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小学校での英語必修化問題(1) 

小学校での英語必修化に警鐘、『危うし!小学校英語』の鳥飼玖美子さん

この議論、小学生から英語を習得させないと将来の国際人として危うい!とか、いいや中学生から英語を習得させても充分使い物になる、それよりも英語教師の育成と履修時間の改善をするべきだとか、いろいろ言われております。

対象として言われている小学生、中学生の内、将来何割がそれほど英語を必要とする環境に身を置くのでしょうか?さらには、両親の内一人、或いは二人とも英語を話す能力がある家庭の子供と、両親ともまったく英語を話せない(学校教育を受けたとしても)家庭の子供で、将来英語が必要になる環境に身を置く可能性に差が出てくるんでしょうか?

そう考えると、小学生、中学生の児童総数の内、将来英語が生活の上で絶対に必要という児童は全体の1%もいないのではないかと思います。それもネイティブ並な英語能力を必要とする児童は。

高校から、或いは大学、或いは社会に出てから英語習得して、RとLの発音の違いがわからないけれども、生活に必要な英語ならそこそこその程度は充分という人間の割合なら10%程度になるのでしょう。

それから、両親の内少なくとも一人が英語能力のある家庭の方が、その家庭の子供が将来英語が必要になる環境に置かれる割合が多くなるでしょうが、果たしてそういう家庭の子供に半端な小学校の?英語教育など必要なものかどうか。親から習えばそれで充分ですからね。親が吹き替え無しのハリウッド映画を見ていれば、それを見た子供はRとLの判別はできるようになるでしょう。親が吹き替え映画ばかり見ていれば、いくら小学校で英語を習っても、RとLの判別などできませんね。

言語などと言うものは、単なる道具でして、その習得なるものが日本の場合、しばしば目的になってしまいますが、あくまで言語は道具です。語るべき何ものも体の内に無ければ、或いは語る必要のあるタスクが目前に無ければ、言語能力が卓抜していても使う機会がないということ。

それから、中国人とか欧州人とか多言語を操る人が多い!日本もそうならなければ!なんて危機感を煽る人もおります。シンガポールでも香港でも英語、福建語、広東語、中国語の普通語?(プートンファ)など2~3ヶ国語を操る!なんて日本人は錯覚しますが、じゃあ、聴く話すのレベルは?聴く話すだけではなく読む書くは?とテストしますと、中華言語が優れている人間で英語の聴く話すは優れていても、英語の文章を書かせるとまるでダメ、などという人間が多数おります。よほどの天才でなければ、修得した全ての言語が全てネイティブ並みなんてことはありません。

英国人でも、聴く話すは十分にできますが、作文は全然ダメという落ちこぼれもおります。

結局、将来必要もない(使う可能性のない)生徒?にまで英語を教える必要はありませんし、英語教育に割かれた時間が他の教科の履修時間から振り返られては、算数能力も国語能力も落ちるでしょう。

英語も中途半端、日本語も中途半端な児童を増やしてはいけませんね。それと、不公平になりますが、両親の英語能力で児童の英語能力も決まるということです。

外国語の場合、教師全部がネイティブ並みの能力を持たなければ初等学校教育が寄与する部分は少ないでしょう。そういう教師はどこにいるのでしょうか?ネイティブでも教えられないという人も数多い。日本語を我々日本語ネイティブが全員外国人に教えられるか?ということを考えてみればわかることでしょう。

それよりも、中学高校の英語教師の養成と、資格を厳密にすればよろしい。大学の教師課程と実習での資格で英語教師でござい、というのは問題があります。商社を退職した人間なども採用できるシステムにすればいいのではないかなと。

まず、小学生の全員が全員、将来英語を必要とするかもしれないから、全員に取りあえず教えておく、というこの考えがおかしい。日本国内でそれほど英語の必要性があると誰が考えているのでしょうか?この2010年の英語必修化をビジネスの種にしようとしている英語教師育成機関とか、そこで資格を取って教師になりたいジョブレスな若者とかが必要としているだけでしょう。

たまに海外旅行に行くのに英語を習得する必要はありません。日本人の店員や日本語を話す外国人の店員ばかりの店でショッピングをするのに英語を習得する必要はありません。両親が外国語を話さず、家庭では日本語だけ、海外のTVプログラムも吹き替えで見る、音楽も日本人の歌手のものだけを聴く、そんな家庭の子供が将来英語を必要とする職に就くのかどうか。さらには、英語が必要となった時でも遅くありません。

バイリンガルが多いという国家は、シンガポールにしろ香港にしろ、日常生活と仕事で必要だから一生懸命修得しているわけです。日本のように、経済規模が大きく、全て母国語で済むという社会を作り上げられないからです。

ところが、日本は母国語だけで済む。ウィンドウズの日本語版が英語以外の他の言語版と別格なのはなぜでしょうか?数多くのソフトウェアが日本語版だけは別格なのはなぜでしょうか?つまり、日本語というのは世界の言語の中でもそれだけ力を持った言語だということです。

それから、私の義兄はイギリス人ですが、彼にも訊きますし、アメリカ人にも訊きますが、

「ところで、あなたは英語以外の言語をいくつ話せるの?」?

と。母国語の日本語と英語、プラス東/東南アジアと南アジア?の言語が片言話せる私の勝ちです。。。って、必要だから話すのですがね。。。おまけに、ではイギリス人の義兄に私の建築の英語の仕様書?を作成せよ、と言っても不可能。専門が建築ではありませんので。私の娘も、私の英語をバカにしますが、では、建築の入札書類を作成する手伝いをしてくれ、と言ってもできません。

話す聴くと、読む書くは違うんですね。

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