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アイシュタインとその時代 

FI323807_0E.jpg国際結婚をしていると(変な現在進行形ですが。。。)日常茶飯事に、その人種の違いというのを実感致しますが、凡々と日本人の中で生活し、結婚し、子供をなしただけの人たちに、理屈ではわかっても、体で体感した人種の壁や、考え方の違いなんて、そうそうわかるものでもありません。

現在、日本では結婚数の4.5%(2000年統計、伸び率の平均で2004年では6~7%)が国際結婚になっています。これから、どんどん『合いの子』が生まれてきます。あえて、『合いの子』と書くのは、将来必ず、この『合いの子』の問題が多くなると思っているからです。純粋大和系日本人は、千数百年に渡って、自分ら大和系に生活一般を合わすのが普通だと思ってきた人種です。これから、そうではない、という事が如実にわかってくるのでしょう。


ちょっと前のニュースで、「テニアン島でエノラ・ゲイに積まれた原爆の記念碑が出来ましたが、広島・長崎の原爆被害に言及してはいなかった」などというの記事が紙面に出ておりました。まるで、加害者ではなく、原爆に関しては被害者であるかのように。それで、傷を帳消しにするように。

考えてみて頂きたいが、

もし、1944年に、日本が原爆を開発して、その輸送条件が整っていたら(重爆があり、飛行基地を確保していたら)、その当時の大日本帝国政府はためらわずに、米国領土に原爆投下していたでしょう。幸いにも、我々は原爆を持っていなかった。原爆を持っていて、投下していたら、さらに悲惨な戦後になったかもしれません。

つまり、倫理的に日本が高潔だったから原爆を落とさなかったのではなく、単に持っていなかっただけに過ぎない。アメリカも同じ事。持っていて、戦争の早期終結をはかりたかったから投下しただけです。

スミソニアン博物館で、エノラ・ゲイの模型が公開されて、日本の団体が広島・長崎への言及が少ないと文句を言ってましたが、では、呉とか佐世保とかで、ここは真珠湾攻撃の南雲艦隊が出撃した忌まわしい地である、とデカデカと碑文でも出てますか?お互い様というものです。

いい加減、被害者意識も大概にしないといけませんし、卑屈な加害者意識もこれまたいい加減に払拭する必要がある。

なぜ、『正しい加害者意識』『正しい被害者意識』が一般日本国民に湧かないか?簡単です。日本にだけこもっていて、外界をしらない田舎っぺだから、近隣の国の国民感情がわからないだけです。え?海外旅行?そんなもので、わかるわけないよね?だから、日本独特の突飛な考え、非現実的な考えが生まれるのです。そういう意味では、日教組の歴史教育ではない、正しい相対的な、人種意識を持つように誘導する教育が必要と思いますね。

しかし、日本が敗戦を迎え、得たりと再度植民地経営に乗り出してきたオランダ、ポルトガル、イギリスを追い返したという副作用が有ったのも確かです。まあ、民族自決が、その地域の民族の最大幸福となるとは必ずしも言えませんがね。東チモールは永久に独り立ちできないのではないか?と思います。これは、いったん物乞い国家となったら、それから離れられないのは、川崎のホームレスも一緒だからです。

尊厳って、いったん失うと取り戻すのにコツがあります。それはね、単純。負けた喧嘩にもう一度勝つってのが一番の近道。でも、もうそういうご時世ではありませんので、後は、国民の民度をあげるしかない。でも、日本人は、尊厳失って60年以上経ちますが、いつ取り返せるのかな?戦争をしないで国家の尊厳を取り戻す方法は?難しい問題です。

FI323807_1E.jpgという事で、唐突ですが、テニアンとスミソニアン博物館の原爆の話題を出しましたので、その原爆と縁の深い、アインシュタインのお話でも。

さて、主に原爆投下と日本に関してアインシュタインの考えの変遷を年代を追って整理してみます。

【1922年】

アインシュタインは日本の出版社「改造社」の招待を受けて日本を訪問した。当時の世界情勢は、あのナチスドイツのユダヤ弾圧がまさに日に日に強くなってきている時代であった。そんな時代で、その弾圧からの一時的な安らぎも、この日本訪問で味わっていた。

アインシュタインは、船上でのインタビューに対し、以下のように答えた。

-日本訪問の目的は?

「それは2つあります。1つは、ラフカディオ・ハーンなどで読んだ美しい日本を実際に自分の眼で確かめてみたい。とくに音楽、美術、建築などをよく見聞きしてみたいということ、もう1つは、科学の世界的連携によって国際関係を一層親善に導くことは自分の使命であると考えることです。」

日本への訪問の途上、日本郵船の「北野丸」で40日間の航海中の日記で、アインシュタインは日本のことをこう述べている。

「飾り気のない日本人たち、友好的、まったくペダンティックでなく、個性的なところはない。日本人は疑問を持たず非個性的で、自分に与えられた社会的機能を晴れやかに尽くし、思わせぶりもなく、しかもその共同体と国家に対して誇りを持っている。その伝統的な特色をヨーロッパ的なものの故に放棄して、その国民としての誇りを弱らせることはない。日本人は非個性的だが、実際はよく打ち解けている。おおむね社会的存在として自己自身のためには何も所有しないかのようであり、何かを隠したり秘密にしたりする必要はないようだ。」

「個人がそれぞれ感情表現を抑圧するという(日本的)躾けは、ある内的な貧しさ、自分自身の抑圧を生ずるだろうか?私はそうは信じない。かような伝統の発達は、確かにこの国民に固有な繊細な感じや、ヨーロッパ人よりもずっと勝っていると思われる同情心の強さによって容易にされた。・・・どれほどしばしば日本人は荒々しい言葉をあえて使い得ないことで、それを虚偽または不正直であると解されていることだろう。」

「なお私の心にある1つのことがひっかかっている。確かに日本人は、西洋の精的所産に感嘆し、成果と大いなる理想とをもって学問に沈潜している。しかしながらその場合にも、西洋よりも優れて持つ大いなる宝、すなわち生活の芸術的造型、個人的欲求の質朴さと寡欲さ、および日本的精の純粋さと静謐さを純粋に保たれんことを。」


以下は、アインシュタインが日本訪問の感想として残した有名な言葉である。

「近代日本の発展ほど、世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界の1ヶ所位なくてはならないと考えていた。世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れる時が来る。その時、人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた、最も古く、また尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々はに感謝する。我々に日本という、尊い国をつくって置いてくれたことを・・。」

【1930年12月】

アインシュタインは、アメリカを訪問したときに、彼の平和思想を語った。その中で、アインシュタインは、戦争を阻止するための具体的な方法を示した。アインシュタイン曰く、

「現在、さまざまな国の人が、国家のために、殺人の罪を犯していることに気づいてほしいと思います。いかなる状況でも、兵役は拒否すべきなのです。兵役を指名された人の2%が戦争拒否を声明すれば、政府は無力となります。なぜなら、どの国もその2%を越える人を収容する刑務所のスペースがないからです。」

この演説は、アメリカ人に、熱狂的に迎えられ、若者の襟を「2%」と書かれたバッジが飾っていった。

【1933年】

アインシュタインは、ナチスの迫害を逃れて、アメリカに亡命した。この時、アインシュタインは、それまでの平和思想を、突然くつがえし、ナチスへの対抗を訴えた。アインシュタインは、ロマン・ロランと平和主義の同志として長い交流を続けていた。そのロマン・ロランにアインシュタインは、つぎのような手紙を送った。

「私がお伝えすることは、あなたを驚かすでしょう。もう、兵役拒否が有効な時代は終わりました。今こそ、武器を取って立ち上がるべきです。」

アインシュタインの態度の変化に対して、ロマン・ロランは、日記に、こう書いた。

「かかる精の弱さが、一人の科学者の精に見えるとは・・・。アインシュタインの知性は、自然科学の分野では天才的であるが、それ以外では、あいまいで、自己矛盾している。」

【1939年8月2日】

レオ・シラードの要請を受けて、アインシュタインは、ルーズベルト大統領宛の原爆の開発をうながす手紙に署名した。アインシュタインは、シラードが手紙を持ってきてから、2週間悩んだすえに、署名したのだった。

FI323807_2E.gif

戦後撮影された奇妙なフィルムが残っている。シラードが、アインシュタインから、原爆開発のサインをもらう場面を、わざわざ、再現したものである。なぜ、アインシュタインが、このフィルムの撮影に協力したのか--撮影の目的は不明である。しかし、アインシュタインが、原爆開発を促す手紙にサインをした行為の正しさを確信していなければ、戦後、この撮影に協力することはなかったはずだ。

【1944年】

アインシュタインはパイプに火をつけながら言った。

「・・・ところで、なんの話でしたか?ああ、そうだ--大衆は何も理解していない。1914年にわたしが戦争への協力を拒んだことで、わたしは、”平和”というのがお題目によって単なる幻想以上のものとなり得るかのように、平和のためにはどんな代価をも支払わせようとする、例の平和主義者のひとりだということにされてしまいました。」

「もちろん国家間の諸問題の解決方法としての侵略や暴力は非難します。長い目で見れば、より大きな不平や問題につながるだけですから。しかし、やむを得ず防衛の準備をすることばそれと同じではない。ヨーロッパを食いつくすあの怪物は、いわば文明組織の癌です。感染した身体は、抗体を動員してその異質のものを破壊します。惑星単位の器官もそうでなければならない。言いかえると、残念なことだが、力によってしか抑止できない悪があることをわたしは認めます。彼らの善性に訴えることは、ウイルスに道理を説くのと同じくらい無意味なのです。」

「だからベルギーで、若者は兵役につくべきだろうかと聞かれたとき、わたしは単にそうするだけでなく、喜び勇んでそうするべきだ、それがヨーロッパ文明を救う手助けになるのだから、と答えました。しかし、わたしの立場をずっと誤解して、わたしを守護にしようとしていた平和主義者は怒りの声をあげ、わたしを”裏切り者″と非難しました。」

-たぶん彼らは、むしろ前後が矛盾しているということで責めたのでしょう?

アインシュタインは首を振った。

「実は矛盾などしていない。わたしは軍国主義の礼讃や、どんな種類にせよ、力による自由の抑圧には反対する。25年前には戦争に反対することがこの目的にかないました。しかし、今日の状況では、自由諸国が生きのびる唯一の希望はその軍隊の強さにかかっています。したがって、表面上は違っても、両者は深いレベルで同じ目標にむかっているのです」

ちょっと考えこみ、そしてふと目を光らせた。

「あるいはこういうべきかもしれない--”あらゆるものは相対的だ”と。」

「世界のはとんどは、いまだに科学とは何なのか、漠然とした概念さえつかんでいない。巨大な人喰いキャベツで世界を支配しようとしている白衣の狂人たちのことだと思っていたり・・・、でも科学とは、電気や重力や原子みたいなもののことではありません。それらは科学的方法で調べられる対象にすぎず、科学とは手続きそれ自体のことです--そういうものを、いや、対象はなんでもいいが、それを調べる手順です。何が本当らしく、何が本当らしくないかという結論に到達するための手順なのです。それがすべてです。最終結果は一応頼りになる情報にすぎません。でも、何を信じるべきか、何が真理で何がそうでないか-を知ることば、おそらく人間が存在しはじめたときからずっと取り組んできたいちばん重要な問題でしょう。その答えを得たと主張するどれだけ多くの”~~イズム”や”~~学”が発明されたことか--そしてそれらの答えの価値は?」

「そうした体系の多くは、これこそ自明と思われる何かを立証ないし正当化することから手をつけました。しかし、もし本当に真理が知りたいのなら、この方法で先へ進むことは期待できない。科学はそういうことはしません。その目的は実際にそこにあるものを--現実にあるがままの世界を--理解することであり、そしてその現実がどういうものであろうとそのまま受けいれる。あなたやわたしの先入感や、賛同を得なければならない人の数などには、なんの影響も受けません。真理は何物にも動かされず、干渉もされない。科学者が討論技術にあまり注意を払わないのはこのためです。そういうものは法律家と神学者に任せておけばいい。自説を提示するさいの言葉の巧みさや感情的な訴えかけは、それが正しいか否かにはなんの関係もありません」

「きちんと方式化された常識。目的は世界をあるがままに理解することで、とくに誰かに何かを納得させることではないから、詐欺や、とりわけ無意識の自己欺瞞が入りこむ余地もない。自分自身を欺きとおすわけにはいかない。自分の誤りを見つけそこなえば、最終的には、こしらえた飛行機が飛んでくれない。自然の法則を欺くことはできないのです。だから、科学の手順という織物自体の中には、基盤となる強い倫理別が織りこまれていることになる--この点が見落とされていることがあまりにも多い。人間活動のはかの分野でも、真理がみな同じだったらすばらしいと思いませんか。」

「そんなわけで、科学は、真理と思われるものを支えてやろうとはせず、それとまるで正反対のことをします。考え得るかぎりのやりかたでその説を打ち倒そうとする。そのために実験が立案される--理論の誤りを証明するために。そしてもしその理論が生きのびれば、それだけ強力になるわけです。こうして進化の過程のように--いや、まさしく進化の法則によって--科学はつねにみずからを試し、訂正していきます。科学は疑問、挑戦、異議、批判によって成長します。それをもっとも無情な精査にかけるのは科学自身なのです。こうして、科学は健康を保ち、たくましく成長していくのです。それにしても、信奉者たちを別の意見や違った説明に触れさせようとしない思考体系の、なんと哀れでか弱いことか--そのような体系は、答えられない質問を禁止し、太刀打ちできない相手を抑圧せざるを得ない。そのあげく、しぼんでいき、死んでしまう。結局いつでも、抑圧する側がその犠牲となるはずの人々によって葬られることでけりがつくのです」

アインシュタインは口からパイプを放して重々しくうなずき、

「ヒトラーと彼の”千年帝国”もそうなるでしょう」と聴衆に請けあった。「だからこそ、みなさん、わたしは人間を信じつづけているのです」


【1945年5月7日】

ドイツ全土は、連合軍による激しい空襲にさらされ、主要な都市は、壊滅的な打撃を受けた。5月7日、ナチス・ドイツは連合国に全面降伏した。しかし、ドイツ降伏後も、日本軍は連合国と戦い続けていた。アメリカ軍の沖縄上陸によって、日本の降伏は目前と思われたが、もしも、このまま、アメリカ軍が日本本土上陸を敢行すれば、アメリカ軍にも多くの死傷者がでることは明らかだった。

アインシュタインにとっての敵であったナチス・ドイツは、完全に滅んだ。野獣の集団が野獣にふさわしく葬り去られたのだ。彼の心は、すがすがしいものに満ちあふれていた。しかし、その後の日々、アインシュタインは、恐ろしい予感にさいなまれた。

「日本がまだ降伏していない。アメリカの原爆研究は、まだ続いている。私が日本を訪れたのは、1922年11月だった。形を喜ぶ目を持つ日本人、自然と人間が一つに結ばれた日本、そこには、数多くの友人がいる。確かに、この戦争中、日本がアジアで行った非道な行為は、ナチス・ドイツにくらべても、ましとはいえまい。だが、日本は、私と私の家族を、殺そうとはしなかった。その日本が、原爆投下の危機にさらされている。」

ドイツ降伏が目前となった頃、原爆の開発に、たずさわった科学者の中から、原爆の使用に反対する動きが出てきた。大統領宛の原爆投下反対の請願書が作られ、多くの科学者の署名が集まった。

ナチス陥落の2ヶ月前、シラードは、アインシュタインと会い、ふたたび、大統領への手紙にサインするよう求めた。原爆の日本投下を阻止しようと、シラードは、大統領に働きかけるつもりだった。原爆開発を進めるにも、原爆投下を止めるにも、アインシュタインの名声が必要だったのである。アインシュタインは、ふたたび、シラードの意見に同調しサインした。しかし、この手紙を読まないまま、ルーズベルト大統領は死亡した。

「O weh!(ああ悲しい!)」

アインシュタインは、広島に原爆が投下されたことを知ったとき、そう叫んだと伝えられる。

戦後、ようやく、原爆の被害写真が公表された頃、アインシュタインに、手紙を書いた日本人がいた。アインシュタインから、返ってきた書簡は、いま、東京の地下金庫に保存されている。なぜ、平和主義者のアインシュタインが、原爆の開発を進めるルーズベルトの手紙に、署名したのか--アインシュタインの平和思想の根本を鋭く問いただしたのは、雑誌『改造』編集者の篠原正瑛(しのはらせいえい)だった。

【篠原の手紙】

「その第一の目的が、人類の福祉と幸福に奉仕すべき科学が、なぜにあのように恐ろしい結果を、もたらすようになったのか。偉大な科学者として、原爆製造に重要な役割を演じられたあなたは、日本国民の精神的苦痛を救う資格がある」

アインシュタインは、礼儀に反して、あえて、篠原の手紙の裏に返事を書いて、送り返してきた。そして追伸には、

「人を批判するときは、よく相手のことを調べてからにすべきだ」

と、怒りをあらわにしていた。アインシュタインの返信には次のようにある。

「原爆が、人類にとって恐るべき結果をもたらすことを、私は知っていました。しかし、ドイツでも、原爆開発に成功するかも知れないという可能性が、私にサインさせたのです。」

そして、アインシュタインは、戦争が許される条件を示した。

「私に敵があって、その無条件の目的が、私と私の家族を殺すことである場合です。」


参 考:

ラッセル・アインシュタイン宣言
アインシュタインの平和思想とルーズベルト大統領への手紙
アインシュタインと日本
アインシュタイン博士が語る天皇
アインシュタイン「神を語る」から抜粋
神のパズル解読に挑んだ アインシュタイン
-アインシュタインの言葉より-
アインシュタインの略年譜
Table 1914
哲学者としてのミヒャエル・エンデ、彼の哲学
第4話 原爆投下の是非
我が子に伝える誇りある近代史
Letter to F.D.R.
資料集
アメリカのユダヤ人から政府に向けた公開書状
74歳のシンクロニシティ
NHK「アインシュタイン・ロマン」
ヒトラーについて語ろう
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コメント

アインシュタインのその文章は

そのアインシュタインの言葉は捏造です。
本当は田中智学という思想家が作った言葉です。

そうそう、みんなそういいます。

そうそう、みんなそういいます。

それを指摘して面白がる人もいる。

しかし、どの部分が捏造で、どの部分がそうなのか?などとキチンとみな言わない。

>そのアインシュタインの言葉は捏造です。
>本当は田中智学という思想家が作った言葉です。

だからどうなのかなあ。。。と。

私は知っている!と表明しても意味ない話ですね。

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