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女性による経済活動と民族対立が引き起こす経済問題 1 

非常に良い論文がありますが、残念ながらPDFです。論評は後にして、取りあえず載せてしまいます。

女性による経済活動と民族対立が引き起こす経済問題
アジア周縁諸国経済の現状と今後の課題
-アジア外縁諸国の経済情勢研究会・報告書-
大蔵省 財政金融研究所 編 平成12年6月
第4節 「女性による経済活動と民族対立が引き起こす経済問題」:スリランカ
龍谷大学経済学部 教授
中 村 尚 司
1.はじめに
現代スリランカ経済には、大きな特徴が二つある。まず一つは、女性による経済活動への参加である。もう一つは、国内の民族対立が引き起こしている経済問題である。この二つの問題をめぐって報告したい。
 西洋近代の民主主義的な価値を代表する女性参政権を含む普通選挙制度と、それに基づく議会政治制度は、アジアでは異例に早く1931 年に導入された。主要な党派の構成や国会議員の顔触れを見ても、1930 年代の議会政治も1950 年代の議会政治もそれほど大きな違いはない。1942 年2 月、日本軍により陥落したシンガポールを撤退するに当たって、イギリス陸海空軍が東南アジア軍総司令部を安心してスリランカに移駐することができたゆえんである。1978 年に国賓として来日したジャヤワルダナ大統領が皇居の晩餐会で、「もし日本軍がスリランカに上陸作戦を始めれば、民族独立運動を進めていた我々は歓迎した。」と述べた。しかし、それは昭和天皇に対するリップサービスのようなものである。その後、私は大統領に直接インタビューしたことがある。あの発言は文字どおり受け取って間違いないかと確かめてもみたが、この話題に限って「私は耳が悪くて、あなたの声がよく聞こえない。」と韜晦されてしまった。
 独立後の半世紀を振り返えると、スリランカ社会は大きく変貌した。独立前は、イギリス植民地の優等生と言ってもよいくらい、英国的な価値が尊重されていた。しかし、シンハラ人やタミル人の民衆運動が武装蜂起を準備した1960 年代以降に、社会変容が激しくなり、世界各地で続出している地域紛争に結びついている。1970 年代以降に、たびたび憲法の改正が行われ、政体は自治領から社会主義民主共和国に変更された。国家元首は英国王から、直接選挙によって選ばれるフランス型の大統領に変わった。司法制度の改革も進み、最高裁判所が最終審となるよう改められた。ほぼ20 年から30 年遅れで、制度上は他のアジア諸国と同じような、脱植民地体制の国民国家になったと言えよう。公教育も法制も全て、英語から公用語のシンハラ語とタミル語とに切り替えられた。
 1960 年における世界最初の女性首相の誕生ということは、イギリス統治時代にはほとんど考えられなかったことであり、イギリスの公文書館に行くと、最後のイギリス総督はこの女性に対する悪口を並べた文章を残している。その後も女性の行政官や政治家の活躍は拡大しており、現在では大統領と首相がともに女性である。植民地以前のシンハラ社会には一妻多夫制や妻方居住制などの慣習法もあり、元々女性の社会的な地位は低くなかった。スリランカ人の遺産相続は、歴史的に男女の均分相続(末子の比重が高い)が行われてきた。イギリスの植民地政府は、キリスト教に従えば一人の妻は一人の夫しか持てないと定めて、一妻多夫制という慣習法を認めなかった。私が農村調査を始めた1960 年代には、「大きいお父さん」「小さいお父さん」と子供たちが呼んでいる家庭だとか、婚姻登録をしていない家庭が随分多いので感心した。
 1999 年12 月現在、スリランカ社会におけるエリート供給源であるコロンボ大学では、学長、事務局長、会計官吏、図書館長、医学部長、理学部長、法学部長など大学行政の主要な担い手は女性である。事務職員についても、課長級職員9名中7名までが女性である。教職員だけでなく、学生数も女性の比率がやや高い。その結果、医師や弁護士などの専門職においても、女性の比重が高まっている。このような点は独立後の変化というより、むしろスリランカ社会に固有の伝統と言うべきであろう。
 スリランカの民族抗争が、ゲリラ戦から正規軍の対決へと様相を変えるに従って女性軍人の参加も増えている。1997 年6 月23 日におけるペリヤマードゥ陣地(ヴァヴニヤ市北部の軍事拠点)の攻防は、政府軍に持久戦を強いることになった。双方に約150 名づつの戦死者を出す、激しい戦闘であった。この日の払暁、「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」戦闘部隊の先陣を引き受け、戦端を切り開いたのは、勇猛で知られた女性兵士の小隊であった。LTTE本部の公式発表によれば、1999 年12 月17 日に激しい戦闘の末、北部のパランタン政府軍基地を陥落させ大量の武器弾薬を捕獲するとともに、ジャフナ半島解放の橋頭堡を確保した。この「絶えざる波動3」作戦で戦死した78 名のLTTE兵士のうち、31 名が女性兵士であった。
 インド総選挙の最中にラジヴ・ガンディ元首相を暗殺したのも、1994 年のスリランカ大統領選挙の最中にガーミニ・ディサナーヤカ候補を暗殺したのも、いずれもLTTEの女性兵士であった。大統領選挙直前の1999 年12 月18 日に、チャンドリカ・クマラトゥンガ現大統領の暗殺を試み、30 名を越える死者を出して自爆したのもまた女性の特攻隊員であった。スリランカ女性は、政治家だけでなく軍人としても男性以上の働きをするのである。この不幸な事件にもかかわらず、12 月21 日の投票においてもまた、現職の女性大統領が再選された。

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