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正義の側に立つ者の心理学(3) 

日本国の憲法では、3権分立が唱えられています。

立法権、行政権、司法権。

【立法権】
○法を制定する国家の権能。〔立法の手続きは国会が行う〕 ⇒司法権・行政権

【行政権】
○行政を行う権能。 ⇒司法権・立法権

【司法権】
○国家の名において行う、民事・刑事上の裁判権。⇒行政権・立法権
正義の側に立つ者」は、それが左翼的傾向にある人でも、右翼的傾向にある

人でも、司法的傾向が強い方がそうなってしまうようです。

正義の裁き】
○「正義の名において行う、裁きの権利」

とでも言うのでしょうか?

【裁く】
○争いなどのあった時、理非曲直を明らかにして処理についての判断を下す。

物事を何かの名において、理非曲直を明らかにして処理についての判断を下す、という人たちが「正義の側に立つ者」です。自分以外のものに対して裁断を下す、ということです。裁断が下せるかどうか、などということは関係ないようです。

立法権、行政権、司法権の3権で、司法がもっとも地味です。それは、立法と行政が能動的役割なのに対して、司法は、立法と行政の施行の範囲に対して、法の定める個人・組織・団体が訴訟を起こしたときのみ、司法権が行使されうるということによります。それは、「国家の名において行う裁判権」であるからです。

ところが、「正義の名において行う、裁きの権利」は違います。自己や集団が「正義」という曖昧な、個人・集団の信ずる概念の名において裁きの権利を発動できるわけですから、「法の定める個人・組織・団体が訴訟を起こしたときのみ行使」するという制限も、「国の名において」、つまり、国の定める法律に従って、手順を追って、という制限も解除されます。

これが、お互い分立し、権利を認め合う、立法・行政・司法とは意味合いの違う、第4の権利となりうる。この第4の権利を主張する代表集団が「マスコミ」という化け物でしょう。

その「マスコミ」に煽られて、最近はこの「正義の側に立つ者」が増えている気がしてなりません。

正義の側に立つ者」は、国の司法が「受動的な裁きの権を行使」するのと違い、「能動的な裁きの権」を主張する人たちですが、いかんせん、裁きの権ですから、他の人間・集団・組織がやったことを裁断するだけで、自発的に何か行動する、行使するという権能を持たない事が特徴です。自分自身が行動、行使しないのですから、自分は裁断の対象にはなり得ない、という都合の良い特徴を持ちます。
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