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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(16) 

関連ドブログエントリー:TAKEやんのRAVEN&CROWから、大東亜戦争の真実・・・・

調べれば調べるほど、第2次世界大戦での(ユーラシア大陸での戦闘を除いた主に米国に対する)太平洋戦争は、コミンテルンにはめられた!としか言いようにない状態であったように思われてきます。このように感じられるのは私だけでしょうか?

佐藤守コーナー「大東亜戦争の真実を求めて」その1
「国際的な環境」、特に恐るべき勢いで世界中に蔓延しつつあった「国際共産主義(コミンテルン)」の謀略が見落とされているように思われてならない。

佐藤氏はこう述べていますが、確かに今まであまりこの

「国際共産主義(コミンテルン)」の謀略

で日米が操られ、日米戦争(太平洋戦争)に突入したなどという事は聞きませんでした。「国際共産主義(コミンテルン)」に関しても、日本史、世界史の授業ではあまり触れられていません。日教組もあまり触れて欲しくないので、教科書にコミンテルンの記事を詳しく書こうとする出版社は妨害されるのでしょうね。

日本国を恐怖した共産主義大国ソ連
・・・日本に向けられた「32年テーゼ」ただ一つは異様な内容である。

前述の通り「32年テーゼ」は徹頭徹尾「日本下卑」であり「下等悪辣国家日本」を連呼するものである。さらにその数が問題となる。「コミンテルン資料集」におさめられている過去コミンテルンが発した“テーゼ”と思しき物(日本宛以外)を数えてみると以下のようになる。

●イタリア宛/1924.7.8/7ページ
●ドイツ宛/(日付なし)/3ページ
●ペルー宛/1930.3/11ページ
●中国宛/1930.6/9ページ
●中国宛/1931.7/17ページ
●ラテン・アメリカ宛/1929.3/17ページ

以上である。

コミンテルンが存続した間に各国共産党あるいは共産勢力に対して送られたテーゼと“思われる”ものはたったこれだけなのである。しかもその内容もほとんどが檄文であった。イタリア、ドイツへはファシズムとの闘争を促し、ペルーへは党結成を希望する書簡です。混迷深まる中国へは現段階での助言に止めている。

それに対して日本へはどうだったか。

初めて日共へ向けてテーゼが発っせられた大正11年1月30日から「32年テーゼ」が出される昭和7年4月までの間に、実に15通に渡り内容の濃い文書が発せられている。

このことはコミンテルンの当時最大の目的がまだまだ弱小組織であった日本共産党へ対する徹底的なテコ入れにあり、さらに言えば“日本弱体化”こそが共産主義ソ連の国是であったということである。

そして皮肉なことに、「32年テーゼ」の効果はまるで「ソ連の怨念」のごとく現代日本にも暗澹と広がっている。戦後の共産主義勢力の台頭と無秩序にくり返された極左過激派によるテロ事件や騒擾事件は、現代日本の左傾思想蔓延の確かな土壌となっている。

もう少々調べないと何も言えませんので、引用だけに留めます。また、このその十六以前のエントリーも書き足すでしょう。

27年テーゼ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

27年テーゼとは、1927年にコミンテルンが決定した「日本問題に関するテーゼ」の通称。山川イズムと福本イズムの双方を批判し、日本の資本主義および革命について具体的分析を試み、革命の性格を規定した。

【経緯】
27年テーゼは、1924年に一旦解党された日本共産党が1926年に再建された際、この新執行部(徳田球一、福本和夫らがモスクワを訪問した際にニコライ・ブハーリンが主導するコミンテルンから通告された。従来の日本共産党内部では福田の主張する「天皇=絶対君主」(つまりこの意味においては日本は「近代国家」と見なされたわけである)論と急進的な二段階革命論の福田イズムを支持する論調が圧倒的多数であった。これに対しブハーリンは福田の論調を真っ向から否定し、福田、徳田らを中央委員から解任した。なおこれには徳田の裏切り行為があったとする証言もある。さらに福田、徳田を除いた新執行部に対しコミンテルンとしての新しい対日本共産党指導方針が定められた。
【骨子】
日本は半封建的国家であり、近代国家として熟成しているとは言いがたい
天皇制の廃止
日本共産党は当分の目標としてブルジョワ革命を目指すものとする
ただしその際のヘゲモニーはプロレタリアート、農民がとるものとする。
【影響】
日本共産党は27年テーゼを受け入れる事によって福本イズムによって支えられていた独自性を放棄する事になった。又福田は完全に党の主流派を逸脱した。

32年テーゼ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

32年テーゼ(32ねん - )は1932年にコミンテルンがモスクワで作成し、同年5月20日にドイツ語で発表された「日本の情勢と日本共産党の任務に関するテーゼ」の通称。内容は、天皇制打倒・寄生地主制廃止などを主要任務とするブルジョア民主主義革命を主張し、日本を共産主義化せよ、というもの。しかしこの中には、日本の天皇はロシアの皇帝と同じであって天皇制とは絶対専制君主制である、という大きな誤解があった。 このテーゼは、発表以来戦前における日本共産党の最高の目標であり、それがために、政府に弾圧される結果となった。戦後においてもこの基本姿勢は変わらず、天皇制廃止は共産党の第一の目標として高らかに訴えられてきた。しかし、最近はこの主張は多くの国民には受け入れられず、2004年1月の党大会において新綱領を採択し、現在の象徴天皇制を容認するに至った。
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