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テキサスのサボテンを、日本の水田に移植してうまくいくはずがない 

民主主義、という絶対一つの定義され固定された政治形態があるわけではありませんね?英語と同じです。あらゆる国で、英語表現は形態を変え、その国の母国語と融合し、地域性を反映し、日々変化しています。

私の義兄は生粋のイングリッシュですが、彼の英語は、イングリッシュですので、発音は曖昧、イディオムは難解、とても万国で通用する英語ではありません。過去、東南アジアで出会った、また、中国で会った、欧米系企業の担当者の英語も千差万別。語彙の守備範囲も国々で異なります。

民主主義も、この英語と同じですね。日本には日本型民主主義が必要で、まだ戦後「たった」61年しか経過していません。まだまだ、変化し続けなければいけませんし、その努力を怠ってはいけません。

他の国の民主主義は、サンプルになるとはいえ、そのまま移植するのは危険です。テキサスのサボテンを、日本の水田に移植してうまくいくはずがない。

また、あらゆる政治形態には、「全くの構成員の自由」という事は存在致しません。権利には制限も存在致します。ところが、普段は制限されない自由すら行使しないのに、それが制限される事態にはいたく敏感に反応するのが日本人ですね。移動の自由の制限は、憲法でいくら謳われているとはいえ、他の構成員の不利益になる際には、制限も必要ですし、政府は、その制限の期間・範囲を明確にした上で、どんな反対があろうと制限すべきなのです。

「人に迷惑をかけなければ何をしたって自由」という悪しき戦後日本民主主義の誤解は、「制限」されなければいけません。

・・・

私は、最近「臼」と「杵」と「餅」を考えます。みんなが餅を一生懸命つくのは餅を食いたいからです。ところが、ある組織構成員は、餅を論じるのではなく、杵を論じます。或いは、臼を論じます。杵と臼が汚染されている。それでついた餅を食うのはイヤだ!という訳です。

「臼」が「国家・国民」だとして、「杵」が複数あり、「政府」「官僚」「産業界」「学会」「マスコミ」などがあり、「民主党」とか「社民党」「共産党」などという「杵」もあります。「NPO」なんて杵もありますね。

ひとつの「杵」だけではなく、複数の「杵」で餅がつき上がるわけです。その餅がうまければ、どの杵だろうと、どうでも良い。私が、プラグマティックな考えをする由縁ですが、それが気にくわない人たちがいる。

一番でかい杵になりたい、というわけです。だけどねえ、「臼」の「国民」の中には、その「赤い」「杵」が嫌いな人たちがいる。

そこでね、「赤い」「杵」は、「緑の」「杵」に一部色を塗り替えて誤魔化そうとしている。いわくの、「緑の」環境NPOとか、発展途上国支援の「緑の」NPOとかね。でも、実態は、杵の表面を削ると真っ赤っか。。。

例えば、成田空港闘争なんてありましたね?(か、過去形か?)成田空港、という命題も、命題自体が風化したら、その命題に沿って作られた組織は用済みのはずですが、いったん作られた組織は、それ自体が生命を持ち始め、類似の命題を探して生き延びようとします。

彼らにとっては、「臼」を壊す行為であっても、一番でかい杵になりたい、というのでしょうね。やれやれ。

私なんか「赤・緑」の杵の連中には唾棄される存在でしょうね。私は右翼ではありません。右とか左とか、2元論の概念の範疇外の人間です。しかし、「赤・緑」の杵の連中は、そのカテゴリーに当てはめたいのでしょうね。

・・・

世界で困っているのはイラクばかりではありません。皆が忘れたアフガニスタンもチモールも、アフリカも、NPOの出番はたくさんあります。イラクでの援助が困難なら、同じNPOの援助活動、他の国でもいいはず。それを、なぜイラクにこだわるかというと、金になる機会と踏んでいる人、名をあげる機会と踏んでいる人、結局、個人の思惑ですよね。くだらん。

さらに、日本の政局と結びついて、イラク問題を政局に絡めたい団体がたくさんある。政府だって、似たような意図がありますが。

何度も発言しているのですが、私はそれはもう共産党・極左が嫌いでして。大学時代からことある毎に邪魔してます。

なぜか?

自分の頭で考えない人間、結論を先に作り上げて、物事の様態を考えない、観察結果を恣意的にねじ曲げる、というのが、物理学、及び、私の美術の血にそぐわないからです。物理学は、結論を先に作り上げる学問とは対極をなす学問です。美術は、個人の才能次第で、年齢も組織も生い立ちも関係ない分野です。その立場からすると、共産主義・社会主義は対極にあり、私の「敵」なのです、個人的にね。

大衆は真実を望んでいない。真実というのはあまりに明解なものではない。真実は複雑で、大衆が聞きたいと思っている物とは限らない。人々は単純で確実な物を求めている。そして、自分たちの偏見が脅威にさらされる時にはひどく残忍になる。真実は敵になり、彼らは命をかけてそれと戦う。

というのは、塩野七生さんの言葉ですが、その通り。

真実というのはあまりに明解なものではない』ので、絶対的な悪、絶対的な正義がない

というと、大衆はガッカリしますね。でも、じゃあ、なんなんだ?と理解し始めなければいけない。偏見と先入観を持ってはいけない。それは捨て去るべきものです。

タマネギ、にんじん、ジャガイモ、椎茸、豚肉、牛肉、さまざまなスパイス、これを、TVや報道機関が彼らのレシピで、素材がわからなくなるまで煮たり焼いたりして、提供し、それを食するだけ、というのは止めにしなければいけません。

素材を、下手でもいいから、自分のレシピで調理して、自分なりの味付けをしなければいけない。みんな、自分のレシピを作り上げる、これが民度を深く広くする道です。もうインスタント物や店屋物には飽きたでしょう。

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