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スリランカの花 - 憎む者を愛してやることはできません 

スリランカの花 - これは蘭でしょ?!
自分を憎む者を愛してやることはできますが、自分が憎む者を愛してやることはできませんよ。
by トルストイ

あ!トルストイさん、これは言えてる!「自分が憎む者」が「自分が愛する者」に転化するまでは、そりゃ無理だ!私はネットのアラシを充分愛することはできるね。好きだなあ、アラシ。来ないかなぁ~。削除しないですけどね。汚い言葉を使っていると削除しますが。私はサドかなあ~。相手の人格が崩壊するまでやりたい。。。_| ̄|○

憎しみは積極的な不満で、嫉妬は消極的な不満である。したがって嫉妬がすぐに憎しみに変わっても不思議はない。
by ゲーテ

あ!ゲーテさん、これまた納得!しかし、憎しみはアクティブですので、解消の余地がありますが、嫉妬は、待ちの姿勢だから相手次第で、これは欲求不満状態ですね。誰かが言ってましたっけ?「嫉妬されるなら憎まれた方がマシだ」って。

誤って伝わった自分の印象ゆえに愛されるより、むしろ真実の自分の姿ゆえに憎悪されるほうが気持ちがよい。
by ジイド

『狭き門』のアンドレ・ジイドさんだから、こういう風に潔癖に言えるのでしょうが、凡人の私には無理。良いように伝わった私の誤解された姿なんて、それを、実は。。。なんて訂正いたしませんがな。ま、受け取り方は自由ですから。でも、「何も感情を持たれないよりは憎まれた方がマシだ」というのも言えますね。

我々がある人間を憎む場合、我々は彼の姿を借りて我々の内部にある何者かを憎んでいるのである。
by へルマン・ヘッセ

おっと、私の好きなヘッセさんのお言葉。このバリエーションで、「私は私の内部にあるものをまったく持っていない人間を愛することも憎むことも出来ない」というのがありますね。近親憎悪というヤツが一番深く醜い怒りなのでしょうか?

我々は、それが卑俗な行為だと自覚していても、抑制することは不可能である。なぜなら、そうした行為は原始的な悦楽を満足させるから。
by ウゴ・べッティ

この「それ」にはいろいろな言葉が当てはまりますが、原文の「それ」は、「サドマゾ行為」であります。だけど、まあ、なんともこの「それ」に当たる卑俗な行為が多く、それで、私たちは、なんともいつも「原始的な悦楽を満足させ」ていることか。こりゃ、しょうがないよね?大脳皮質の薄っぺらな表層を剥げば、そこにはワニの脳みそが控えている、それが人間なんですから。人のことは言えません。

まあ、喜怒哀楽という感情は、これは理性だけで、或いは、大脳皮質の灰白質の動きによりません。これは、その下層のワニの脳ミソから出た信号である場合が多い。聖者でもナシ、喜怒哀楽、噴出するままに生きてみるのもいいのかも。って、それではケダモノですって?
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