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マインドセットされた者の心理学(6) 

司馬遼太郎の「坂の上の雲二(文庫版)」の26ページに、「日清戦争とは、なにか?」という記述があります。その中で、

国家像や人間像を善玉とか悪玉とかいう、その両極端でしかとらえられないというのは、いまの歴史科学のぬきさしならぬ不自由さであり、その点のみからいえば、歴史科学は近代精神をよりすくなくしまもっていないか、もとうにも持ちえない重要な欠陥が、宿命としてあるように思える。

他の科学に、悪玉とか善玉とかいうようなわけかたはない。たとえば、水素は悪玉で酸素は善玉あるというようなことはないであろう。そういうことは絶対にないという場所ではじめて科学というものが成立するのだが、ある種の歴史科学の不幸は、むしろ逆に善玉と悪玉とわける地点から成立してゆくというところにある。

と述べています。これは、明確に記述するのを司馬遼太郎は避けたわけです。なにせ、「坂の上の雲」が産経新聞の夕刊に連載されはじめたのが昭和43年(1968年)。70年安保の2年前。ハッキリとこの、

ある種の歴史科学」 = 「唯物史観

なんて書こうものなら、あの左翼全盛時代ですから何を言われたかわからなかったでしょうね。恐ろしい。

現在は良いのですよ。そういうくだらん左翼はプロ市民とか社民党とか共産党とか、民主党の一部という着ぐるみで細々と生きているだけです。もう何の力もありません。

司馬遼太郎が言っているように、科学に善も悪もありません。善とか悪があるのは宗教の世界です。え?善玉ホルモンとか悪玉ホルモンとか生物学では言っているって?そりゃあ、生物学ではなく、家庭の医学のレベルでしょう?生物学の記述では、あくまで、あるホルモンは老化を抑制する効果があるとか、あるホルモンは癌を誘発する効果があるとか述べているに過ぎません。
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