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正義の側に立つ者の心理学(5) 

「護憲」というだけでは政策たり得ません。それだけを行っている政党は、立法・行政の役目を果たしていませんから、政党とは言えなくなります。それが、社民党・共産党の衰退の一因と考えます。

「護憲」を行っているだけでは、これは立法・行政の人員を輩出する政党たり得ません。単なる裁きの政党、「自党の主張において行う、裁きだけの政党」に陥ってしまいます。

もちろん、社民党・共産党は「護憲」だけをあげているのではありません。与党や社民党の政策に対抗する政策も提示しています。しかし、マスコミがこの2党に関して取り上げるのは、ほとんど「護憲」に関しての報道です。これはマスコミの取り上げ方が悪いのも一因でしょうが、「護憲」をとりわけ言いつのるこの2党の党運営の欠陥でもあります。

一端「護憲」の錦の御旗を半旗に下ろし、その他の実際的な立法・行政に関わる事柄を全面にあげる、これがこの2党が支持を得る近道でしょう。評論家は予言ができますが、予言・予測の類では、国・組織は運営できません。裁きの声を高らかに上げ続けるだけでは問題は解決しません。

裁きの側に立つのなら、戦後すぐの頃、配給食だけを食べ、ヤミの食料に手を付けずに餓死した裁判官のように、身を清廉潔白にしなければ、裁かれる方が文句を言うでしょう。

これは、極論ですが、自民党の田中衆議院議員と社会党の秘書疑惑の問題で、社会党がとりわけバッシングを受けた印象がありますが、裁きに重きを置いた政党であってみれば、それこそ、ヤミの食料に手を付けた裁判官のような印象を持たれたのでしょう。

政党であれば、この社民党・共産党などのように、党勢衰退という「裁き」を受けます。マスコミなら、売り上げ部数減少、視聴率減少という裁きを受けます。しかし、「正義の側に立つ個人」は裁きを受けません。その個人がよほど注目されていない限り、その個人の清廉潔白などは問題になりません。そういう意味で、「正義の側に立つ者」は、胡散臭い印象を与えます。

第4の権利であるマスコミは、売り上げ部数減少、視聴率減少という裁きを受けます。そのため、営利企業である以上、受け手の視聴者や読み手に迎合する記事を書くほかありません。

人の生命を預かる医師や人の精神を預かる宗教家は聖職と言えるかもしれませんが、営利で記事を報道するマスコミは、受け手の視聴者や読み手によってぶれます。とても聖職とは言えない。それを聖職と勘違いし、「報道の自由」なる「正義の側に立つ者」のごとき錯覚が存在します。

マスコミとは、受け手の視聴者や読み手を映す鏡なのでしょう。マスコミが正義の側に立つ度合いが強く、具体的なもの、現実的なことの報道が弱い場合、受け手の視聴者や読み手が「正義の側に立つ者」の度合いが強くなっている傾向にあるのかもしれません。

正義の側に立つ」のも結構ですが、「人はパンのみに生くるにあらず」だが、パンがなければ生きてはいけない、マリーアントワネットが言った「パンがなければケーキを食べればいいじゃない!」という現実離れした思考に陥らないようにしないと、日本国というものが変な方向に流されると思います。

善悪概念(司法)だけでなく、考え方・主張(立法)とそれに基づく行動(行政)を重んじる国民が多くならなければいけないのではないかと。私にはとても、他人の善悪概念を是非する器量はありません。考え方・主張(立法)とそれに基づく行動(行政)の日々軌道修正に追われ、妻の善悪概念(司法)に裁断されるだけです。やれやれ。

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