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日本人に告ぐ10 - 続セミリンガル 

この問題に関してはしつこいです。

「児童のセミリンガル化の危険性」というので、英語塾、小学校の英語教師志望のみなさんが集まるmixiのコミュにトピックスを立ててみました。

そこで感じたのは、本当に小学校で英語教育を導入するのは大丈夫かいな?ということ。

まず、

英語塾、小学校の英語教師志望の方々が気にされているのは、資格や留学、キャリアの積み方であって、決して英語教育術ではなさそうであるわい、ということ。

それから、小学校の英語の導入に関しての問題意識の希薄。

結局、雇用促進、リクルートにしか過ぎないようです。小学校の英語教師なら、中学校や高校の英語教師よりもハードルが低いだろうという安易な考え。たぶん、中学校や高校の教職が得られるなら、そちらに行くような気がします。小学生だから、突っ込まれることもあまりないだろうという雰囲気も伺えます。

意見保留でしたが、反対したくなってきました。

以下、私の発言だけ掲載します。

■児童のセミリンガル化の危険性
 普通、セミリンガルというのは帰国児童、国際結婚カップルの児童、移民や出稼ぎ労働者の児童などに当てはまる状態を言います。
 しかし、もし、小学校英語教育が進んだとして、日本人の普通の児童がセミリンガル化する危険性はないのでしょうか?
 これは母国語教育にも関連することです。
 さらに、英語教師そのものがセミリンガルであったらどうするのか?日本語すらおぼつかない教師が、同様におぼつかない英語能力で児童に英語を教えられるものなのか?
 日常会話能力はバイリンガルであっても、抽象思考や学習のための言語能力がセミリンガルの教師について英語を学習した児童はどのレベルまで到達出来るのか?
 このような問題に関して、みなさんどうお考えでしょうか?
 ・一人の人間が多言語 (multilingual) であるのは、2種類だけでも困難である
 ・ある個人が多言語話者になる要因は、個人的なものと社会的なものの2つ
 →個人:日本のような圧倒的モノリンガル社会にやってきた
  移民や出稼ぎ労働者
 →社会:スイスやベルギーなど複数の言語共同体が共存している場合
 ・1言語のみ習得している者はモノリンガル(monolingual)
 ・2言語の環境にいたものの母語と第2言語目の両方において
 年齢に応じたレベルに達していない者はセミリンガル(semilingual)
 ・セミリンガルという言葉が否定的だという意見が増え、ダブル・リミテッド(double limited)という名称が広まりつつある
 ↑どっちにしろ、同じ事。
 ・ダブル・リミテッドは、日本において帰国子女や日本に住む外国人児童の間に散見される
 ・日常会話能力はバイリンガルであっても、
 【抽象思考や学習のための言語能力がダブル・リミテッドの状態】にあり、教科学習に支障をきたす者がいる


2: FRANK LLOYD | 削除
Aさん、
私もこの方面は詳しくない人間でして、それでみなさんにお聞きしている次第です。
私は、国際結婚カップルの児童を多く見ております。妻日本人+夫外国人、夫日本人+妻外国人、さまざまです。妻日本人、夫外国人で、夫外国人が英語を母国語とする場合に限定しましょうか。『臨界期仮説』などは申しません。生まれてそのまま、2ヶ国語の環境に育った児童なんですから、臨界期教育そのものです。
まず、それは父親、母親の語りかけで始まります。この場合、母親は、たいがいが自分の母国語である日本語で子供に語りかけます。父親の関与は時間的に限定されます。仕事を持つ父親が多いですからね。これは英語の授業の時だけ英語を使う、そういう環境と近似しています。
もしも、母親が日本語での会話を止め、父親と同じ英語だけで語りかけるのなら、話は単純なのですが、国際結婚をする日本人女性すべてが英語に堪能ではありません。中には、英語が出来ないけれども、恋愛感情だけで結婚に踏み切る女性すらおります。
それで、子供は、一応は、日本語、英語の文法体系をそれぞれ個々別々に学び始めます。しかし、日本語の影響が強い。なぜなら、母親の方がより子供に密着していますので。
人間の持つ時間は有限です。子供の持つ時間も有限です。その中で、2ヶ国語を同時に享受した場合は、1ヶ国語にだけ集中する場合よりも時間が割かれるのは当然です。それから、その2ヶ国語が欧州のほとんどの言語に見られる場合なら文法体系がほぼ同じですから、思考の上でも混乱は少ないと言えます。しかし、日本語の場合、異なっている。
さらに、日本語が高文脈であるのに比べて、英語は低文脈です。表現方法に非常に差異があります。かたや、母親に対しては、高文脈の日本語で会話出来るのに、父親ではDetailまで含めて説明する必要のある低文脈の英語で会話しなければなりません。
児童の才質によります。しかし、
>英語はじめ外国語の学習そのものが母国語の学習・思考を妨害するものでしょうか?
という問いには、「まったく妨害しない」とは言い切れない、とお答え出来るでしょう。
>“ダブル・リミテッド”などの問題は外国語を学習させるからではなく明確な指導方針のもとに教育しないから
ということについては、そもそも外国語を学習させなければ、モノリンガルなのですから、母国語だけの問題となります。「ダブル・リミテッド」の問題は発生しません。
>それは日本語だけ教えてても同じことだと思うんですが。
まったく同じではないでしょう。児童の時間配分、ひとつの言語に消費する時間は異なるでしょう。
それから、私がお聞きしているのは、「子供に対して」ということだけではなく、
>英語教師そのものがセミリンガルであったらどうするのか?日本語すらおぼつかない教師が、同様におぼつかない英語能力で児童に英語を教えられるものなのか?日常会話能力はバイリンガルであっても、抽象思考や学習のための言語能力がセミリンガルの教師について英語を学習した児童はどのレベルまで到達出来るのか?
という教師の資質、才質に関してです。教育システムということではありません。
>学校の英語の勉強きちんとやってる人にもやってない人のなかにも、日本語ちゃんと使えない人は同じぐらいいる
という例が教師についても言えるということですね。そういう教師についた児童が、果たして、2つの言語とも、日常会話能力はバイリンガルだけではなく、抽象思考や学習のための言語能力もバイリンガルという状態まで到達出来るのか?母国語も共倒れにならないのか? そういうことに関してはどうなんでしょうか?

4: FRANK LLOYD | 削除
Bさん、
>どの程度の事をどのくらいの頻度でやるかによる
というのは具体的にある程度の頻度以上だと問題が発生する、ということですか?程度の問題ということでしょうか?
>小学校での位置付けは言語習得にない
というのはどういうことでしょうか?
また、なぜ、言語習得でなければ問題は発生しないとお考えなのでしょうか?

7: FRANK LLOYD | 削除
Aさん、
> > そもそも外国語を学習させなければ、モノリンガルなのですから、母国語だけの問題となります。「ダブル・リミテッド」の問題は発生しません。
> 表現が難しいんですが、「ダブル・リミテッド」にみられる問題そのもの【両言語における抽象思考・学習能力の不足など】を見つめた場合(その名前ではなく)、そもそもモノリンガルにおける単純な言語能力不足と似た性質のものではないかという見解を述べたものです。
というのは、
> > > “ダブル・リミテッド”などの問題は外国語を学習させるからではなく明確な指導方針のもとに教育しないから
ということを受けて、ですが、1言語習得者においても2言語習得者においても、どちらにせよ、「抽象思考・学習能力の不足など」は起こりうる。英語教育のせいだけではない、ということですね?
しかしながら、全児童がよろこんで率先して言語教育を受けるわけではない。そして、母国語以外の他言語を習得させようとしたおかげで、母国語教育もさらに嫌いになる、ということもあるかもしれませんね。
ところで、言っておきますが、小学校での英語教育を私は否定するわけではありません。肯定するわけでもない。ハッキリ言ってわからない。ですから、このようなトピックスを立てたわけです。> 厳密にその部分の違い・複数言語による教育とこの問題との因果関係が実験などによって明らかにされていない限り、憶測に過ぎない話になるのではないでしょうか。
少なくとも、私が知っているのは、国際結婚カップルの児童や帰国子女の例ですが、これは憶測ではありません。こういった例は、そのものではありませんが、近似ではないでしょうか?
そこで言えるのは、中途半端な、混雑した2言語による教育は、双方の言語の混乱を招く、ということです。英語なら英語だけ、日本語なら日本語だけと、児童の頭が混乱しないようにしないといけない。
> 国際結婚や移民の子にそのような問題があるからと言って、その子たちは環境などにより最善の教育を受けなかったのかもしれず、そういうことも考えると簡単に原因は特定できないでしょう。そうではありません。移民の子供の例は私はよく知りません。そして、最善の教育、というのは何でしょうか?それを今話しているのではありませんか?具体的な最善の教育がわからないからこういう形で尋ねています。
> いくつかのポイントで、時間的制約についておっしゃっていますがこれは、どの段階でどれくらいの量学習させるかという問題がまずあると思います。「ゆとり」とかいったかと思えば数年で覆されたり、国がそんな感じで確実なことは誰も言えないでしょう。
ワシントン大学だったか、そういう統計・実験論文が出ていまして、バイリンガルになるための教育は集中的な学習で、継続的に通算その言語だけの環境で3000時間と言われています。

8: FRANK LLOYD | 削除
Aさん、
> そのような中でたとえば「ゆとり教育」の学習量の中では時間的にも子供のキャパシティとしても、現行の制度との量の差の分、英語に使える時間は多かったということになるでしょう。あくまで相対的に、例えばですけどね。つまり今学習してる量が限界の、境目の部分かはわからないですよね。そこは、先端の脳科学とかいう領域になりそうですが。
それが中途半端に終わる時間配分だったら、やるよりもやらない方がマシとも言えます。いえ、確実に数字を上げて証明出来ませんし、わからないのが正直なところです。
> 僕の、教育を受けた側としての感覚では例えばそこに英語を取り入れたからと言って母語の発達に支障が出るほどの微妙なラインにあったような気がしません。これは個人的感覚なので曖昧な話になりますが。個人差もありますし。
そう、それはAさんの個人的な経験で、さらにAさんが言語というものに好感を抱いている印象を受けましたので、出来る子(出来た子?)の例では参考にならないと思いますよ。
> > 英語教師そのものがセミリンガルであったらどうするのか?日本語すらおぼつかない教師が、同様におぼつかない英語能力で児童に英語を教えられるものなのか?日常会話能力はバイリンガルであっても、抽象思考や学習のための言語能力がセミリンガルの教師について英語を学習した児童はどのレベルまで到達出来るのか?
> これについても、「ダメな教師に教えられると大変だ」っていうことと全く同質なものであると考えます。その一面として言語教師の言語力という問題があるだけで、簡単にいえば適材を選び、指導し、最適な制度を整えることに尽きると思いますし、それはどの分野にも共通することで、その仮定そのものがあまり意味がないように思えますが。
「大変だ」だけで済むでしょうか?つまり、数学の教師がダメな教師だからといって、物理や化学や生物に影響を与える可能性は少ないですが、言語という共通性を持つ母国語に対しての影響は少なくないかも知れませんね?
> 僕は↑セミリンガルの恐怖の中にあるような安易に英語だ、バイリンガルだと飛びつくお母さんがたには全く共感しないし、安易で薄っぺらな考え方だと思います。
それは、相手に対して可哀想な発言でしょう。彼女の場合は、我が子のことで切実な問題、ひるがえって、英語教師は我が子を教えるわけではない。「安易で薄っぺらな考え方」というのは、切迫感の差異でしょうね。
> しかし問題はその安易な考え方にこそあるのであって、適切な方法をとれば、相乗効果さえ期待できると僕は考えます。そこに言われている通りの問題があるとしても「小学校英語教育導入」が原因だといえば、問題の本質が見えにくくなると思います。
「適切な方法をとれば」という具体的な方策は何か?セミリンガルレベルに当たる生徒もいるでしょう?良い教師に巡り会えば、「相乗効果さえ期待できると」私も考えます。それは運なのでしょうか?
再度申し上げますが、「小学校英語教育導入」に関して、私は否定も肯定も意見は保留です。ただ、教師育成過程において、いかに日本語すらセミリンガルの英語教師を排除出来るか、この方策が見えないと、否定したくなります。

9: FRANK LLOYD | 削除
Bさん、
> もし気に障ったらごめんなさぃ
私の方もご了解を頂かないと。海外で22年間も過ごしていると、日本的な心遣いなどはなくなりまして、表現が生となります。気に障るとか、そういう感情はないですよ。ただ、知りたいだけ、ということです。
> ご指摘頂いた通り、頻度が高ければ、トピ主さんの心配なさっているょうな問題が起こってくるかと思います…。。 今は小学校では多くとも週に一回程度なのでp(´⌒`q)
そう時間が。。。中途半端すぎると思いませんか?それで、どういう対費用効果を期待しているのか、私にはわかりません。
> 目的が言語習得ではないというのは、あたしも含めこのコミュの皆さんはやるからにはものにして欲しいとの思いで、努力を重ねてらっしゃると思います。でも文科省の今の立場では、あくまでも『言語をとおして異文化理解を深める』程度だったと記憶してます。
「『言語をとおして異文化理解を深める』程度」というのがねえ。やるからにはモノにするためには、それなりの時間を継続・集中してかけないといけませんし。
Aさんへのレスでも書きましたが、私は小学校英語教育に否定も肯定もありません。条件・環境次第です。

11: FRANK LLOYD | 削除
Cさん、
Cさんのお考えは、「全くない」とのこと。つまり、英語教育による他言語へのインパクトなど全くない程度の小学校英語教育でしかない、ということなんでしょうか?
言語認識能力というモノは、日本語は日本語、英語は英語とポケットのように脳の中でわけられるものではないでしょう?一人の児童の頭の中で、総体的な言語認識能力が、単言語、複数言語で違ってくるものだと思います。
それが、「セミリンガル化する危険性は全くない」という程度でしたら、まったくインパクトのない教育ですよね?でしたら、私は小学校英語教育肯定否定はしない立場ですが、中学校からでもいいのじゃないか?と思ってしまいます。言語認識能力に影響を与えない程度の、中途半端な教育なのですからね。それなら、単なる英語教師の雇用拡大策でしかないじゃないですか?
>ただ、小学校で習う英語がどの程度の効果があるのかは私も疑問ですが、
効果が疑問ねえ。。。
>それでも外国語の苦手な日本人が少しでも慣れる、という意味では良いのではないかと思います。
でしたら、週数時間、教室で、CNNとかBBCの番組を見せるだけでもいいのじゃないですか?その方が少なくともネイティブの発音を聞くことはできますからね。

12: FRANK LLOYD | 削除
Cさん、
補足します。Aさんへのレスで、
>そこで言えるのは、中途半端な、混雑した2言語による教育は、双方の言語の混乱を招く、ということです。英語なら英語だけ、日本語なら日本語だけと、児童の頭が混乱しないようにしないといけない。
というのは、授業中に使う言語の話です。英語の授業で中途半端な日本語の説明をしてはいけません、ということ。言語認識のポケットの話とは違います。
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ネットサーフィンしながら、何となく探してみました。最初は無料で何かいいの無いかなぁという感じで、
  • [2007/08/07 00:43]
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  • 雪ダルマ の 美しい国、日本 |
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