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ヰタ・セクスアリス5 

17th February, 1979 (Sat) before 2,236 days

 絵美の期待した時でも、場所でもなかったけど、その日から、僕は絵美とつき合うようになった。

 僕は恋をしたのだ。たぶん。

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 僕はときどき思うのだが、表現というのは変なものだ。いや、表現なんていうと、やけにおおげさな言い方に聞こえるが、表現だからしょうがない。

 例えば、ロバート・B・パーカーが彼の小説の中でこのような表現をしたとしよう。

「私とスーザンはボストンの市場でホール・ホイート・ブレッドのサンドイッチを買った。ミディアムレアのローストビーフ、スライスト・オニオン、トマト、ホースラディッシュ、レタス・・・」

 これだけを読むと、相当たいしたサンドイッチに聞こえる。ホール・ホイート・ブレッドは、"a whole wheat bread"だ。要するに無漂白の全粒小麦パンだ。味も素っ気もない。その他の素材も同じだ。明治時代風に書くと、

「私とスーザンは波士敦の市場で無漂白全粒パンのサンドイッチを買った。半生の牛肉の切片、、薄く切った玉葱、トマト、西洋山葵、レタス・・・」

 表現というのは変なものだ。

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 若造やションベン臭い娘は、人生は無限の可能性を秘めていると考えている純粋無垢な人種だ、と通過儀礼を済ませた大人は考える。嘘っぱちであることを本人は忘れている。思い出せないのだ。通過儀礼をパスする前の不安、焦慮、切迫感を自分が持っていたことを忘れている。

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19st March, 1979 (Mon) before 2,206 days

 僕は来期の授業日程を調べるために大学へ来ていた。学部事務室に寄り、日程を手帳に写し、腹が減ったので学食で飯を食っていた。百二十円のカツカレー定食。まずい。が、外で食べるよりは安い。

 急に後ろから肩を叩かれた。

「ハイ、フランク」

 声だけで誰だかわかる。絵美だ。僕が学食で飯を食っているのを知るヤツは部室にいた連中だ。だから、彼女は部室によって、僕の居場所を聞いたはずだ。なぜ今日僕が大学にいるか知っているのか?もちろん、実家の母に電話で聞いたに違いない。居るか居ないかわからないのに(だって、用事が済んですぐ大学を出ることだってあるだろう)大学に来て、部室を覗いたということは、今日はつき合って欲しい理由があるに違いない。それは何かはどうでも良い。でも、理由はわかる。猫だからだ。あとは、右か左かだ。彼女のコロンの匂いがする。左だ。

「ふむ、それで、調べものがあるから、神田の本屋に一緒に行って欲しい、ということか?」と僕は顔をちょっと左に向けて、覗き込もうとする絵美にいった。
「ちょっと、なぜ驚かないの?なぜわかるの?」
「猫だからだよ。猫は驚かない。犬は驚く。しかし、好奇心は猫を殺す。わかる?」
「癪に障るヤツねえ」と隣の安っぽいプラスチック製の椅子に座りながら彼女はいった。
「しょうがないじゃないか。僕はそういう反応しか出来ない。絵美だって同じだ、驚かないことでは同じだ」僕はまずいカツカレーを食べながらいった。

 学食のTVでは、宮崎美子がミノルタのコマーシャルをやっていた。木陰でTシャツとGパンを脱いでいって、最後にビキニ姿になるあれだ。健康的な女の子だ。僕よりも9ヶ月年下らしい。

『いまのキミはピカピカに光って~』

 知り合いの学生が通り過ぎる。僕は目顔でうなずいて挨拶した。知り合いは絵美を珍しそうに見ていった。そう、理工系の大学で女性を見かけるのは大変珍しい。薬学部にはたくさんいるが、別の校舎だ。ひとクラス一人女性がいればいい方だ。ひとりだからその偏差は大きい。

 絵美は非常に人目をひく。長い髪、高い鼻、長い脚、美しい手。大きな眼。背筋の伸びた上体、妖精のように先のとがった長く大きな耳。宮崎美子とは違う。

 TVは続いて、サンヨーのコマーシャルをやっている。「シルクロード」というカラーテレビのCMで、曲は去年の十月ぐらいから流行っている久保田早紀の『異邦人』という歌だ。

 …
 過去からの旅人を 呼んでいる道
 あなたにとって私 ただの通りすがり
 ちょっと振り向いてみただけの異邦人
 …

 この歌詞の「私」は異邦人だ。寂しさを抱いた異邦人。通りすがりの異邦人。だけど、絵美はこういう異邦人とは違う。寂しさなど感じないようだ。僕は異邦人がたまたま振り向いたのを見たその土地の猫。

 TVニュースがジミー・カーターのモスクワオリンピックボイコットなどと報じている。

「それでつき合ってくれるの?くれないの?」と絵美がいった。「神田の本屋でユングの著作を探したいの・・・」
「もちろんつき合うよ。わざわざ家に電話をかけて、部室まで行って、学食までたどり着いた行動に報います」
「フランク、なぜ、私があなたの家に電話をかけて部室に行ったことがわかるの?」
「たんなる想像だよ」といって僕は立ち上がった。「さあ、行こうよ、神田に。帰りに酒でも飲もうよ」
「そう、つき合ってくれるの。ありがたいわ」と絵美はいった。「お礼に山の上ホテルでウィスキーをシングル一杯だけごちそうしてあげる」
「うれしい話だ。そのあとの数杯は僕のおごりなんだね」
「もちろんよ、王子様」
「やれやれ」

 僕らは学食を出て左に曲がり、神楽坂を下って飯田橋の駅の方に向かった。

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 例えば、「私」という一人称の漢字がある。その読み仮名は現代ではふつう「わ・た・し」だけれど、絵美は、「私」という漢字を相手に意識させないで、でも、ハッキリと「わ・た・く・し」と発音するのだ。「私」と言う時はいつも相手の目を見つめる。絵美が中禅寺湖湖畔で、たき火を枯れ枝でかき寄せながら僕に話した時も同じ「わ・た・く・し」だった。

「フランクは世界中で誰が一番大切だと思う?」と彼女が僕に訊いた。ふつう女の子がこういう質問をする時には、男の目を見ない。だけど、彼女は枯れ枝を適当に振りながら、僕の目をじっと見つめて尋ねてくるのだ。

「答えなくてもいいの。私はよくわかっているわ。あなたも私も最も大事だという人はまず自分自身だということ」
「それは絵美、違うんじゃないかな?僕は思うんだけれど、世界中で誰が大切という問いかけは困る。なぜ困るかというと、大切という意味が状態によって違ってくるから」
「そう思う?本当にそう思う?」

 彼女は決っして迷わなかった。絵美は絶対に断固として「私どうしたらいいのかしら?」などというセリフをいいだしはしなかった。

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