、それから、仕事の話の合間に大学の時のこと、物理の話をするようになった。

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