スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

正義の側に立つ者の心理学(7) 

なぜ、テロリズムを撲滅しなければならないのでしょうか?戦争もしかりですが、戦争の前にテロリズムを撲滅する必要がありそうです。

テロリズムは、必ず、何かの名において自己正当化し、闘争という名の下に非戦闘員まで巻き添えにする暴力行為を行うものですが、国家間の戦争はその当事国の政府・国民のエゴが入るとはいえ、テロリズムよりもはるかにコンセンサスは取れているのでしょうね。

戦争も、非戦闘員を巻き添えにします。しかし、建前として国家の威信なるものがかかっています。そうそう無差別攻撃ができるものではありません。ところが、テロ行為は何かの名において自己正当化しますが、その実態は国家という認知された存在と違い、国際合意の水面下に潜む物です。自己正当化しても、その存在が認知されたものではありません。「威信」「体面」がない存在ですから、非戦闘員も巻き添えにした無差別攻撃が平気でできるわけです。

おまけに、資金力さえあれば、「~の名において」という名乗りは自由で手続きなく宣言さえすればいい。誰でも彼でもやる気にさえなればできてしまう。そして、自己正当化されているわけですから、目的のためには手段を選ばず、ということとなります。

過去、以下のような宣言をして、無差別テロを繰り広げた組織が数多くありました。

★世界をアメリカの民主主義的な抑圧から解放し、平和で平等な共産主義社会を築くための闘争である。
★世界をアメリカの民主主義的な抑圧から解放し、平和で平等なイスラム社会を築くための闘争である。
★チェチェンをロシアの帝国主義な抑圧から解放し、平和で平等な民族主義社会を築くための闘争である。
★北朝鮮をアメリカの民主主義的な抑圧から解放し、平和で平等な共産主義社会を築くための闘争である。
★・・・

何でもいいわけです。「~の(強者の)抑圧から解放し、平和で平等な~の社会を築くためには」何をやっても許される、それが、女、子供、老人などの非戦闘員、文民を巻き添えにしたとしても、ということです。

これらの闘争で言えるのは、「平和で平等な○○」のビジョンは曖昧模糊、まずは倒すのが先決、ということ。

本来なら「平和で平等な○○」はこういうものだ、○○を築くためには××する必要がある。「~」の規則・主張はこれらの事をするには適した考えだ。相対する「アメリカの民主主義」とか「ロシアの帝国主義」はこの運動を阻止する存在だ。だから、「~の名の下に」××したいが賛同できるか?賛同してそれが多数ならばその方針でやりましょう。という手順を踏むのが順当でしょう。

「平和で平等な○○」はこういうものだ、というビジョンは後回し、という事です。まずは「~の名の下に」憎むべき相手を倒すのが先決。ビジョンの提示、というかビジョンがないまま、倒すためだけに「~の名の下に」を利用する、という事ですね。これは、「本末転倒」はないですか?

こういった「正義の側に立つ者」に限ってビジョンという具体的な肉付けができる能力に欠けるので、抽象的にアジテーションするしかない、という事なのでしょう。才能のない者の努力は虚しい。

この闘争だけなら、闘争地帯の人間が殺傷されるだけです。しかし、過去例があったように、必ずテロリスト達は、相対峙して反目しあう組織を担ぎ出します。

冷戦時代に、アメリカとソ連が対峙し、自己の勢力伸長をはかっていました。そこに、アメリカそのもの、ソ連そのものと関係ない組織、第3者、第3国であるテロ組織やテロ国家が、「世界をアメリカの民主主義的な抑圧から解放し、平和で平等な共産主義社会を築くための闘争である。」と称してテロ活動をする。そうすると、冷戦時代にアメリカは、そういったテロ活動の背後にソ連がいるという疑心暗鬼に陥りました。

逆の話で、民主闘争が共産主義国家内で行われる時、ソ連はアメリカが背後にいるという疑いを持ちました。第3者、第3国であるテロ組織やテロ国家は、アメリカ、或いはソ連という国家を利用して、実は自分らの自己正当化の目標を遂げたい、というただそれだけのためにテロを仕掛けているだけです。

しかし、アメリカ、ソ連は、それを相手が背後にいて仕掛けたものと勘違いします。もちろん、本当に背後にいたケースも多々あります。

幸いにもエスカレーションは阻止できましたが、阻止できなかった場合、それが第3次世界大戦にエスカレートした危険は存在しました。第1次世界大戦の勃発が、オーストラリア皇太子の暗殺というテロ行為から始まったのが良い例です。

つまり、テロ行為がテロ行為として地域限定であれば、他地域の人間は他人事で済みますが、得てしてテロ行為は、波及効果で、「~の名の下に」という「~」に所属している国家を巻き添えにして、その相対峙する国家との闘争、それも今度は、名乗りを上げた「戦争」にエスカレーションします。

テロはそういったエスカレーションの可能性を持った行為です。戦争もしかりですが、戦争の前にテロリズムを撲滅する必要がありそうです、というのは、こういうわけです。

例えば、

★日本に真の国民主権社会を築くために天皇制を打破しよう。

なんて、「日本国民の名の下に~しよう」などという主張は、これだってテロ行為に近いですね。

日本国民という曖昧模糊とした存在(逆に曖昧模糊とした存在の方が利用しやすい?)を利用して自己の目的を達したいのですから。自己の主張する国民主権社会が、現行のシステムよりも優れている、国民の多数にメリットがある、というのならば、まずその定義、ビジョンを明確にして、現行のシステムよりもメリットがある、というのを明確にする必要があります。

その上で、天皇象徴制度のデメリットを述べ、それをもって、選挙という正規の手続きを踏めばよろしい。それとも、それが説明できない、多数派を形成できる自信がないので犬の遠吠えを繰り返しているのでしょうか?

この主張をテロ行為でなくすためには、正規の選挙手続きを経て、政権を担い、多数派を形成し、国会議員の2分の1を掌握し、国民の2分の1が賛成するように憲法を改正し、その上で天皇制を廃止すればよろしい。

その手前はおろか、国民の合意を受けない少数意見(国民の半分以上が天皇制廃止と言ってない以上少数意見ですね)の状態で、「日本国民の名の下に~しよう」など主張する事は許されません。

何かの権威を、抽象的な曖昧模糊とした存在を利用して、正義の名の下に、自己主張を遂げる行為をするなどといった事は、これはテロ行為と同様な事です。

劣化ウラン使用という名の下に、アメリカの現政権を非難するとか、イラク派遣の名の下に、日本の現政権を非難する、というのもトリッキーな行為です。

劣化ウラン使用は、劣化ウラン使用として判定する、イラク派遣はイラク派遣として判定する。その判定の元に対抗案を具体的に主張し、そして、アメリカの現政権が間違っている、政権の名に値しない、同様に、小泉政権が間違っている、アメリカ追随だ、というなら、正規の選挙手続きでその政権を倒せばよろしい。

なんでもかんでも、自分の主張に結びつけようという行為は危険です。違憲だ、違憲だ、というのも、憲法の名の下に主張しているだけですね。違憲の証明をする説明、行為、提訴をしないで、違憲も糞もあったものじゃない。

手順を踏んで違憲証明を行うのが、それこそ憲法という原則に書いてある事ではないですかね?違憲だ、などと証明(判決)抜きで主張する行為こそ、エホバが「神の名をみだりに使うべからず」と言った事の轍を踏んでいる。何かに名を借りて、何かを非難する、行動を正当化する、というのは、こんな危うさを秘めているものではないでしょうか。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://franklloyd.blog68.fc2.com/tb.php/279-acd7106a

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。