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地獄への道は善意でおおわれている 

FI84041_0E.gif以下に述べる事は、私がスリランカの仏教の考えなどを説明している事などに矛盾していると映るかもしれない。しかし、現実主義者である私にとって、こういった事柄もまた現実(真実ではない)なのだという事。だが、このような考えが現実となっている社会が将来絶対に変わらない、という事は言い切れない。願わくは、善意が善意でいきる社会になって欲しいものだが。。。

FI84041_1E.jpg1939年夏、

独ソ不可侵条約が締結された8月21日、明けて8月22日、ドイツ、オーバーザルツブルグのヒットラー山荘(*)に陸海空3軍の軍司令官以上が集合し、高級指揮官会同を持った。ポーランド侵攻に関して討議するためである。その席でヒトラーは、ポーランド開戦、ひいては第2次世界大戦の不可避な事を説き、こう説明した。
(*)ケールシュタインハウス(Kehlsteinhaus)=鷲の巣(Eagle's Nest)

1.【不退転の決意】
各位は最初から西側強国との戦いが不可避だと覚悟すべきだ。フリードリヒ大王は、不屈の精神で最後の勝利を収めた。
2.【目標の把握】
ポーランドの抹殺が第1目標である。新防衛線、新国境線の確定ではなく、敵の殲滅が問題である。
3.【正義より勝利】
開戦のための宣伝的理由は用意する。妥当かどうかは問題ではない。勝者は戦後に真実を述べたかどうか問われない。問題は正義ではなく勝利である。
4.【仮借なき戦い】憐憫の心を閉ざせ、無慈悲に戦え。ドイツ国民8千万人の生存を保障するためである。強者は常に正しい。

(*2)写真はKehlsteinhaus

FI84041_2E.jpgその日の夜、ヒトラーは山荘のテラスに歩み出て、北の夜空に珍しくオーロラが輝いていた。赤から青、黄・・・と虹彩そのままに変色を繰り返して天空から光の幕が垂れ下がり、あるいは風に舞う薄絹のようにひるがえってみえるオーロラの冷たい夢幻の美しさは、思わず「神々の黄昏」という言葉を想い出させた。オーロラを見つめて、ヒトラーはこう言った。

血だ、大量の血だ、今度は流血無しには終わらないだろう。

「妥当かどうかは問題ではない。勝者は戦後に真実を述べたかどうか問われない。問題は正義ではなく勝利である。」こう主張して戦争を、侵略を行う指導者はヒトラーが最初ではなく最後でもない。常に人類は勝者が全てを奪取し、敗者には何も残らない。

人間の行いは倫理に基づく物ではなく、様々な欲望に基づく物である。人間が自分自身で思うほど理知的で論理的で理性的で倫理的な存在であるなら、何故様々な神々が、分かり切った事を人間に語りかけるのだろう?何故ユダヤの民にエホバは十戒などという子供にでもわかりそうな規則を与えたのだろう?

人間は自分で思うほど気高い存在ではない、万物の霊長ではない。

FI84041_3E.jpg「強者は常に正しい」という事である。人類の歴史に於いて、強者が弱者に配慮して何か振る舞った事があっただろうか?強者が規則を作る、勝者が規則を作る。

イラク侵攻で日本はアメリカに盲従することなかれ、という人がいる。イラクに自衛隊を派遣するのは反対という人がいる。だが、日本は世界中でアメリカとだけ同盟関係を結んでいる。国家の安全保障をアメリカという国に委ねているに等しい。しかし、それでいけない理由があるであろうか。世界第1位のGDPを誇る国と第2位のそれを持つ国が反目するよりは同盟を結んでいる方が世界の安定に寄与するのではないか。

それはジョージブッシュがアメリカ大統領だから、という事ではない。誰がアメリカ大統領であろうとも、日本という国家の安全保障をアメリカという国に委ねている以上アメリカの意向に、その時々のアメリカ大統領の意向に大なり小なり従わざるを得まい。それとも、同盟国であるが故にしたり顔で「正義」を唱えろ、と言うのであろうか。物事はしばしば「妥当かどうかは問題ではない」ように動くのに。

日本はアメリカの影響下から離れ、気高い自主独立に向かうべきだ、という人もいる。全くの永世中立となるべきだ、という人もいる。ヒトラーがドイツ軍軍司令官にこの演説をした時、ポーランドも気高い自主独立を誇り、英国やフランスの影響下にあるのを嫌った。英国がポーランドにドイツの侵攻を妨げるためにもソ連のポーランド領域内の通過を許可するように求めた時もそれを拒否した。そして、ドイツ軍がポーランドになだれ込んだ時、英国とフランスは同盟関係にあるポーランドに何もできなかった。同盟関係を結んでいてすら、安寧を貪る事はできない。

第2次大戦以前の状態と現在は違う、という人がいるかもしれない。しかし、人類というものは、「気高い自主独立」、「孤高を保つ」国など嫌いなのだ。仲間に入らない国はどこか不気味に感じるのである。気高い自主独立には、相互・集団安全保障とは比べ物にならない圧倒的な実力、つまり軍備が必要なのである。それが、防衛という名であろうと、抑止という名であろうと。現在の日本にそのような軍備があるだろうか?

歴史とその歴史の妥当性など、その歴史の渦の中に巻き込まれている当人達にはわかるわけがない。よかれと思っている事が、倫理的だと思っている事が、未来の人間には最悪の愚挙に映るかもしれない。倫理を振りかざし、正義を振りかざして、その一元論的な、矮小な視野で物事を判断する事は危険な事なのかもしれない。

「地獄への道は善意でおおわれている」
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