スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

Ceylon, Polonnaruwa 

0391polonnaruwa.jpgスリランカの歴史- 483BC~1948年(独立前)
ポロンナルワは、シンハラ王朝がインドから移ってきて最初に首都としたアヌラーダプラに次ぐ、スリランカの2番目に古い首都です。

アヌラダプラは、シンハラ人の王、ドゥッタガーマニー(Dutugemunu)がタミール人を追い出して、AD161年に首都と定めました。その後、10世紀末に南インドのチョーラ王朝が、アヌラーダプラを征服。やむなくシンハラ王朝はアヌラーダプラを捨て、ここポロンナルワに都を移しました。これが西暦1017年です。鎌倉幕府が1192ですので、平安時代の末期頃ですね。ポロンナルワは、10~12世紀に最も栄え、14世紀以降は廃墟となりました。今でも人なんか住んでません。これがいいのかも。1900年以降になって遺跡の発掘がやっと開始されました。


0393polonnaruwa.jpgポロンナルワは、コロンボから216キロメートル北東に位置し、世界遺産に登録されています。しかし、世界遺産に登録されてもポロンナルワ饅頭を売っているわけではありません。ポロンナルワ煎餅なんてのもないです。密林の中に、古代の都がひっそりとたたずんでいます。この都市は人工の灌漑湖の堤に接しています。その灌漑湖は「パラークラマサムードゥラヤ」といい、コロンボ港よりも大きく、スリランカで最大の貯水池です。10世紀に作られた灌漑湖ですが、今でも使われています。

◆11世紀:ウィジャヤバーフ1世(Vijayabahu Ⅰ)
 灌漑施設を整え仏教の普及に努める
◆12世紀:パラークラマ・バーフ1世(Parakrama BahuⅠ)
ウィジャヤバーフ1世の孫にあたる有名なパラークラマ・サムドゥラという灌漑貯水池を造る
◆1187~1196年:ニッサンカ・マーラ王(Nissanka Malla)
 南インドのカリンガ王朝出身、多くの石碑有り。
 この後、またもや南インドのチョーラ王朝の侵略を受けて都は衰退する。


0398polonnaruwa.jpg遺蹟は、

1.王宮
2.王の会議室(ニッサンカラター・マンダパヤ)
3.聖骨部屋(ハタダーゲ)
4.仏舎利塔(キリヴェヘラ、ワタダーゲ、パブルヴェヘラ、ランコットヴェヘラ)
5.ヒンドウー教寺院(シヴァデーワーラ)
6.池(ネルムポクナ、クマーラポクナ)
7.イメージハウス(ティヴァンカピリマゲ、ランカティラカ、トゥパラーマ)
8.寺(ポツグルヴィハーラ)
9.バラークラマバーフ王像

芸術的な彫刻を施したパルラヴァ朝(南インド)の伝統的建築様式の影響から多くが構成されています。同時に、基本的に仏教様式のものもあります。アヌラーダプラとは異なり、これらの遺蹟すべてが小さな場所に集中しています。アヌラーダブラと比較すると、建造物により多くの煉瓦が使われています。ティヴァンカピリマゲには何点かの絵画が残され、また、煉瓦で創られた巨大な
仏陀像があります。ガルヴィハーラは岩を切り開いた複合体の仏像で、ポロンナルワでは非常に変わった形をしています。ここは他の記念碑から2、3キロメートル離れています。


0411polonnaruwa.jpgスリランカ大使館ホームページ-歴史
首都がポロンナルワに移転されたのは、主に戦略的な理由があります。1017年から 1215年までのポロンナルワ時代に、多くの美しい建築様式で都市を引き立たせた3人の王達により優れた発展が成し遂げられた。ロイヤルパレス、観客ホール、仏教寺院、仏舎利塔、ヒンドゥー教寺院、池等が建てられました。


ポロンナルワの王達は、南インドの王朝でどのように内政が影響しているかを認識し、南インドの王女と結婚することで戦略的な同盟を築いた。このように、ポロンナルワの芸術と建築は、アヌラーダプラに比べると、南インドの芸術と建築に多大なる影響を及ぼした。ポロンナルワも世界遺産の一つである。


0415polonnaruwa.jpg
しかし、この同盟や首都の移転は侵略を終わらせることはなく、益々増えていった。首都と定住は、南方の湿地帯へと徐々に移動していく。首都はそれから6世紀の間、湿地帯のダンバデニヤ、ヤーパフワ、スリジャヤワルダナプラコーッテ、キャンディ(世界遺産)へと移転された。

度重なる湿地地帯への首都の移転と共に、乾燥地帯で農業を支えていた灌漑設備は、徐々に衰えていった。経済を独占していた農業は、ヨーロッパや中東におけるスパイス、宝石、異国情緒のある動植物の増加する需要と共に、貿易中心の経済へと少しずつ変化していった。

この島に最初に訪れたヨーロッパ人はポルトガル人であり、16世紀、東部以外の湾岸平地の大部分を支配下に置いた。彼らはキリスト教も伝道した。ポルトガル文化の影響は未だにこの島には残されている。良い例では、バイラという歌で、地元文化に溶け込んでいる言語や食べ物等の一部として、残されている。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://franklloyd.blog68.fc2.com/tb.php/12-c3fff33d

【アヌラーダプラ】ちょうちん袖?それとも超人ハルク?

朝起きて、なにげに鏡を見た私は仰天してしまった。「なにコレ!!ちょうちん袖?超人ハルク?」そう、両肩が真っ赤に腫れ上がっていたのだ。メキシコでもいつのまにか日射しにやられ、両腕がむくんでしまったという経験を持っているが、(むくみを指で押して....
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。