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ヰタ・セクスアリス6 

28th July, 1979 (Sat) before 2,075 days

 僕は京浜東北線の浜松町駅の改札口にボォ~と立っていた。暑い。それに午後も遅いというのに、駅は人の群れでごった返していた。酔客ではない。竹芝桟橋から、新島・式根島行きのフェリーの乗客の一団なのだ。

 それにしてもすごい人数だ。改札口から続々と竹芝桟橋方面に向けて歩いている。ほとんどが僕と同世代の若者。バックパックを背負っていたり、ボストンバックを持っていたりする。男女同数のグループ。女の子2、3人の集団。男性3人の集団。取り合わせはさまざまだ。

 そういう光景を見ていると、背後から声を掛けられた。

「おい、フランク、待ったかい?」と秀樹がいった。
「いいや、5分前に付いたばかりなんだ」と僕は答えた。
「じゃ、それほど待たなかったな。よぉ~し、まだ乗船時間までには間があるぜ。その間に女の子を調達しておこう」と秀樹はいった。
「おいおい、そういう話か?新島に行くのは泳ぎに行くだけじゃないのか?本当に処女あさりなのかね?」
「バカモン、平凡パンチに書いてあったのは、いまや、新島、式根島は処女の血で海が真っ赤と書いてある。それを実地に見聞しに行くのだよ、フランク!」

 秀樹は大学の同級生だ。たまたま同じ日に美術部に入部して以来、コンビを組んでいる。僕はノンポリだが、秀樹の思想は左翼だ。資本主義が嫌いである。親のすねをかじっていて、資本主義が嫌いも何もないもんだと僕は思うのだけれど、秀樹にいわせると、そういうアンチ階級闘争的考えはいけないそうだ。なるほど。

 秀樹はサーフィンをやっていて、髪の毛が潮焼けしている。茶色に変色していて、ナチュラルで縮れ毛だ。目はクリクリと大きく、口も大きい。体格は僕と同じ、やせ形で、頭が小さく、8等身。格好は、この80年代そのもの。僕も同じ。Tシャツ、長髪、ベルボトムの薄汚いジーンズをいつもはいている。

 秀樹の思想は左翼なのだが、下半身はどうでもいいらしいようだ。僕が見るに、可愛い男の子好きの年増(といっても1才年上)の、パッとしない美術部の知子先輩とつき合っている。やたらと語尾を延ばして、「エ~、ほんとぉ~?」を連発する女性なのだが、どうも童貞を捧げたようで、つかまってしまっている。卒業したら結婚しようね、といわれているようで、オエと思う。そんなに早く決めてしまってどうするんだろうか?

 その秀樹が夏休み前に僕に耳打ちした。

「おい、フランク、新島に行ってみようよ。処女がわんさかいるらしいよ」とこういった。
「秀樹、おまえ、知子がいるだろう?」
「知子は知子。だいたい、知子は処女じゃなかった。やっぱ、処女とはどういうものか、俺は知りたいんだよ」
「あのね、僕の経験では、処女はうるさいだけで良くも何ともないんだよ」
「おまえは処女と経験しているからそういえる。俺は経験していないんだ、処女なんて。ちょっとつき合えよ」
「やれやれ、しょうがないなあ。知子にばれても知らないぞ」
「ばれるもなにも、おまえと俺とで新島に旅行するとだけいっておけばいいじゃないか?」

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 ヒイちゃんの友人の母親は、みんな彼女のことをオチャアチャマと呼んでいた。オチャアチャマの家は、京浜東北線の石川町の駅から元町の方に歩いていって、麦田のトンネル-僕らはこう呼んでいたが、正式には山手トンネルというのだそうだ-の横を坂を上っていった中途にあった。もちろん、今でもあるはずだ。

「・・・フランク、だから私、外出するときは誰かについて行ってもらわないといけないのよ」とオチャアチャマは言う。「だって、切符の買い方がわからないじゃない?」

 もちろんそうだ。麦田のトンネルの横の坂を上ったところに住んでいて、学校だってその坂をさらに上ったところにある女子校の出身だから。結婚前だって、いまの家からあまり離れていないところに実家はある。そういう家の奥さんは電車なんか乗りはしない。関内までショッピングに行くのだって、旦那さんが車で送っていくか、タクシーであろうし、上野の文化会館に行くのだって車だ。かといって、東京などという所にそうそう頻繁にオチャアチャマが出かけるわけはない。誰かがコンサートや展覧会に誘わない限り、彼女は横浜を、中区を離れないだろう。

 幼稚園、小学校、中学校、高校から大学まで一貫校などという学校組織を卒業した女性はみんなこのようになるか、道を踏み外すかどちらかだ。間違っても、ごくごく普通の家庭に収まるわけではない。絵美の母親もオチャアチャマと同じ道を歩んでいるらしい。

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23rd March, 1979 (Fri) before 2,202 days

「家に来る?」と絵美がいう。「何もないけど母がいるわ」とまるで、上野動物園のパンダを見に来いというように彼女がいった。
「何もないけど母がいるわ、といういい方、何か特別なのだろうか?」と僕がきくと、
「そうじゃないけど、私の母は見応えがあるのよ」と絵美がいう。
「いいよ、喜んでお邪魔させてもらいます」と僕。
「じゃあ、こんどの日曜日はどう?」
「オーケー、午前?午後?」
「午前中から夕方まであけておいて」
「了解」

 絵美のお母さんはにっこり笑って迎えてくれた。白のタートルネックのセーターにカシミアの上着を羽織っていた。

 ほとんどの母親というのは、娘の男友達を品定めするものだ。品定めで言葉が直なら、面接である。にこやかに微笑むけれども、服装、髪型、ちゃんと風呂に入っているかどうか匂いと、それから、挨拶、姿勢、態度とそれこそ無数のチェックポイントを複雑なオリエンテーションをこなすように通過しなければいけない。

 その点、僕はそのようなオリエンテーションに慣れている。

 幸いにして、それらのチェックポイントは合格したようだ。僕はといえば、爪は習慣的に切る。タイプライターを打つのに邪魔なのだ。必ず毎日入浴する。外出するときは、それに加えてシャワーも寸前に浴びる。着る物もたいがい従兄弟のお下がりだが、彼の趣味で、VANのジャケットとかキャメルのジャケットとかも持っている。今日はVANの紺のジャケット。イエローのボタンダウン、クリーム色のチノパンツ。それに赤坂で降りて、TBSのトップスで、チーズケーキとチョコレートケーキまで買ってきている。花はあまりにやりすぎだから買わなかった。

 今から考えると、あの頃のトップスのチーズケーキはおいしかった。今のように大量生産をして、どのデパートでも売っているというものではない。チーズの質、適度なレモンジュースの配合で、格段においしかった。

 玄関を抜けると、十二畳ほどの洋間があって、そこで紅茶と持ってきたケーキをいただいた。

「フランクくんはずっと横浜?」
「生まれも育ちもそうです。目白の人にいわせると、言葉が訛っているそうですね?」
「あら!だれがそういうことをいうのかしら?」
「目白の人」と僕は笑いながらいった。「横浜の人間は、言葉が語尾で尻上がりになるという指摘があります。僕はそうは思わないのですが・・・」
「お母様、もう品定めは終わりましたか?」と絵美がいう。
「まあ、品定めなんてとんでもない。あなたが連れていらっしゃる方ですからね」

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6th October, 1979 (Sat) before 2,005 days

 中禅寺湖畔は秋の抜けるような青い空が広がり、でも紅葉には多少早い季節だった。いつもなら大学の同級生の沼田と一緒に奥日光を駆け回るのだが、今日から数日は絵美と一緒なので、足弱さんではまさか峰から峰を走るわけにもいくまい。中継地点は日光市内の沼田の実家。ここで食料を仕入れた。中善寺湖畔までは沼田のシビックで送ってもらった。

 絵美も僕も黒のとっくりセーターにリーのストレートジーンズという出で立ちだ。ペアルックを狙ったわけではないのだが、ふたりとも着るものの好みが同じだから仕方があるまい。僕らはニジマスの養魚場の脇から山道を上がっていく。

「イイ天気よねえ、都会でピアノを弾いてくすぶっているよりは、山の中を歩いていた方がずっとイイわよね!」と絵美は腕をグルグル回しながら大声で言う。いい気なもんだ。食料も調理器具も飲み物も僕が背負っていて、自分はシュラフとあとちょっと小品を運んでいるだけなんだから。

「今日は10キロぐらい歩いたらキャンプ場で野営しよう。そのくらい平気かい?」
「10キロぐらい何でもないわよ。」
「ゆっくり行こうぜ。今日の野営地でちょっと夕陽を撮りたいんだ。日暮れまでは時間があるからあせる必要はないさ。」

 木洩れ陽が木々の間から射し込んできて、それが絵美の顔を明るく照らす。チンダル現象だな、なんてつまらない言葉が浮かんでくる。杣道(そまみち)なので、絵美と並んで歩くことはできなかった。

 10年ほど前、僕が中学生の頃はテントは重い防水綿製で、それこそ重量10キロなどという代物だった。その防水たるや、雨が降ってテントの内側に触れるとそこから雨漏りするので、怖くてテントに触れる事もできない。ところが、今はターポリン生地の軽いテントなので、数日のキャンプをするにも、ドーム型3キロのテントを背負ってどこにでも行ける。僕は、ピン型のペグを手早くテントの四方に打ち込んで設営を終わらせた。

「ひぇー、やっと終わったぜ。」
「案外簡単なのね、テント張るのって。。。」ちょっと、僕は別のことを考えてしまって、頬が赤らむ。夜だし、たき火の明かりだけだからわからないのだろうが。

「これくらいのキャンプならこんなテントで十分なんだ。」と僕は絵美の横に座りながら言った。

 あの頃の僕は、175センチの背丈で体重は58キロだった。だけど、今よりもずっと耐久性があったように思う。リュックサック(バックパックなんて言葉がなかった時代なんだ)にブロックベーコンや缶詰やハイキング用の諸々の品を詰めて、サントリーの角瓶をアルミのスキットルに移し替えて、スケッチの道具と、ニコンF2と交換レンズ、エクタクローム64を山ほど抱えて、それで、奥日光を3、40キロかけずり回っても平気だった。

 絵美は、夕食の支度を終えて、ぼんやりとたき火を見つめていた。支度と言ってもお湯を沸かしただけ。料理は僕の方が慣れている。ポテトと玉葱とベーコンを軽く炒める。沼田にもらったニジマスをアルミ箔で包んで、たき火に投げ込む。粉末スープを作る。簡単だ。

「フランク、器用なのね」
「絵描きはそういうもの。ピアノを弾く人間はやっちゃあいけない。指を傷つける」
「プロになるつもりはないのよ」
「あくまで心理学というわけ?」
「そう、心理学。でも、どうなんでしょうね?そういうのを何もかも放り投げて、結婚してしまうという手もある」
「そういう手もある。確かにある」僕は絵美の顔を覗き込んだ。「でも、絵美には出来ない?結婚して、いい奥さんになって、家庭を守って。。。それは出来ない?」
「うん、出来ないわ」と絵美は言った。

急に「フランクは世界中で誰が一番大切だと思う?」と彼女が僕に訊いた。ふつう女の子がこういう質問をする時には、男の目を見ない。だけど、彼女は枯れ枝を適当に振りながら、僕の目をじっと見つめて尋ねてくるのだ。

「答えなくてもいいの。私はよくわかっているわ。あなたも私も最も大事だという人はまず自分自身だということ」
「それは絵美、違うんじゃないかな?僕は思うんだけれど、世界中で誰が大切という問いかけは困る。なぜ困るかというと、大切という意味が状態によって違ってくるから」
「そう思う?本当にそう思う?」

僕はそう思わなかった

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