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「ニセ科学」入門 

「ニセ科学」入門
血液型性格判断の歴史は古く、1927年に古川竹二が出した学説まで遡る。もっとも古川学説は現在の血液型隆盛とは基本的に関係ない。現在の血液型性格判断に直接つながるのは1971年に出版された能見正比古の著書である。能見は学者ではなく、血液型に関する学術論文を書いたわけでもなさそうだ。その代わり、能見と息子の俊賢は血液型に関する多くの一般書を出版している。

この前、別のブログの血液型のエントリーで、「ある民族の血液型分布の統計はおかしい、能見の統計を信じるのか?などというコメント」というコメントを頂きました。能見とは誰?というので疑問に思っていたところ、この「ニセ科学」入門のサイトを見て納得致しました。

http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php
http://www.hado.com/

つまり、このコメントをして頂いた「アイヌの血液型頻度が間違ってる」という方は、このエセ科学で検索して私のブログに行き着いて、私が血液型の民族別の割合を書いているのにカチンと来て能見氏と結びつけたんですね。いやはや。一応、言っておきますが、RACIAL & ETHNIC DISTRIBUTION of ABO BLOOD TYPESからの引用で、能見氏という方、私はチィーとも知りません。ハゥツゥ物とか血液型性格分類などという類の本は読まないんですよ。あれ?どこかで気づかずに引用したかな?その時は失礼。その程度のレベルなんです。

血液型、みんな面白がっていますが、OLが罪もなく、「私はB型だから。。。」と使っているようなもの。そのレベルでは実質被害はなさそうですね。企業が血液型を使って、雇用の選別をはかる、というのなら別ですが。しかし、私企業の運営に口をはさむわけにはいきません。個人が血液型判断をする程度は、信仰まではいかないまでも、信奉程度なら別に構わないのかもしれません。

血液型性格判断も単なる遊びのうちはたいした問題ではないが、これが実害をもたらす可能性がある。たとえば、ある企業がインターネット上に公開している就職活動のためのエントリーシートには、氏名・住所・電話番号・電子メール・性別に続いて「血液型」の記入が求められている。ほかの項目は出身大学や帰省先、職種の希望など常識的なものばかりであるから、血液型の項目は目を引く。もちろん、なぜそれが必要とされているのかはわからないが、採用上なんらかの参考にしているのではという疑念はわく。

ほかの項目は出身大学や帰省先、職種の希望など常識的なものばかりであるから

というのは、ほぼ99.99%にあたるわけでしょう。1万社に1社が「氏名・住所・電話番号・電子メール・性別に続いて『血液型』の記入が求められている」からといって、「採用上なんらかの参考にしているのではという疑念」をわかせてしまうかどうか。人事部の女の子がスペースが余ったから血液型でも入れておこうか?というのが真相かもしれません。世の中、そんなものです。

また、以前、電機メーカーがAB型の社員だけを集めて新製品開発プロジェクトチームを作ったという実例がある。特に成果は出なかったようだが。要するに、血液型が就職や配属面で考慮されていると思われる事例があるのだ。これは無論、差別である。

というのは、民間企業ですから、法理的にどうか?などとフォーマルには言えないわけです。民間企業の採用基準は企業毎のインフォーマルな取り決めです。その民間企業の成員が問題にすべきであって、それを部外者が差別だと糾弾してもしょうがないでしょう。それよりも、歴代アメリカ政権の占星術への傾斜の方が問題かもしれませね?

で、ニュースを見てみると、

日本物理学会、ニセ科学シンポジウム 血液型性格診断など議論

まあ、マイナスイオン、フリーエネルギー他、やり玉に挙がっているのは多いですが、

科学の実像とパブリックイメージとのギャップである。推測だが、科学に対しては「さまざまな問題に対して、曖昧さなく白黒はっきりつけるもの」というイメージを抱いている人が多そうである。もちろん、現実にはそうではない。科学は本来曖昧なものである。科学者に質問したとしても、いろいろな留保条件をつけたりいくつもの言い訳をした上で、しかも往々にして歯切れ悪く曖昧な結論しか出せない。科学者の態度としてはこれが普通なのだが、パブリックイメージからすればこれはあまり科学らしくない。

ということで、白黒ハッキリ、というエセ科学がもてはやされる、というのを嘆いておられます。

だけど、「科学は本来曖昧なもの」というのは、私は一応昔物理学科でしたからわかります。しかし、一般の人は、厳密な部分だけ教える(定理・公理が確立された)科学分野だけしっているわけす。深間にはまればはまるほど、教授に聞いても解らない、誰に聞いても解らない、ノーベル賞学者だって知らない、という科学の深間に関して、どこでも教えていません。科学は万能でござい、という面を建前ではしていて、実際はわからんことが多すぎる、という教育をしていない。一部では努力されているでしょうが、義務教育、高等教育機関に周知徹底はされていません。

湯川秀樹博士が「霊魂はありますか?」との問いに、「あるともないともいえないというのが科学的ということではないでしょうか?」と答えられたように、わからないものをわからないとして謙虚に答えられればいいのですが、得てして、専門家だからというので発言してしまう科学者、教育者も見受けられます。

科学者でもピンからキリまであるものです。すべての科学者が湯川秀樹博士と同じスタンスでいるとは思えません。わからないことでも、専門家だから、権威があるのでその権威を保つために、という話になるようです。

アカデミズムにこもってないで、ポピュラリティーを持っても良いと思うのですよ。変人が多いのだから、TVのバラエティー番組にもどんどん出演して下さい。

寺田寅彦みたいな先生がいないのがまずいんじゃないの?アシモフとか(彼は物理屋です、SF作家でもありますが)とかスティーヴン・ジェイ・グールドとか、え~と誰だっけ?忘れましたが、日本の科学者は啓蒙ということをおろそかにし過ぎです。啓蒙、ポピュラリズムに走るとつまはじきするのは科学者の世界じゃありませんか?嫉妬が多すぎるのですよね。

血液型というのはインフォーマル文化です。別にフォーマルな社会の学会が目くじら立てるものでもありません。エセ科学を利用したインチキ健康製品は問題ですがね。科学は万能だと信じる科学者も反省する必要があるかもしれない。。。
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コメント

当然、科学は万能ではない、という教育をしてますよ。科学は万能だ、などと言うのは、ニセ科学者の考える架空の科学者だけです。ニセ科学者は、よくそう言うんだけど、「科学は万能だ」という科学者には会ったことがありません。
まあ、すべての大学がそう教えているかと言われれば、おっしゃる通りかもしれませんが。
 
血液型と差別の問題については、すでに語り尽くされていると思います。私企業といえども、「自分の努力では変えられないもの」(性別・出身地など)で差別してはならないことくらいは常識でしょう。血液型もそのひとつです。これは、仮に血液型と性格に関連があったとしても、やってはならないことです

そうでしょうか?

きくちさん、

> 当然、科学は万能ではない、という教育をしてますよ。

そうでしょうか?私が言っているのは、「一般の人は、厳密な部分だけ教える(定理・公理が確立された)科学分野だけ知っている」ということです。何が解っていないのか?の部分を義務教育で教えているわけではないでしょう?ですから、一般の自然科学にあまり通弊していない人の場合、科学はまず、何でも出来る、と思いこんでいる人も多いということです。

「科学は万能ではない、という教育」が一般的にされているのであれば、それはあまり効果を上げていないということになると考えます。

> 科学は万能だ、などと言うのは、ニセ科学者の考える架空の科学者だけです。
> ニセ科学者は、よくそう言うんだけど、「科学は万能だ」という科学者には
> 会ったことがありません。まあ、すべての大学がそう教えているかと言われれば、
> おっしゃる通りかもしれませんが。

もちろん、そうでしょうが、私はそういった情報の発信元の話をしているのではなく、情報の受信先、一般の自然科学にあまり通弊していない人の場合を言っています。もちろん、科学者の場合は、そのAquracyの限界がわかっていますから、ここから先は類推、ということは重々承知していることでしょう。

しかし、啓蒙の段階で、それを十分に説明しているかというとそうでもない。ですから、シャレがシャレとわからない、ニセ科学を信奉してしまう「一般の自然科学にあまり通弊していない人」が多数でてきているから、物理学会も問題として扱っているわけでしょう?

それから、私企業にも科学者が多く雇用されています。それを技術者だろ?と言われればそうかもしれませんが。そういう私企業の科学者達は、例えば、効果はどうあれ、マイナスイオン発生器を開発し、データを作り上げ、販売促進にいそしんでいます。彼らはニセ科学者ではなく、私企業の営利目的でそういうことをしている。これはしょうがないですね。みんな食っていかないといけませんからね。

だって、マイナスイオンなるもの、発生の密度だけを考えても、健康を左右するほどの濃度を発生できないのは彼らにはわかっていること。それは言わないで、マイナスイオンなるものの効用だけを述べれば、一概にウソとは言えないわけです。ウソを付くのではなく、ポイントとなる部分を述べないだけなんですね。

> 血液型と差別の問題については、すでに語り尽くされていると思います。

でも、血液型を信奉する「一般の自然科学にあまり通弊していない人」が多くいるわけでして、それがシャレの場合はいいですが、どの程度の差別につながっているのか、私もきくちさんのサイトを拝見して勉強致します。

> 私企業といえども、「自分の努力では変えられないもの」(性別・出身地など)で
> 差別してはならないことくらいは常識でしょう。血液型もそのひとつです。
> これは、仮に血液型と性格に関連があったとしても、やってはならないことです。

私も仰有るとおりだと思います。しかし、私企業ですから、インフォーマルでの雇用の差別・区別を是正することは、現行の法律ではできないことです。「~してはならない」「~するべきではない」と言われても、現にそういう差別・区別をしている企業もあります。毎年改訂される部落民に関しての住所・姓名などのデータベースが、密かに企業間で購買されているのも事実。

やはり、科学者のスタンスとしては、やることはやった、後は受け手(一般の自然科学にあまり通弊していない人)の問題だ、というのではなく、気長に啓蒙活動をしないと、いつまでもニセ科学がはびこるということになります。

・活性酸素とか、マイナスイオンとか、今でも電化製品で堂々と売られているではありませんか?
・プラセンタは健康と美容にいいと製品が出回っているではないですか?
・パワーストーンを使った貴金属類が爆発的に売れているではありませんか?
・PETボトルの回収は環境に優しい、などとみな信じているではありませんか?

きくちさんご自身がサイトで書かれていますね?

「理系と文系」問題
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1157803788
「『初等理科教育についての大事なことを決めている人たちが、科学の本質を理解していない』ということからではなかったでしょうか。」

この文節は、きくちさんは「初等理科教育についての大事なことを決めている人たちが、科学の本質を理解していない」「理系と文系」問題に絡めて話されていることで、きくちさんは引用しているというのは理解しております。

しかし、

「初等理科教育についての大事なことを決めている人たちが、科学の本質を理解していない」

は当たっているのかな?と思います。

「これは難しいので削る」というのはいいとしても、その「難しさ」の基準が科学者から見ると理不尽に過ぎるわけです。科学は「かんがえかた」や「りくつ」が大事なのに、表面的な「難しさ」で削られては、「かんがえかた」が身につくわけもなく、理科は単に暗記ものになっていきます。
という文章は仰有るとおりですね。

きくちさんが、"文系のための「かわいい物理」"などの企画を行い、啓蒙に努めていらっしゃる姿勢は尊敬致します。きくちさんや左巻さんが行われている活動(実は私は左巻さんのMLの参加者でもあります)も大変な部分を担当されているな、と思っております。

しかしながら、まだまだ、一般の自然科学に通じていない人達の先入観と偏見が残っています。これは、課外授業的な啓蒙活動ではなく、義務教育や高等教育を通じた自然科学に対する姿勢をさらに行わないと、先入観と偏見はドラスチックには減らないのではないかと思っております。

PS:きくちさんが書かれていた、A.C.クラークの第三法則、思い出しました。かれの著作のそこここで言っていますね。アシモフのロボット三原則を述べたエッセイの中でも言っていたような。A.C.クラークはスリランカと縁のある方です。

と、つらつらと書きましたが、以降よろしくお願い致します。

FRANK LLOYD


「科学万能主義」についての義務教育の問題とか、受容側の問題については、おおむねおっしゃる通りだと思います。「万能」だとは教えないでしょうが、義務教育で「科学の限界」をきちんと教えているわけではないでしょうし、受け入れる側もそこを気にしていないかもしれない。
  
もっとも、それが科学者の「メンツ」の問題だとは思いません。
まともな科学者は「万能だ」なんてことは言いません。「科学にはまだまだわからないことがある。だから、研究するのだ」と言うわけです。
しかし、それが届いていないのではないかという問題提起だとすれば、異論はありません。
それが科学者側の力不足であることも、残念ながら事実です。メンツがあるから黙っているわけではない。

科学者の「メンツ」の問題

科学者の「メンツ」の問題という書き方は刺激的でしたね。

私は権威とか専門家とかの方面から書こうと思ってましたが、端折りました。

湯川秀樹博士が「霊魂はありますか?」との問いに、「あるともないともいえないというのが科学的ということではないでしょうか?」と答えられたように、わからないものをわからないとして謙虚に答えられればいいのですが、得てして、専門家だからというので発言してしまう科学者も見受けられます。この部分は書き足さないといけません。

わからない

 FRANK LLOYDさんが、誰に向かって問題提起をしているのかが分かりません…。特にきくち先生とFRANK LLOYDさんの間に意見の相違はなさそうですし、FRANK LLOYDさんが「~でなければ、~しなければならないのでは?」と言っていることは、きくち先生も言っていたり、実践していたりする事だと思うのですが…?

どこがわかないのでしょうか?

まず、問題提起ではないでしょ?きくちさんのコメントに対してのレスは問題提起とどう関係がありますか?これがよくわかりませんが。

意見の相違はほどんどなさそうですが、完全に意見の相違がないわけではありませんし、きくちさんのその部分の意見を知りたいだけです。

それから、「~でなければ」「~しなければならないのでは?」はきくちさんや左巻さんらの活動をさしているわけではありません。きくちさんや左巻さんらの活動が不足だとか、そういう意味ではないということです。

これはきくちさんのブログを読んで書いたエントリーではありません。まったくきくちさんらの活動を知らないで(MLで左巻さんの活動は知っておりましたが)書いた物です。きくちさんと左巻さんが活動を同じくしているということも、きくちさんのブログを読んで初めて知ったわけです。

まずは、誰とも関係なく、このエントリーを旧ブログから移設したということです。

これで答えになっているでしょうか?

 すみません、対象を明確にしていませんでしたね。前のコメントはエントリ本文の方ではなく「そうでしょうか?」というコメントの文を指していました。

 本エントリについて、私は「それはシャレでしょ」みたいな反応がとても不誠実だと感じてしまいました。
 最後の方は「シャレでしょ」前提での意見じゃないようなので、いまいちFRANK LLOYDさんのスタンスが分かっていませんが。それはこちらの読解力の問題かもしれません。

文章を変えました。

まだ不足しているかもしれませんが、私の文章を多少変えました。

それから、しゃれというのは、科学性も何もない「血液型」に関して、例えばオフィスレディーがそれほど深く考えずに、血液型で人の正確を言う程度はしゃれなのかな?という意味で使いました。これも言葉を変えましょう。わざわざ失礼と取れる言葉を使う必要もありませんから。

それから、迂闊でしたが、きくちさんは菊池誠さんだったんですね。「きくち」とひらがなで表記してありましたので気づきませんでした。失礼致しました。

このブログ、科学ブログでも何でもありません。旧ブログから昨日は科学物を拾って移設しただけです。本来はスリランカの紹介ブログです。

科学は絶対だと思っている私^^

私は科学は絶対だと思っています。子供にも科学は絶対だと教えます。ただし、その絶対を今の時点で知っているかというと、そんなことはなくて、まだまだ絶対を知るのには時間が掛かるねえと教えます。
ちょっと気に入らない事があってむくれたり、怒ったり、泣いたりというのも科学で実証できることなはずですが、未だにどういう仕組みなのかはわからない。 でも、判らないからほったらかしにしてはいけないことで、しっかりと科学的に考えなくてはいけないということだと思います。
考え続ければ、数千年か数万年か先には判るかもしれない。もしかすると明日になったら判るのかもしれない。
科学を考えるのはそういうことだと思います。
で、ニセ科学ですが、本を読んでないのでわからないのですが、FRANKさんのエントリーを読む限り、ニセ科学というのは、中途半端な理解と定義だけで全てを解したようなものなのかなぁと。
どうなんでしょ?

SHUSEIさん、
7月21日に頂いたメールのレス滞っていてスミマセン。点字の話興味がありまして、また連絡致します。

>FRANKさんのエントリーを読む限り、ニセ科学というのは、
>中途半端な理解と定義だけで全てを解したようなものなのかなぁと。
>どうなんでしょ?
このお題、フォーマル文化とインフォーマル文化という攻め口で展開しようと持っています。宗教もインフォーマル文化の一つで、フォーマルな科学vsエセ科学も似たような物かなと。インフォーマルな文化を攻撃しすぎると、科学も相対的な存在というスタンスが崩れて、「絶対」が出てきてしまうのではないかなと思ってます。湯川博士のスタンスのように考えるとどうなのか?続けて考えたいなと思ってます。

企業の血液型差別は当然非難できます
法的強制力がないということと批判できないということを混同しないように

(合理的に根拠なしに就労上の差別をすることは裁判所も認めません)

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