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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(9) 

戦後、学校教育でよく教えられたのが、「相手のことを思いやりましょう」という言葉。これほど傲慢な言葉があるでしょうか?

私は相手のことを思いやった、どうだ!
私は思いやって争いをしないぞ、どうだ!
倫理的には私が優位だ、どうだ!

※「思いやり」に関して補足しておきます。現代日本の学校教育の思いやりは方法論の欠如があります。方法論抜きで、お題目だけの思いやりだから問題であって、方法論を備えた思いやりに異を唱えることではありません。
参考:モラル育成における日米学校教育の違い

平成16年度 立川市立第三小学校経営の基本方針
本校の教育は、国際社会に貢献できる日本人を育成するため、教育基本法の理念、人間尊重の精神を基調とし、自分らしさを発揮し、生涯を通して生きる力をもつ児童を育てる。
健康でたくましい子
心身ともに健やかであり、
強い意志でねばり強く行動できる児童の育成
思いやりのある子
互いの立場やよさを認めあい、
協力しあって行動できる児童の育成
よく考え実行する子
よく聞き、よく考え、よく判断し、
自ら学ぶことのできる児童の育成


まあ、どの学校も決まって思いやりをスローガンに掲げるわけです。「互いの立場やよさを認めあい、協力しあって行動できる児童の育成」「互いの人格を尊重し、思いやりと規範意識のある人間」「自他を尊重し、協調と思いやりに充ちた社会性の涵養に努める」・・・良いことですよ、非常に良いことです。さすがの私も非難出来る点を見つけるのが非常に難しい。正論ですからね。

しかし、お互いがお互いを尊重する教育を施されているにしては、実が現れていないというか、現実はそうでもないというか。電車の中で床に座ったり、コンビニの前の路上で座ってたむろしたり。電車の他の乗客を思いやる、コンビニの他の利用者を思いやる、というのはないの?「お互いがお互いを尊重する教育」が知らない他人には干渉しない、という強固な村意識を形成していませんか?

やはり、方法論のない、スローガンだけの「思いやり」などは、共産主義のスローガンの「みんな平等!」と同じ結果を招くだけなのでしょうか?

自分の姿勢(思いやる姿勢)ばかりが強調された「思いやり」など、一方的な善意の押し売りです。「思いやり」などという無形有害の感情が何かを達成出来るか?というと怪しいものです。悪善意に満ちた言葉。これこそ偽善でしょう。

結局、「お互いの立場を尊重」ということに陥って、相手に踏み込む勇気をなくすのではないでしょうか?それでも、少なくとも相手の立場は尊重しました、という自分の清い姿勢のプレゼンスはできるわけです。これが偽善でなくて何であろうか?

他人のことを知るということは軋轢が伴うものです。民生委員が貧困家庭の調査に訪れてもほっておいてくれといわれるのが関の山です。町内の世話役が、子供を虐待にしている家庭を訪れても、俺の家庭に構わないで欲しいと言われるでしょう。引きこもりを持つ家庭にボランティアが訪れても、引きこもっている当人はボランティアを憎悪するでしょう。

他人のことを知るのに、ただ善意であるというだけで、争いも軋轢も何も起こらないと言うのは希望的観測に過ぎません。一方的であればあるほど、相手は反感を持ちます。相手を一人前扱いしていないということでもあります。自分の立場しか実は考えていません。

さて、軋轢を恐れて行動すればどうなるか?話せばわかるのか?

わかりゃしませんて。

中国が台湾に侵攻する際に、中国本土のみならず、中国の艦船・航空機に対するミサイルや精密誘導弾などの攻撃に対しては、核兵器で対抗してやる!という相手に対して、話せばわかる、という論法が通用するでしょうか?通用しませんって。

全ての軍備の廃棄というのは理想です。理想ですが、現在の状況というのはそれにはほど遠い。通常兵器の攻撃に核攻撃で対抗するという隣国までいるわけですから。

そういう隣国に対して、南風で「ルールの遵守に加えて社会の共感が得られないような行動は取らないように自制」させるように説得する方法があるでしょうか?

ラッセル・アインシュタイン宣言の理念を実現するには、「でなければいけない」「であるべきだ」などという原理原則をいくら述べてもダメです。理想主義的平和論では何も達成出来ない。

その理念を達成するためには、相手に対して、断固たる姿勢・断固たる態度を示し、相手のことを徹底的に研究する他はありません。能動的・積極的姿勢と行動を示すほかありません。

「至誠天に通ず」「人事を尽くして天命を待つ」などという、受動的・消極的な姿勢ではなく、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という孫子の兵法で行動しないといけないということです。

鬼畜米英で、相手のことを知る、敵性言語を学ぶのは非国民であると言われた戦前の軍国主義と同じように、自国の防衛と志を同じくする国を防衛するための軍事上の発言・研究を、軍国主義だと非難して封止する理想主義的平和主義の姿勢は違うように見えて、全く同じ事ですね。

争いをなくすためには争いが必要です。しかし、究極的な「全人類の存続」という理念を達成するためには、多少の争いなど軋轢程度にうつるでしょう。

もちろん、それで日本が軍備増強を行うという選択肢にはなりません。核を持つ必要もない。単に、国連憲章を遵守すればよいのです。

国連憲章の遵守とは何か?

専守防衛と集団的自衛権の発動です。

国連憲章

第1条【目的】

国際連合の目的は、次の通りである。

1.国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。
2.人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させること並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。
3.経済的、社会的、文化的又は人道的性質を有する国際問題を解決することについて、並びに人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること。
4.これらの共通の目的の達成に当って諸国の行動を調和するための中心となること。

第2条【原則】

この機構及びその加盟国は、第1条に掲げる目的を達成するに当っては、次の原則に従って行動しなければならない。

1.この機構は、そのすべての加盟国の主権平等の原則に基礎をおいている。
2.すべての加盟国は、加盟国の地位から生ずる権利及び利益を加盟国のすべてに保障するために、この憲章に従って負っている義務を誠実に履行しなければならない。
3.すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決しなければならない。
4.すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
5.すべての加盟国は、国際連合がこの憲章に従ってとるいかなる行動についても国際連合にあらゆる援助を与え、且つ、国際連合の防止行動又は強制行動の対象となっているいかなる国に対しても援助の供与を慎まなければならない。
6.この機構は、国際連合加盟国でない国が、国際の平和及び安全の維持に必要な限り、これらの原則に従って行動することを確保しなければならない。
7.この憲章のいかなる規定も、本質上いずれかの国の国内管轄権内にある事項に干渉する権限を国際連合に与えるものではなく、また、その事項をこの憲章に基く解決に付託することを加盟国に要求するものでもない。但し、この原則は、第7条に基く強制措置の適用を妨げるものではない。

第51条

この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持または回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。

※この51条の「安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」というのは、安保理が常任理事国の拒否権が1票もなく、賛成多数で被侵略国の防衛に国連軍を派遣する、という処置のことです。と、いうことは?もしも、侵略国が安全保障理事国そのもの、つまり、ロシアか中国の場合、拒否権一発、未来永劫国連軍など出来はしません。つまり、国連からの軍事的応援は望めないって事。自分で守るしかなさそうですな。

※朝鮮戦争で奇跡的に国連軍が編成された理由は、常任理「第2次大戦の役割で決まった」 中国国連大使をお読み下さい。もう2度と国連軍なんて編成出来ないよ。PKOがせいぜいですな。

※以上、集団的自衛権の行使以外、日本国憲法でうたわれている精神は国連憲章でもうたわれているのである。日本国憲法がとりたてて世界から認知されない、賞賛されないのは、国連憲章で言っていることと同じことを書いているからである。さらに、国連憲章は有事の具体的プロセスを述べているが、我が日本国憲法は有事を想定していない具体性に乏しい憲法である。こんなもの、クソの役にもたちゃしまいって。


侵略をされそうな他国に対して、もしもその侵攻が間違っているのなら、その国の主権を侵そうという侵攻なら、断固としてその国と共に防衛をする、というのが集団的自衛権です。

台湾への中国の侵攻はどうでしょうか?

中国は台湾を中国の一部分と定義しておりますし、日本は中国は一国であり、中国と台湾は未だ決着の付いていない2つの政体だと中国の圧力で定義しています。アメリカも同様です。

しかし、実質上、台湾は中国の国家主権の及ばない事実上の国家です。一党独裁制を採用している中華人民共和国と、全国民の選挙を実施している台湾(中華民国)とでは、どちらが日本の政体に似ているのか、誰が見ても明らかです。

さらに、台湾が併合された場合、中国と非常に近距離で国境を接するということになります。中国という国は、覇権主義に頑強に抵抗する途上国のトップでありながら、自国が覇権主義を自国に都合が良い際には採用する国家です。八重山群島、沖縄諸島が現在の国境の状態と同様、安全であるとは言い切れません。

中国が武力的な台湾の併合を目指した場合、日本は日本の安全保障上の理由で、同じ民主主義国家を守るという理由で、そして、アメリカとこの点では共通の利害を持つという理由で、集団的自衛権の発動を中国に対して行うという姿勢を見せる必要があります。姿勢を見せる、という戦後日本が取らなかった積極的姿勢を持てば、中国も日本のプレゼンスを考慮せざるを得なくなり、その行動の抑止になる可能性があるということです。

そのためにも、瀬戸内寂聴のような空想的理想的平和主義者の文士とは決別する必要があります。にきびの出はじめた童顔の中学3年生の少年のようなシンパ、その発言を批判なく拍手する聴衆とも決別する必要があります。

日本は、これから将来、民主主義の第2段階の

② ルールの遵守に加えて(国際)社会の共感が得られないような行動は取らないように自制する

に進むだけではなく、第1段階の

① 自己利益の追求と共に、(国際)社会への貢献を目指す

という物言う国家に進む必要があるのではないでしょうか。
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