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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(13) 

別ブログの「ラッセル・アインシュタイン宣言憲法9条 その11」のコメントに対するレスで、

面白い話です。似たような話ですね、護憲運動も。
護憲運動って、新憲法発布以来60年近く続いている運動、
なんて錯覚を覚えるじゃないですか?
でも、実際は、当初は保守系がまあまあ、とにかく発布しようと言っているのに、
共産党も社会党も、おしつけ憲法反対!って言っていたんですよね
あの頃は、共産主義社会が明日にでも日本にできるような錯覚があったから
自由主義諸国を攻撃出来ない憲法は邪魔だった。
それが、コロッと変わるんだからなあ。
イデオロギーや政治なんて、都合次第の、
オセロみたいなものですね。
憲法だって、都合次第で変えていけない道理はないと思います。
土井たか子や福島瑞穂に言わせれば、自分の党の主義主張は
変えるけど、憲法はイカン!という論理になる。
変ですよねえ。


と書きました。

時代を80年近くさかのぼらなければなりません。ロシア革命が終わり、新興国ソ連が全世界に共産主義を広める意義に燃え上がっていた頃の話です。

1928年コミンテルン第5回大会決議
「帝国主義戦争に反対する闘争と共産主義者の任務に関するテーゼ」

最近、帝国主義諸国家の政策は、反ソ政策と中国革命圧迫の方向に一歩前進して来たが、同時にまた帝国主義諸列国相互間の反目抗争甚だしくなり、反ソ戦に先立ちて帝国主義国家間に第二次世界戦争勃発の可能性高まりつつある。かかる客観情報は、第一次大戦に於いてソ連のプロレタリア革命を成功せしめたと同様に来るべき世界大戦は、国際プロレタリアートの強力なる革命闘争を誘発し前進せしめるに違いない。したがって各国共産党の主要任務は、この新なる世界戦を通じてブルジョア政府を転覆し、プロレタリア独裁政権を樹立する方向に大衆を指導し組織することにある。


昭和3年のこと。昭和3年のコミンテルンの大会決議なのですが、私には、1960年(昭和35年)や1970年(昭和45年)の安保騒動が思い出されます。もちろん、1960年は私は2才でしたので、後にものの本で読んだだけなのですが。

昭和3年の共産主義の決議が、昭和35年や45年にオーバーラップするということはどういうことでしょうか。

これは、このコミンテルン決議の亡霊が太平洋戦争を巻き起こし、日本を敗戦に導き、戦後のアメリカ占領中にもその亡霊が生き続けていたとしか考えられません。

資本主義の存続する限り戦争は避けがたい。だから戦争を無くするためには資本主義そのものを無くしなければならないが、資本主義の打倒はレーニンの実証した如く革命によらなければ不可能である。したがって世界革命闘争を任務とするプロレタリアートは全ての戦争に、無差別に反対すべきではない。即ち各々の戦争の歴史的、政治的乃至社会的意義を解剖し、特に各参戦国支配階級の性格を世界共産主義革命の見地に立って詳細に検討しなければならぬ。


プロレタリアートは全ての戦争に、無差別に反対すべきではない

共産主義を広めるためには、資本主義を撲滅せねばならず、そのためには戦争をむしろ起こして、資本主義国を誘導するという目的のためには手段を選ばず、というポリシーが貫かれています。

現代の戦争は、帝国主義諸国相互間の戦争、プロレタリア革命あるいは社会主義を建設中の国家に対する帝国主義国家の反革命戦争、プロレタリア革命軍、社会主義国の帝国主義国家に対する革命戦争の三つに分類し得るが、各々の戦争の実質をマルクス主義的に解剖することはプロレタリアートのその戦争に対する程度決定に重要なことである。


この時点では中ソ対立は想定出来なかったので、第四の「社会主義国の社会主義国に対する再革命戦争」は言われておりませんでしたね。

帝国主義諸国のプロレタリアートは、第一の帝国主義国家相互間の戦争の場合は、自国政府の敗北と、この戦争を反ブルジョア的内乱戦に転化することを活動の主要目的としなければならない。第二の反革命戦争の場合は、自国政府の敗北を助長し、プロレタリア革命軍を勝利させなければならない。また第三の革命戦争は世界革命の一環としてその正当性を支持し、プロレタリア革命国家を防衛しなければならない


プロレタリア革命あるいは社会主義を建設中の国家に対する帝国主義国家の反革命戦争

とは、まさに日本のシベリア出兵を考えたのでしょう。さらに、政治形態が違うとはいえ、偉大なるロシアを日露戦争においてやぶった大日本帝国は、自国政府の敗北を助長し、プロレタリア革命軍を勝利させなければならない存在であったのです。それは昭和3年当時の英米独仏などよりも、はるかに革命国家ソ連が滅ぼすべき対象が大日本帝国であったということです。

プロレタリアートは、政治権力を獲得し、生産手段を搾取者の手からもぎとるまでは、祖国を持たない。広く用いられている「祖国防衛」という表現は、戦争の正当化を意味する通俗的な表現である。プロレタリアートは、プロレタリア革命国家が帝国主義国家に対して行う革命戦争では、自分達の社会主義的祖国(註、当時はソ連を指していた)を防衛しなければならない。プロレタリア革命国家では、祖国擁護は必須の革命的義務であるが、帝国主義諸国では祖国擁護は許されない


「祖国防衛」という表現は、戦争の正当化を意味する通俗的な表現である

資本主義国であるのなら、その国家は戦争により葬り去られるべきであるし、その後に、プロレタリア独裁国家が成立する、成立させるという筋書きを書いていたわけです。だから、戦時中の共産党の細胞は、日本国家の敗北を願って活動していました。祖国が共産主義国家でない限り、それは祖国ではない、そのような国家は葬り去られるべきであるということ。祖国防衛という言葉は、プロレタリア独裁国家にしか当てはまらないと言っています。

戦後の社会党や共産党の日本国家軽視の言動も、元はと言えばこのコミンテルン決議の精神を踏襲しているからに他なりませんし、現在の過激派左翼はもちろんのこと、左翼傾向にある文化人、出版人、新聞人、マスコミ関係者も大なり小なり、このコミンテルン決議の精神に毒されているのはないかと思います。ですから、資本主義国である現在の日本国家においては、愛国心などはもってのほかですし、自衛隊が専守防衛するのも持ってのほかなのです。現在の政体の日本は、共産主義者にとって守るに値しない国家であり、愛国心を発露させる対象でもない。防衛、愛国心を発露出来るプロレタリア独裁国家でなければいけないということです。

共産主義者の帝国主義戦争反対は、一般平和主義者の戦争反対運動とその根底を異にしている。我々はこの反戦闘争をブルジョア支配階級覆滅を目的とした階級戦と不可分のものとしなければならない。蓋しブルジョアの支配が存続する限り帝国主義戦争は避け難いからである。

帝国主義戦争時に於ける共産主義者の政治綱領は、ボルシェビキ党がレーニンの指導下に、第一次帝国主義大戦に反対する英雄的闘争の中で作成し、適用したものと同じ綱領である。

(1)自国政府の敗北を助成すること

(2)後方における大衆の革命的行動と前線における交歓とを手段として、帝国主義諸国家の戦争をブルジョアジーに反対し、プロレタリアートの独裁をめざし、社会主義をめざすプロレタリアートの内乱に転化すること。

(3)帝国主義戦争の条件の下では、民主的方法による正義の平和は、主要な交戦諸国のブルジョア打倒とプロレタリアートによる権力の奪取なしには、不可能なるが故に、中心スローガンは平和ではなく、プロレタリア革命でなければならない。共産主義者は、平和に関するあらゆる空文句に対して精力的に戦わなければならない。ブルジョアは、戦争の内乱への転化を阻止する為に、重要な思想的武器として「平和の空文句」に訴えるからである。


まさに、昭和初期に日本を無用な満州経営に乗り出させ、満州だけに満足させないように、中国侵略を視野におかせ、矛先がシベリアに向かいそうになった矢先に、それをぐるりと太平洋に、アメリカに目を向けさせたのは、他ならない日米の共産主義者シンパの行動によるものです。もちろん、全てが全てとは言いませんが、日本の国家中枢、アメリカの国家中枢にソ連の細胞が浸透していたのは否めません。

帝国主義戦争を自己崩壊の内乱戦たらしめることは、大衆の革命的前進を意味するものなるが故に、この革命的前進を阻止する所謂「戦争との闘争手段」の適用を一切断固として拒否しなければならない。また大衆の革命的前進と関係なく又はその発展を妨害するような個人的行動を拒否し、プチ・ブルの提唱する「戦争反対の処方箋」の宣伝と戦わなければならない共産主義者は国際ブルジョアジー覆滅の為にする革命のみが戦争防止の唯一の手段であることを大衆に知らしめねばならない


プチ・ブルの提唱する「戦争反対の処方箋」の宣伝と戦わなければならない

これが昭和初期に日本に起こったそのものです。戦争を回避しようとする努力を無にするように仕立て上げ、日米がお互い戦い合うようにし向けたということ。

多くの共産主義者が犯している主要な誤謬は、戦争問題を頗る抽象的に観察し、あらゆる戦争に於いて決定的な意義を有する軍隊に充分の注意を払わないことである。共産主義者は、その国の軍隊が如何なる階級又は政策の武器であるかを充分に検討して、その態度を決めなければならないが、その場合決定的な意義を有するものは、当該国家の軍事組織の如何にあるのではなく、その軍隊の性格が帝国主義的であるか又はプロレタリア的であるかにある

現在の帝国主義国家の軍隊はブルジョア国家機関の一部ではあるが、最近の傾向は第二次大戦の危機を前にして各国共に、人民の全部を軍隊化する傾向が増大して来ている。この現象は搾取者と被搾取者の関係を軍隊内部に発生せしめるものであって、大衆の軍隊化は『エンゲルス』に従えばブルジョアの軍隊を内部から崩壊せしめる力となるものである。この故に共産主義者はブルジョアの軍隊に反対すべきに非ずして進んで入隊し、之を内部から崩壊せしめることに努力しなければならない


共産主義者はブルジョアの軍隊に反対すべきに非ずして進んで入隊し、之を内部から崩壊せしめることに努力しなければならない

この試みが大日本帝国陸軍の中でなされたのかどうか、定かではありません。私もよく調べてはいません。しかし、515事件、226事件などが、ちょうど謀ったように戦争回避をぶち壊すタイミングで起こったのは何故か?

プロレタリアの帝国主義軍隊に対する関係は、帝国主義戦争に対する関係と密接な関係を持っており、自国政府の失敗を助長し、帝国主義戦争を駆って自己崩壊の内乱戦に誘導する方策は国防及軍隊の組織問題に対する態度に方向を与える
労働者を軍国主義化する帝国主義は、内乱戦に際しプロレタリアの勝利を導く素地を作るものなるが故に、一般平和主義者の主張する反軍国主義的立場とはその立場を異にする。われわれの立場は、労働者が武器を取ることに反対せず、ブルジョアの利益の為にする帝国主義的軍国化をプロレタリアートの武装に置き換えるのである。


自己崩壊の内乱戦に誘導する方策は国防及軍隊の組織問題に対する態度に方向を与える

というほどには、日本国民が共産主義に共感を持ち得なかったので、内乱は起こりませんでしたが、帝国主義大日本帝国は自壊したといっても良いような末路を遂げました。
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