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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(6) 

吹いて飛ぶような団塊の世代、サヨクの空想的平和主義者、護憲論者をいくらいじめてみたところで、それら護憲論者が意味のある提案を一つでもしているわけでもなし。本論に戻りたいと思います。本論は、

ラッセル・アインシュタイン宣言憲法9条

です。

ラッセル・アインシュタイン宣言憲法9条 その一」の引用、第51回パグウォッシュ会議報告(2002.3)のところで述べたように、

ラッセル・アインシュタイン宣言にある「あなたの人間性を心にとどめ、その他のことは忘れよ」という精神は、国家の利害を超越することにおいて日本国憲法(とりわけ第9条)の精神にも通じているであろう。


などという、偏狭な日本人にのみ適用され、日本国が平和だったらいいや的な日本国憲法と、ラッセル・アインシュタイン宣言のどこが精神が似通っているのか解りません。狭量であり、傲慢でさえある、日本さえよければよいのだ、という護憲派の主張、無防備都市宣言賛同者の主張と、ラッセル・アインシュタイン宣言を比較することなどできないと思うのですが。

このような立場に立って考えてみるとき、実際の討議の場においてこうしたパグウォッシュ精神が十分に生かされていないのではないかとの感想を私はもった。個々の参加者はとりわけ国家の利害に制約されていることを事実として否定することはもちろんできない。しかし議論を深める過程において、そうした段階にとどまるかぎり、パグウォッシュ会議の積極的な存在意義は見失われてしまうのではないか。少なくとも今回の会議では、参加者の国家からの独立性という観点がほとんど意識されていないような印象を私は受けた。もちろん参加者の一人として私はそうした方向での問題提起をWG討論の中で積極的に打ち出すべきであったのだが…。しかしこうした印象をもったのは会議の運営の仕方にもよったであろう。事前にレポートがわたされ、全員がそれを読んだ上で、(問題の設定をも含めて)自由な討論が行われていたなら、もっと豊富ないろいろな意見が出ていたに相違ない。


私が述べたい本論である「ラッセル・アインシュタイン宣言憲法9条」とは、宣言がなされた1955年と今日の状況で異なる部分、時代に合わない部分を改訂した新たなラッセル・アインシュタイン宣言を述べることと、その宣言の根本原理を踏まえた新たな日本国憲法とは何か?を述べることです。この「第51回パグウォッシュ会議報告」に関してはあとで述べようと思います。そもそも「パグウォッシュ会議報告」なんて既に忘れ去られている会議ですので、解説も必要かと。
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