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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(7) 

ラッセル・アインシュタイン宣言憲法9条の護憲主義が似て非なるものだと言うと、怒る人も多いかもしれない。しかし、これは事実です。

「日本が戦争に巻き込まれないよう、九条を守りたい」なる動機は、人に迷惑を与えなければ何をしても自由という戦後民主主義の大いなる誤解と同列であり、非常に低次元、最低限の民主主義的考えに基づくものです。

以前書きましたが、民主主義というものはさまざまなレベルがあります。そのレベルを4段階で述べると、

① 自己利益の追求と共に、社会への貢献を目指す
 ↓
 性善説の儒教的な世界

② ルールの遵守に加えて社会の共感が得られないような行動は取らないように自制する
 ↓
 アダムスミスの道徳感情論的世界

③ ルールに違反しない限り何をするのも自由
 ↓
 倫理に中立な自由主義的世界

④ 発覚しなければルールを犯しても得になることをする
 ↓
 韓非子的な性悪説の世界

戦後の日本は、憲法の成立過程でもわかるように、国際社会で自主的に何かを決められたことはありません。戦前の善きこと、一部の倫理感情や「自己利益の追求と共に、社会への貢献を目指す」という理念が、大東亜共栄圏をぶち上げたために危険思想になりました。自己利益の追求と共に、(国際)社会への貢献を目指すという能動的な行いが、せいぜいODAによる援助と幾度も繰り返されてきた第2次大戦への懺悔と、そして、憲法第9条にある「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という受動的かつ消極的行動に留められてきました。

憲法でいくら高邁な理念、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」するという理念を述べようと、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という自らの禁じ手を定めることをしようと、実際に国際社会で可能な行為は、

① 自己利益の追求と共に、社会への貢献を目指す

でもなく、

② ルールの遵守に加えて社会の共感が得られないような行動は取らないように自制する

でもない、せいぜいが

③ ルールに違反しない限り何をするのも自由

というものでありました。

これは、戦前を捨て去るという愚劣な行為のためには仕方がないことです。なぜならば、戦前とひとくくりにされる悪しき時代がせいぜい1945年以前の20年間から40年間という日露戦争後の異常な世界であるにも関わらず、それ以前の千数百年間の善き文化まで一緒くたに葬った形跡があるからです。

その葬られた中には、天皇制とはいささかも関係のない日本的なもの、縄文・弥生時代から続いてきた日本の文化もたぶんに含まれています。

倫理とは何でしょうか?辞書には「行動の規範としての道徳観や善悪の基準」と書かれています。では道徳とは何でしょうか?辞書には「社会生活の秩序を保つために、一人ひとりが守るべき、行為の規準」と書かれています。

もしも、アメリカやヨーロッパの諸国が戦争に敗れたとしても、それはキリストが言ったように、「カエサルのものはカエサルに。神のものは神に。」ということで、戦争を行ったカエサルたる政治家他その国の国民と神は別物です。キリスト教という倫理道徳観念を捨て去る必要はありません。

ところが、万世一系たる天皇制と、その天皇制を維持するためにむりやり国家神道化された日本人の倫理道徳観念が一体視されたために、それを否定し葬り去る他はありませんでした。

しかし、日本古来の日本教たる神道仏教混淆倫理観念は、本来は天皇制とは関係のないものであり、慶応4年の廃仏毀釈以前の日本人もよく知っていたはずなのです。

話がそれましたが、日本古来の日本教たる神道仏教混淆倫理観念を葬り去ったために、戦後の日本の民主主義は、冷戦というものもあり(日本が武力での関与ができないため)、

③ ルールに違反しない限り何をするのも自由

という貧困なレベルにとどまらざるを得ませんでした。

国家の理念は国民感情にも影響するものです。国家が「ルールに違反しない限り何をするのも自由」と、自由な分野での経済活動を主に行った結果、国民も「ルールに違反しない限り何をするのも自由」と勘違いするのは無理のないことです。

憲法9条そのものは、押しつけられた憲法条項だとはいいながら、それはそれなりに素晴らしいものです。もちろん、国連憲章でも同じ事を言っているので、国連憲章を批准した国連加盟国全国家が同じ理念を共有するはずです。その点では、憲法9条など、世界に誇る憲法でも何でもありません。国連が共有する当たり前の理念に過ぎないのですから。

その憲法9条そのものではなく、憲法9条を絶対に守る護憲主義、これが、

③ ルールに違反しない限り何をするのも自由

という本人が自覚しない戦後の民主主義的考えと合体して、

「日本が戦争に巻き込まれないよう、九条を守りたい」

という言うも恥じるような低次元の思想になったのではないかと思います。

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