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正義の側に立つ者の心理学(2) 

冷徹に積分値としての日本国の利益(どちらに転んでも得する)を追求する行動するだけ、なんて合理的なことが日本国民にできるか、というと、これまた難しい。人間にはカタルシス*が必要だってんで、戦敗国コンプレックスと個人的コンプレックスを解消するために、どうも「正義の側」につきたがるんですな。

正義の側についていれば、気持ちはいいし、カタルシスにはなる。俺は、私は、正しい側だよ、ってんで、安心できてしまう。しかし、正義の確立、大義の確立をするには、何か行動しなければいけません。しかし、それもかったるい、何も行動しないで、正義の側についたというカタルシスを味わえる方法はないものか?というので、レーニンなどが考えついたのが、強いものを攻撃することでした。

これはうまくいきますね。弱い側の人間に限って、コンプレックスはわんさか存在するし、弱いって事は正義で、強いって事は悪で、貧乏人は清貧にして清潔、金持ちは、搾取しているから越後屋だ、絶対悪だよ、という具合です。おまけに、弱きを助け強きをくじく、楠木正成、というわけで日本人が好むパターンですね。もう一つ好きな判官贔屓にもなります。

これって、判断保留、自分で考えなくって良い、アメリカ=悪、ブッシュ=悪、ネオコン=悪、た~んじゅ~ん!私は、善、正義の側、深く考える必要もない、何もする必要もない、というわけです。

それでいいの?それって、正義の側(と自分で思っている方)を支持しているってだけで、自分が正義に基づいて行動している、というわけではありません。でも、正義の味方っぽい気にはなります。

アメリカの誰それも言っている、というのは、アメリカ人が自己批判しているのであって、その論法を日本人が使う、というのはいいのかなあ。アメリカは少なくとも日本と違って、自己批判して、変わっている国です。それを進歩とは言いませんが、少数民族の問題にしても、世界の面倒を見る(それが相手にとって見れば間違って見えようと)という大局に見たがる国で、その国の人間が自分の国を論評したからと言って、その論理が日本人も使えるというわけでもないのではと。

だぁから、時事社会問題「言霊」辞典みたいな考え方、言い方、評論家になってしまうのでしょうな。やれやれ。でも、その判断保留。正義の側に立っているので前文の理由は不要。その理由は聞く「べき」ではない。自分が不満を持っている様子を表す語法なので、別に行動は伴わなくても良い。というのは楽だろうなあ。

正義はひとつではなく、ある正義は絶対ではない。その時点の正義が将来の禍になることもある。そして、有史以来、現在まで、正義は勝者の専売特許、敗軍の将兵を語らず、ということですな。有史以来のこの事実、さてさて、いま変えることができるでしょうか?

*自己の直面する苦悩などを表出することによってコンプレックスを解消すること。

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