ポルトガル植民地時代 (1505~1658 153年間)
スリランカがヨーロッパの植民地であったのは16世紀から20世紀まで、1505年から1948年までの443年間にのぼります。紀元前のシンハラ族の植民から伝承では紀元前5世紀です。2500年間の建国の内、ほぼ5分の1が植民地の歴史でした。
1505~1658 153年間 : ポルトガル植民地時代
1658~1796 138年間 : オランダ植民地時代
1796~1948 152年間 : イギリス植民地時代
その内、ポルトガル植民地時代は、建国してから6%、植民地時代の34.5%の153年間です。ポルトガル植民地時代は、ポルトガル/スペイン人特有の現地人との混淆も進んだ時代です。
AD1505 | ポルトガル人による植民地支配の開始。ポルトガルの狙いは、香辛料貿易から生じる利益の確保とカトリックの布教。 |
AD1521 | コーッテ王国が、コーッテ(Kotte)王国、シータワカ(Sitawaka)王国、ライガマ(Raigama)王国の3国に分裂。 |
AD1546 | コーッテ王国とポルトガルが、共同でキャンディ王国を侵略。しかし、失敗。 |
AD1550 | コーッテ王国のブワーネカーバフ(Bhuvanekabahu)が、ポルトガル兵に射殺される。孫のダルマパーラ(Dharmapala)が、国王を継ぐ。 |
AD1557 | コーッテ王国のダルマパーラ(Dharmapala)王が、カトリックに改宗。 |
AD1560 | ポルトガルが、カトリックへの改宗に抵抗したことを理由にして、タミル王国ヤルパーナムに進軍。 |
AD1565 | ポルトガルが、コッーテ(Kotte)から現コロンボのフォート(Fort)への遷都をダルマパーラ(Dharmapala)王に求める。フォートは、ポルトガルの支配下にあった。 |
AD1571-82 | ポルトガルが、ゴール(Galle)に城塞を築く。 |
AD1580 | ダルマパーラ(Dharmapala)王が、死後にランカー島全島をポルトガル国王に贈ることを決定。 |
AD1591 | ポルトガルが、タミル王国ヤルパーナムに進軍。 |
AD1594 | ポルトガルが、キャンディ王国に進軍。しかし、失敗。 |
AD1595-96 | オランダの船舶が、アジア海域に出没し始める。 |
AD1597 | コッーテ王国のダルマパーラ(Dharmapala)王が死去し、コーッテ王国が滅亡。正統な王権は、キャンディ王国に引き継がれる。 |
AD1618 | ジャフナのタミル王国ヤルパーナムで、カトリック信者による反乱が発生。 |
AD1619 | ポルトガルが、タミル王国ヤルパーナムのカトリック信者を支援すると称して軍隊を派遣。タミル王国の国王が捕らえられ、タミル王国が滅亡。 |
AD1623 | ポルトガルが、キャンディ王国からトリンコマリー(Trincomalee)を奪取。 |
AD1627 | オランダが、キャンディ王国のラジャシンハ(Rajasingha)2世に使節を派遣。 |
AD1628 | ポルトガルが、キャンディ王国からバッティカロア(Batticaloa)を奪取。 |
AD1638 | ポルトガルがキャンディ王国を侵略。しかし、ラジャシンハ(Rajasingha)2世に包囲され壊滅。オランダが、トリンコマリー(Trincomalee)とバッティカロア(Batticaloa)を奪取し、ラジャシンハ2世に返還する。 |
AD1640 | オランダが、ゴール(Galle)とニゴンボ(Negombo)をポルトガルから奪取。 |
AD1656 | オランダが、コロンボ(Colombo)をポルトガルから奪取。 |
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