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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(1) 

第51回パグウォッシュ会議報告(2002.3)の中にこのような文章があるのを見つけました。

パグウォッシュ会議のレゾン・デートル
パグウォッシュ会議の精神はラッセル・アインシュタイン宣言にある「あなたの人間性を心にとどめ、その他のことは忘れよ」にもっとも端的に表現されているであろう。それは国家の利害を超越することにおいて日本国憲法(とりわけ第9条)の精神にも通じているであろう。

このような立場に立って考えてみるとき、実際の討議の場においてこうしたパグウォッシュ精神が十分に生かされていないのではないかとの感想を私はもった。個々の参加者はとりわけ国家の利害に制約されていることを事実として否定することはもちろんできない。しかし議論を深める過程において、そうした段階にとどまるかぎり、パグウォッシュ会議の積極的な存在意義は見失われてしまうのではないか。少なくとも今回の会議では、参加者の国家からの独立性という観点がほとんど意識されていないような印象を私は受けた。

もちろん参加者の一人として私はそうした方向での問題提起をWG討論の中で積極的に打ち出すべきであったのだが・・・。しかしこうした印象をもったのは会議の運営の仕方にもよったであろう。事前にレポートがわたされ、全員がそれを読んだ上で、(問題の設定をも含めて)自由な討論が行われていたなら、もっと豊富ないろいろな意見が出ていたに相違ない。

ラッセル・アインシュタイン宣言は、総論としては良いでしょう。目的としても良いといえるでしょう。しかし、各論は?方法論は?各論も方法論も何も書いていません。何も書いていないと、単なる原則、原則論に陥る可能性があります。

ラッセルアインシュタイン宣言に述べられていることは、目標であります。原則ではないはずです。目標を高らかに歌い上げていて、それはそれでいいでしょう。しかし、目標と、原則とは違う。それをはき違える人もおります。

【目的】
行動する目標として考えられた、そうしたい何事か(なりたい何者か)。

【目標】
それからはずれまい、そこまで届こう(かせよう)とねらうもの。

【原則、原則論】
(物事の具体的な姿や流動性に目を向けず)論理的には(本来は)こうあるべきだという考え方にのみ基づく論議。

物事は、こうあるべきだ!こうでなければいけない!などというアジテーションやスローガンの類では何も動きませんし、何も変わりません。全然関係なさそうな行動科学と経営組織論から引用しますと、

行動科学の目で見る戦略経営組織論ビジネスマンの組織環境
『成果を管理する』
長期的にみて本当の評価が下せるのは、努力によって生まれた成果しかありません。仕事はただ単純に原則をまもって「平穏無事に」やればよいと考えている管理者がいるとしたら、それは真の管理者ではありません。本当の管理者は、常に最終成果に目を向けています。その管理者は自分の所轄する部、課や会社の目標をよく理解しております。しかも、自分自身の目標をも、それにあわせておるのです。真の管理者は、計画化から組織化、指示、調整を経て最後の統制にいたるまで、自分の仕事のあらゆる面で、目標を決して見失なうようなことはしません。最終目標を達成しようとしまいと、おかまいなしに、ただひたすらに原則を忠実に守ることで満足している無能の管理者とは明らかに異なります。本当の管理者は、その最終目標を達成するために全力を注ぐものです。

「最終目標を達成しようとしまいと、おかまいなしに、ただひたすらに原則を忠実に守ることで満足している無能の管理者」

いやいや、耳が痛いですね。ただひたすらに原則を忠実に守ることで満足しているだけ、なんて、判断力がないそういう管理者がよくいます。

さて、バグウォッシュ会議の議事録に述べられているこの言葉、

パグウォッシュ会議の精神はラッセル・アインシュタイン宣言にある「あなたの人間性を心にとどめ、その他のことは忘れよ」にもっとも端的に表現されているであろう。それは国家の利害を超越することにおいて日本国憲法(とりわけ第9条)の精神にも通じているであろう。

つまり、バグウォッシュ会議の精神(目的)は、ラッセル・アインシュタイン宣言にある「あなたの人間性を心にとどめ、その他のことは忘れよ」という方法論によって、「私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然と認めるよう勧告する。従ってまた、私たちは彼らに、彼らの間のあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段を見出すよう勧告する。」という目標を達成することであって、それは、国家の利害を超越することにおいて日本国憲法(とりわけ第9条)の精神(目的)にも通じている、ということでしょうか。「精神」なんて言葉が出てくるので、驚いちゃいますが、そんな変な言葉は、置き換えて「目的」という平易な言葉で理解してしまいましょう。

そこで、日本国憲法の9条は?というと、

日本国憲法、第2章 戦争の放棄
第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

「正義と秩序を基調とする国際平和」を継続する、というのが目的ですね。その目的を達成する姿勢として、「誠実に希求し」なんてまたまたけったいな言葉を使っていますが、いいでしょうか、「至誠天に通ず」なんて「人事を尽くして天命を待つ」と同様の神頼み的言葉であって、まったく積極的な言葉ではありません。このけったいな言葉を受けたのか、その後も、

「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」

つまり、これで「人事を尽くした」、「至誠を尽くした」、だから「天に通じるだろう」、「天命が正しい方に下るだろう」という希望的観測に陥ってしまっています。ただ放棄しただけで、「正義と秩序を基調とする国際平和」が訪れる、継続されるとでも言うのでしょうか?

だめ押しで、「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と言っていますが、それで目的が達成出来るとでも思っているんでしょうか?

これは日本一国の話を日本国憲法がしているわけではありません。「正義と秩序を基調とする国際平和」ですからね。それを、日本国は「人事を尽くした」、「至誠を尽くした」、だから「天に通じるだろう」、「天命が正しい方に下るだろう」という希望的観測で平和が訪れるだろうって?日本はやることはやった、後は、国際平和が訪れるのを待つだけだ、という姿勢でいいんでしょうか?そりゃあ、非常に消極的ですがね。

ラッセル・アインシュタイン宣言は。国家の利害を超越することにおいて日本国憲法(とりわけ第9条)の精神にも通じているであろう。」

通じてませんがね。このままでは、日本国さえよければ(戦争放棄すれば)、世界平和は達成したも同じ。達成しないのは日本国と同じにしないからだ!なんて理由になりますな。それでいいわけ?
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