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 2006年09月 

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どう言えというのかね? 

鬼の首を取ったように、東京新聞も言っておりますが、さて、指摘しているカタカナ語、どう言い換えればいいのでしょうかね?

イノベーション二十五」はしょうがないなあ。「25の技術革新」。。。この25というのは何?これはよくわかりません。

テレワーク人口」というのは、「通信ネットワークを利用して、オフィス以外の場所で働く労働形態」ですが、これを「在宅勤務」としたらよくわかりませんし、「ネットを利用した在宅勤務」ではまたまたカタカナ語。では、「電網を利用した在宅勤務」とでも言うの?「スモールオフィス」なんて言うとまた指摘を受けますね。やれやれ。

アジア・ゲートウェイ構想」というのは?元々はIT用語ですからね。「ゲートウェイ=ネットワーク上で、媒体やプロトコルが異なるデータを相互に変換して通信を可能にする機器」でも、安部さんはロジスティックの。。。おっと、物流の話をしているわけですね。「亜細亜複合物流構想」とでもいうのでしょうかね?やれやれ。

再チャレンジ支援策」は「再挑戦支援策」ですけど、なんか語呂がなあ、格好悪いような。そのままでいいんじゃないですか?

政府インターネットテレビ」は「政府電網受像器」?おいおい。このままでいいじゃないか?

ライブ・トーク官邸」これは格好悪いね。でも、「生放送首相談話を官邸から」と言えというのか?

カントリー・アイデンティティ」は、State Identityとでも言ってほしかったですが、そうすると逆に日本人にわからない。これは「国家理念」とそのまま言えばよかったのにね。

と、それほどたいしたことはないじゃありませんか?

ここまで馬鹿にしたんだから、これからメディアが。。。おっと、報道機関が変なカタカナ語を使ったら攻撃しても馬鹿にしてもいいということですね?ところで、レセプトは?自分らで使ったので、馬鹿に出来ない?

「美しい日本語を話したりできないのに、外国語を必修とするの…
 「美しい日本語を話したりできないのに、外国語を必修とするのは賛成じゃない」。伊吹文明文部科学相が、小学生の英語必修化に慎重姿勢の一石を投じた。
 フジテレビの朝の情報番組で、小倉智昭キャスターが「ぼくらの中学の英語教師は、特攻帰りで“ディス イズ アー ペン”だったもの」と、身に付かなかった学校英語を嘆いてみせた。
 この怪しげな発音で、子どものころラジオで盛んに流れていた「レイディースエンジェントルメン、アンドおとっつぁんおっかさん、ディスイズおこんばんわ」を思い出した。一九八七年に六十九歳で亡くなった東京出身のボードビリアン、トニー谷さんだ。
 人気の絶頂にあった五五年、六歳の長男を誘拐され、無事解放された被害者だったのに、バッシングに遭った。人を小ばかにしたようなそのカタコト英語に反感を持たれたのが犯行動機だったとされ、事件を機に人気は一気にしぼんだ。このトニー流英語を“トニングリッシュ”と呼ぶ。
 衆院本会議場で二十九日、伊吹文科相を任命した安倍晋三首相の初の所信表明演説が行われた。冒頭からやたら飛び交ったカタカナ語に面食らった人は多かろう。
 「イノベーション二十五で、テレワーク人口を倍増、アジア・ゲートウェイ構想や、再チャレンジ支援策を推進、政府インターネットテレビのライブ・トーク官邸から、カントリー・アイデンティティとして“美しい国、日本”を世界に発信する」という。後世、この首相のカタカナ英語は“アベングリッシュ”として語り継がれるか。

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レセプト?! 

日本経済新聞の2005年1月22日(土)☆14版。第1面に載っていたわけのわからない外来語。安倍首相も所信表明演説で使っていたレセプト。新聞もわけのわからん外来語を使ってます。安倍首相の文句を言えるのでしょうかね?

さて、

明細書、患者に開示
厚生労働省はは診療にかかった費用を示す「診療報酬明細書(レセプト)」について、医療機関が患者に開示するよう四月から義務づける。

レセプト????

新しい単語だろうか?なんだろう?ドイツ語であろうか?

レセプトは3面「きょうのことば」参照
なるほど、と思って3面へ。

きょうのことば - レセプト
病院や診療所が医療費を請求する際の明細書

???明細書???

明細書だったら、「statement」じゃないの?或いは、「a detailed statement」でもいいですが。わからないので辞書を引くと、

Rezept(=処方箋・調理法)の日本語形。保険医が、健康保険組合や地方公共団体に請求する時の診療報酬明細書。

とあります。ドイツ語じゃないか?!一応辞書に載っていますが、これは医学分野での専門用語でしょうが!私たち医学分野外の人間にわからないでしょうが!おまけに、この「Rezept」ってのは、英語で言えば「receipt=カタカナ語ではレシート、発音はリシート」でしょうが?

なあにが、こんなわけのわからない専門用語をさも新しい言葉のように「レセプト」なんて書いてあります。なんですか?ドイツ人相手に医学はあるわけですか?でも、本場ドイツでも「Rezept」なんだろうか?それから、さもカッコよさげに「-ze-」を「-セ-」なんて発音してますが、なんだかなあ。ドイツ語だからこれで良いというのでしょうか?

でも、「Red Zepellin」は「レッド・ツェッペリン」でしょうが!どうせカッコを付けるのなら「-ツェ-」として、「レツェプト」じゃないのか?

毎週、私のところには「Bank Statement(口座明細書)」がまいります。香港だから「Bank Statement(口座明細書)」なんていってますが、日本にいれば、「バンク・ステイトメント」なんてわざわざ言わない。「銀行の口座明細書」で十分です。それを、なにかね?医学分野だと、診療報酬明細書を、語源も何も開かさず、一般人の人口に膾炙(かいしゃ)していない「レセプト」を使うのかね?

こういう日本語で用が足りるのにもかかわらず、わざわざカタカナ語で、それもポピュラーでない用語を使うのは、どうなんでしょうかねえ。信じられないね。

では、これから、日本で病院に行ったら、会計の時に「レセプト下さい!」と言えば、100%通じると思って良いのですね?日経新聞さん!それとも、「レツェプト下さい!」ですか?「診療報酬明細書」下さい! 」と言ってはダメなの?

「レッド・ツェッペリン」と読み、尚かつ、「レツェプト」と読むか、「レッド・セッペリン」と読み、尚かつ、「レセプト」と読むか、

どちらかに統一するか、或いは、

「レセプト」などという一部医学関係者しか使わない用語をあえて使わず、日本語で「診療報酬明細書」と使うか、

報道機関である限りハッキリした方がいいでしょうな。

え?日本経済新聞社殿?

おいおい、日経新聞殿だけではなく、朝日新聞殿も毎日新聞殿も読売新聞殿も産経新聞殿も一緒だからね。全部まとめて、日本語能力欠如新聞社群とでも言っておきますか。

言うだけ無駄か。。。挫折、挫折、楽しいなっと。。。_| ̄|○

誰だ!数えたやつは?各新聞社、数字が同じですよ! 

カタカナ延べ109回、わかりにくいの声も…首相演説
 安倍首相の29日の所信表明演説には、「人生のリスクに対するセーフティーネット」「カントリー・アイデンティティー」などのカタカナ言葉が、国の名前なども含めると延べ109回も登場した。
 ほかにも、簡素で効率的な政府を「筋肉質の政府」と呼ぶなど、若い首相らしい「キーワード」づくりを狙ったようだが、与野党からは「わかりにくい」という声も出た。
 安倍首相は29日夜、「私が目指すべき方向、理想の国の姿について、私なりに具体的に説明した。わかりやすく説明することに力をいれた」と首相官邸で記者団に強調した。

あのですね、数えたんですが、96回カタカナ言葉がありました。それもアジアとかイラクとかオーストラリアなど、どう言い換えたらいいのかわからないですが、カタカナで表記された外来語を太字で示しました。アジアってのは亜細亜ですか?オーストラリアは豪州ですかね?それとも濠太剌利?イラクは?う~ん。。。

そうすると、アルファベットで表記されたODAとかASEANとかも数えたと言うことでしょうか?ODAは政府開発援助?ASEANは東南亜細亜諸国連合?演説でアジアも亜細亜も一緒じゃないですかね?大東亜とでもいうのかね?

テロもスタッフもトンネルもルールも数えられてます。世界貿易機関(WTO)も新多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)も国内総生産(GDP)比も財政収支「プライマリー・バランス」も日本語で言って括弧読みでカタカナ語・アルファベットで喋っているのも数えています。第二次ベビーブーム世代、エレベーター、ガス湯沸かし器まで数えての109回。。。やれやれ。。。

確かに、演説でわかりにくいカタカナ語もありますが、アジアやイラクやオーストラリアやODAやASEANまで含めて109回と書かれてはちょっと酷でしょう。わかりにくい言葉も相当ありましたが、人口に膾炙した外来語まで日本語を使う必要はありませんね。

ところが、109回という数字だけ一人歩きする。私のように暇人ではないので、誰も数えない。メディア。。。おっと報道機関の思うつぼですね。そういう新聞にカタカナ語は氾濫してないかったですかね?

誰だ!数えたやつは?各新聞社、数字が同じですよ!

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テキサスのサボテンを、日本の水田に移植してうまくいくはずがない 

民主主義、という絶対一つの定義され固定された政治形態があるわけではありませんね?英語と同じです。あらゆる国で、英語表現は形態を変え、その国の母国語と融合し、地域性を反映し、日々変化しています。

私の義兄は生粋のイングリッシュですが、彼の英語は、イングリッシュですので、発音は曖昧、イディオムは難解、とても万国で通用する英語ではありません。過去、東南アジアで出会った、また、中国で会った、欧米系企業の担当者の英語も千差万別。語彙の守備範囲も国々で異なります。

民主主義も、この英語と同じですね。日本には日本型民主主義が必要で、まだ戦後「たった」61年しか経過していません。まだまだ、変化し続けなければいけませんし、その努力を怠ってはいけません。

他の国の民主主義は、サンプルになるとはいえ、そのまま移植するのは危険です。テキサスのサボテンを、日本の水田に移植してうまくいくはずがない。

また、あらゆる政治形態には、「全くの構成員の自由」という事は存在致しません。権利には制限も存在致します。ところが、普段は制限されない自由すら行使しないのに、それが制限される事態にはいたく敏感に反応するのが日本人ですね。移動の自由の制限は、憲法でいくら謳われているとはいえ、他の構成員の不利益になる際には、制限も必要ですし、政府は、その制限の期間・範囲を明確にした上で、どんな反対があろうと制限すべきなのです。

「人に迷惑をかけなければ何をしたって自由」という悪しき戦後日本民主主義の誤解は、「制限」されなければいけません。

・・・

私は、最近「臼」と「杵」と「餅」を考えます。みんなが餅を一生懸命つくのは餅を食いたいからです。ところが、ある組織構成員は、餅を論じるのではなく、杵を論じます。或いは、臼を論じます。杵と臼が汚染されている。それでついた餅を食うのはイヤだ!という訳です。

「臼」が「国家・国民」だとして、「杵」が複数あり、「政府」「官僚」「産業界」「学会」「マスコミ」などがあり、「民主党」とか「社民党」「共産党」などという「杵」もあります。「NPO」なんて杵もありますね。

ひとつの「杵」だけではなく、複数の「杵」で餅がつき上がるわけです。その餅がうまければ、どの杵だろうと、どうでも良い。私が、プラグマティックな考えをする由縁ですが、それが気にくわない人たちがいる。

一番でかい杵になりたい、というわけです。だけどねえ、「臼」の「国民」の中には、その「赤い」「杵」が嫌いな人たちがいる。

そこでね、「赤い」「杵」は、「緑の」「杵」に一部色を塗り替えて誤魔化そうとしている。いわくの、「緑の」環境NPOとか、発展途上国支援の「緑の」NPOとかね。でも、実態は、杵の表面を削ると真っ赤っか。。。

例えば、成田空港闘争なんてありましたね?(か、過去形か?)成田空港、という命題も、命題自体が風化したら、その命題に沿って作られた組織は用済みのはずですが、いったん作られた組織は、それ自体が生命を持ち始め、類似の命題を探して生き延びようとします。

彼らにとっては、「臼」を壊す行為であっても、一番でかい杵になりたい、というのでしょうね。やれやれ。

私なんか「赤・緑」の杵の連中には唾棄される存在でしょうね。私は右翼ではありません。右とか左とか、2元論の概念の範疇外の人間です。しかし、「赤・緑」の杵の連中は、そのカテゴリーに当てはめたいのでしょうね。

・・・

世界で困っているのはイラクばかりではありません。皆が忘れたアフガニスタンもチモールも、アフリカも、NPOの出番はたくさんあります。イラクでの援助が困難なら、同じNPOの援助活動、他の国でもいいはず。それを、なぜイラクにこだわるかというと、金になる機会と踏んでいる人、名をあげる機会と踏んでいる人、結局、個人の思惑ですよね。くだらん。

さらに、日本の政局と結びついて、イラク問題を政局に絡めたい団体がたくさんある。政府だって、似たような意図がありますが。

何度も発言しているのですが、私はそれはもう共産党・極左が嫌いでして。大学時代からことある毎に邪魔してます。

なぜか?

自分の頭で考えない人間、結論を先に作り上げて、物事の様態を考えない、観察結果を恣意的にねじ曲げる、というのが、物理学、及び、私の美術の血にそぐわないからです。物理学は、結論を先に作り上げる学問とは対極をなす学問です。美術は、個人の才能次第で、年齢も組織も生い立ちも関係ない分野です。その立場からすると、共産主義・社会主義は対極にあり、私の「敵」なのです、個人的にね。

大衆は真実を望んでいない。真実というのはあまりに明解なものではない。真実は複雑で、大衆が聞きたいと思っている物とは限らない。人々は単純で確実な物を求めている。そして、自分たちの偏見が脅威にさらされる時にはひどく残忍になる。真実は敵になり、彼らは命をかけてそれと戦う。

というのは、塩野七生さんの言葉ですが、その通り。

真実というのはあまりに明解なものではない』ので、絶対的な悪、絶対的な正義がない

というと、大衆はガッカリしますね。でも、じゃあ、なんなんだ?と理解し始めなければいけない。偏見と先入観を持ってはいけない。それは捨て去るべきものです。

タマネギ、にんじん、ジャガイモ、椎茸、豚肉、牛肉、さまざまなスパイス、これを、TVや報道機関が彼らのレシピで、素材がわからなくなるまで煮たり焼いたりして、提供し、それを食するだけ、というのは止めにしなければいけません。

素材を、下手でもいいから、自分のレシピで調理して、自分なりの味付けをしなければいけない。みんな、自分のレシピを作り上げる、これが民度を深く広くする道です。もうインスタント物や店屋物には飽きたでしょう。

思想・信教の自由の制限 

A級戦犯の靖国合祀の話、靖国神社のあり方、首相参拝に関して、誤解を受けるので、一言述べておきます。

東京裁判が規定した戦犯の妥当性、靖国神社への合祀の動きは、昭和20年代の日本の世論、政治家の考えでは致し方の無かった事と思います。

しかしながら、

昭和20年代の話と、現在の首相参拝の話は状況が違います。昭和20年代の事実の認識は認識として、

小泉首相による、それが個人的な参拝であろうと、公式参拝であろうと、首相という役職にある間は靖国神社にあえて詣でる事はないのではないかと思います。横須賀の自宅近所の杉山神社にでも詣でていればいいでしょう。首相でなくなったなら、いくらでも思う存分、毎日だろうと参拝して頂いて結構ですがね。

靖国神社に参拝し、戦死された英霊を拝み、2度と戦争をしない、という不戦の誓いをしたい、というのは小泉首相本人の強い意志(?)とは思いますが、靖国神社に対する認識が、首相本人の認識と、外国、特に、中国・台湾・韓国・北朝鮮の認識と違う以上、パフォーマンスとしての参拝は国益を損ねる、という理由で、控えた方が良いであろうと考えます。

もちろん、個人の信教の自由は保証されています。

英霊が祀られていて、そこにすまわれていると信じる、拝めば不戦が達成出来る、と信じるのは首相の自由です。

憲法第9条があれば、日本は戦争に巻き込まれない、不戦の誓いを守れる、という信仰と全く同じであります。

私自身は、伯父がフィリピンで戦死し、靖国神社に祀られておりますが、別に靖国神社に詣でる事で伯父の霊が安らかになるとか、戦争が2度と起こらないとかの信心は持っておりません。靖国神社に行く場合は、静かな環境を楽しむ時だけで、全く宗教心を靖国神社に持っておりません。歴史のない神社ですからね。

さて、「世に倦む日々」というブログで、国内の靖国反対論を隠蔽する報道操作と梅原猛の国家神道批判という記事を見つけました。

靖国神社が問題なのは、それが戦前の日本を侵略戦争に導いた軍国主義の精神的支柱であったからである。靖国神社は戦死者を追悼する場所ではない。天皇の戦争に出征し戦死した戦没兵士を顕彰する祭儀施設である。戦死者を追悼する場所と言うなら、それは千鳥が淵の全国戦没者墓苑のことを指す。

前半の記述はもっともだと考えます。ただ、出征した兵士の大部分が戦死したら靖国神社に祀られて平安に英霊として成仏出来る、という信仰を持っていた、などということはないでしょう。どの程度「軍国主義の精神的支柱」であったのか、私は知りません。どなたか事実関係を知っておられるか、関連した記事を教えていただければありがたいのですが。

ここは、前半の「軍国主義の精神的支柱」であったを正しいと仮定して、

後半の記述を見ると、どうも戦前と結びつけ過ぎて、何か靖国神社が過去そうであったから、穢れていて、戦後もその穢れは払拭出来ない、そいった施設に参拝するのはよろしくない、という書き方に見えます。

しかしながら、

「軍国主義の精神的支柱」であったのは、主たるものが靖国神社であったにせよ、歴史が古い、新しいに関わらず、戦時中は日本のほとんどの神社・仏閣で先勝祈願が行われていましたので、穢れていてといえば、日本の神社・仏閣は靖国神社と共に穢れていると言えますね?

私は、そういった穢れていてというものが単なる建築物にあるわけもない、と思っているので、戦前の靖国神社と、戦後のそれを同一視する見方は致しません。

ただ、

私とは逆の見方をする方を非難したり、正しくない、と言ったりも致しません。これこそ、個人の思想・信教の自由ですのでね。

「小泉首相が、そこへ行って『不戦の誓いや戦没者への哀悼の念を示すためのもの』と言っても口先のものとしか受け取れない。」と言われる方もおられると思います。

個人個人の思想・信教の自由はありますので、小泉首相が「不戦の誓いや戦没者への哀悼の念を示すためのもの」と言っているので、あえてそれを口先だけとか、推測する事は私は致しますまい。

しかしながら、

公的な立場がある人が行動する事ですので、多生は行動の自由は縛られる、思想・信教の自由の上に、公的な立場を背負った行動の規範が求められる、と言う事はあるのではないか?と考えます。

ということは、

公的な立場にある方の行動は、個人の思想・信教の自由を超えて制限される場合もあるというのを首相に適用しよう、という考えですね?

ところが同時に、

公的な立場にある学校教師に関しては、国旗掲揚・国歌斉唱は、個人の思想・信教の自由を踏まえて、公的な場ではやめるべきだ、という主張をする方もおられます。

それはいささかの矛盾もない考えなのでしょうか?

昭和の頃は、国旗掲揚・国歌斉唱に関してあまり強く言われていなかったように思います。強く言われていなかった代わりに、あまり気にせず、国旗掲揚・国歌斉唱をしていた学校も多かったでしょう。

国旗掲揚・国歌斉唱で軍国主義者が増えるというのであれば、昭和の頃に義務教育を受けた学童にはその傾向が強い、となりますが、果たしてどうでしたかね?ノンポリ(ふ、古い!)が多くなっただけではありませんかね?

私は、たかが旗、たかが歌、と思ってますし、学校などの公式行事に、旗・歌が必要とも思います。行事進行に格付けされますから。だから、別に、国旗掲揚・国歌斉唱してもなんら私の信条に影響を与えません。

首相に思想・信教の自由を、少なくとも首相の間は制限しろ、と主張するわけですから、国旗掲揚・国歌斉唱に対しても公的立場にある教師は、個人の思想・信教の自由は制限して考えて頂きたいと思います。

The Science and the life of Albert Einstein 

FI154866_0E.gifアインシュタインというと、有名な人なのに、意外とその生涯は知られていませんね。しかし、アインシュタインというと、相対性理論なんて取っつきにくい、というので敬遠される方も多いでしょう。確かに、物理科の専攻学生でも、試験は通っても、本当に理解しているかどうかは疑問です。かくいう私もその一人です。

☆The Science and the life of Albert Einstein☆というWEBを御紹介致します。

このWEBは、アインシュタインの伝記を中心に「アインシュタインの科学と生涯」について編集したものです。伝記の部分では難しい公式も出てまいりません。アインシュタインが2度結婚した事、家庭生活では不幸であった事なんて知りたくありませんか?

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アイシュタインとその時代 

FI323807_0E.jpg国際結婚をしていると(変な現在進行形ですが。。。)日常茶飯事に、その人種の違いというのを実感致しますが、凡々と日本人の中で生活し、結婚し、子供をなしただけの人たちに、理屈ではわかっても、体で体感した人種の壁や、考え方の違いなんて、そうそうわかるものでもありません。

現在、日本では結婚数の4.5%(2000年統計、伸び率の平均で2004年では6~7%)が国際結婚になっています。これから、どんどん『合いの子』が生まれてきます。あえて、『合いの子』と書くのは、将来必ず、この『合いの子』の問題が多くなると思っているからです。純粋大和系日本人は、千数百年に渡って、自分ら大和系に生活一般を合わすのが普通だと思ってきた人種です。これから、そうではない、という事が如実にわかってくるのでしょう。


ちょっと前のニュースで、「テニアン島でエノラ・ゲイに積まれた原爆の記念碑が出来ましたが、広島・長崎の原爆被害に言及してはいなかった」などというの記事が紙面に出ておりました。まるで、加害者ではなく、原爆に関しては被害者であるかのように。それで、傷を帳消しにするように。

考えてみて頂きたいが、

もし、1944年に、日本が原爆を開発して、その輸送条件が整っていたら(重爆があり、飛行基地を確保していたら)、その当時の大日本帝国政府はためらわずに、米国領土に原爆投下していたでしょう。幸いにも、我々は原爆を持っていなかった。原爆を持っていて、投下していたら、さらに悲惨な戦後になったかもしれません。

つまり、倫理的に日本が高潔だったから原爆を落とさなかったのではなく、単に持っていなかっただけに過ぎない。アメリカも同じ事。持っていて、戦争の早期終結をはかりたかったから投下しただけです。

スミソニアン博物館で、エノラ・ゲイの模型が公開されて、日本の団体が広島・長崎への言及が少ないと文句を言ってましたが、では、呉とか佐世保とかで、ここは真珠湾攻撃の南雲艦隊が出撃した忌まわしい地である、とデカデカと碑文でも出てますか?お互い様というものです。

いい加減、被害者意識も大概にしないといけませんし、卑屈な加害者意識もこれまたいい加減に払拭する必要がある。

なぜ、『正しい加害者意識』『正しい被害者意識』が一般日本国民に湧かないか?簡単です。日本にだけこもっていて、外界をしらない田舎っぺだから、近隣の国の国民感情がわからないだけです。え?海外旅行?そんなもので、わかるわけないよね?だから、日本独特の突飛な考え、非現実的な考えが生まれるのです。そういう意味では、日教組の歴史教育ではない、正しい相対的な、人種意識を持つように誘導する教育が必要と思いますね。

しかし、日本が敗戦を迎え、得たりと再度植民地経営に乗り出してきたオランダ、ポルトガル、イギリスを追い返したという副作用が有ったのも確かです。まあ、民族自決が、その地域の民族の最大幸福となるとは必ずしも言えませんがね。東チモールは永久に独り立ちできないのではないか?と思います。これは、いったん物乞い国家となったら、それから離れられないのは、川崎のホームレスも一緒だからです。

尊厳って、いったん失うと取り戻すのにコツがあります。それはね、単純。負けた喧嘩にもう一度勝つってのが一番の近道。でも、もうそういうご時世ではありませんので、後は、国民の民度をあげるしかない。でも、日本人は、尊厳失って60年以上経ちますが、いつ取り返せるのかな?戦争をしないで国家の尊厳を取り戻す方法は?難しい問題です。

FI323807_1E.jpgという事で、唐突ですが、テニアンとスミソニアン博物館の原爆の話題を出しましたので、その原爆と縁の深い、アインシュタインのお話でも。

さて、主に原爆投下と日本に関してアインシュタインの考えの変遷を年代を追って整理してみます。

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「結婚格差の時代」 その4 

20060512112905.jpgついに待望の、白河桃子女史の「『“キャリモテ”の時代』(第4回)」がアップされました。。。と、待望していたのは私だけ?

白河桃子の「“キャリモテ”の時代」(第4-1回)
白河桃子の「“キャリモテ”の時代」(第4-2回)
白河桃子の「“キャリモテ”の時代」(第4-3回)

と、第2回、第3回も気づいていませんでした。

白河桃子の「“キャリモテ”の時代」(第2-1回)
白河桃子の「“キャリモテ”の時代」(第2-2回)
白河桃子の「“キャリモテ”の時代」(第2-3回)

白河桃子の「“キャリモテ”の時代」(第3-1回)
白河桃子の「“キャリモテ”の時代」(第3-2回)
白河桃子の「“キャリモテ”の時代」(第3-3回)

まだ、全部通して読んでいません。とりあえず、忘れないうちにURLだけ残しておきます。

結婚格差社会 

20060512112905.jpg日本の結婚形態だだんだんアメリカ化/香港化/シンガポール化してきて、亭主と女房の会計は別、資産は離婚時ではなく結婚後の購入時に登記などで明確化するなどというシステムになってきたら、これから引用する女性など誰も見向きもしなくなるのではないでしょうかね?

これからの日本の結婚形態では、結婚格差が生まれてくるのでしょう。

恋愛結婚をして、夫婦が家庭運営をコラボレーションするカップルの場合は、徐々にアメリカ化/香港化/シンガポール化してくるでしょうし、この下の引用にある超面食いの私的女性などは、恋愛結婚とはほど遠い(自身は夢見ていますが)生活面重視の、昔のお見合い結婚スタイル/寄生生命体のような結婚形態になってくるのでしょう。

戦後生まれた恋愛結婚なんてのも、結局は高度経済成長時代に生まれたあだ花。結婚も旦那の地位も女房の地位も不明確で、契約(夫婦の約束事)が存在しない曖昧な結婚。だから、年金離婚、退職離婚などという馬鹿げた事態になる。男性だって、夫婦の約束事が曖昧で、旦那の権利と義務が不明確、義務だけ増大するような結婚なんてしなくなるんでしょうね。

男女機会均等法ですので、是非、女性の権利ばかりでなく、義務の方も明確にして、自覚してから生きていって頂きたい。

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「結婚格差の時代」 その1 

結婚格差というのは、白河桃子女史のインタビュー結果にあるような男性の結婚観の変遷についていけない女性とついている女性ということ。

1.バブル期の男性の結婚観
2.バブル期崩壊後の男性の結婚観
3.現在の男性の結婚観

で、男性でも、まだまだ結婚観がバブル期で停止している人、バブル期崩壊後で停止している人もおります。それらさまざまな男性の結婚観と、女性の各々のレベルの結婚観との組み合わせで、喜劇も悲劇もハッピーエンドも生まれるということでしょう。

白河桃子女史は、自分をキャリアレディーと規定しているようですから、「“キャリモテ”の時代」と名うってますが、女性にとっての結婚は鮮度(年齢)が好むと好まざるとによらず付きまといます。3の意識の彼女が結婚をしたいと思っても、鮮度が落ちているので(40才を越えているので)、対象の男性は1と2しかいないとかの悲喜劇も生まれます。小泉今日子じゃあるまいし、誰でも彼女でも自分より20も年下のイケメン男性につき合って貰えるワケじゃない。

白河桃子の「“キャリモテ”の時代」(第1-1回)
白河桃子の「“キャリモテ”の時代」(第1-2回)
白河桃子の「“キャリモテ”の時代」(第1-3回)

インタビューをしていて感じるのが、男子たちの変わりよう。これまで、「変わらない」「変われない」「変わらなきゃ」と言われ続けてきた日本男子が、最近劇的に変わってきたように思う。どう変わったか、というと…。

20060512112905.jpgという書き出しで、意味深ですが、読んでみるとこりゃあ深刻な話で、いくら鈍い日本男子もついにこの社会の仕組みに気づいたか?!と感慨無量になります。

ついに“働く女性がモテる”時代がキタッ…

と白河桃子女史は言われていますが、これは同感であります。

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「結婚格差の時代」 その2 

1.バブル期の男性の結婚観
2.バブル期崩壊後の男性の結婚観
3.現在の男性の結婚観

20060512112905.jpg1の結婚観の男性とその考えにマッチする女性、2の結婚観の男性とその考えにマッチする女性、3の結婚観の男性とその考えにマッチする女性というお互いシンクロしている組み合わせなら悲劇喜劇は生まれませんが、男性が3で、女性が1か2なんて組み合わせは最悪です。

言うならば、国際結婚で、専業主婦のつもりで欧米人と結婚したのが、結婚後君はいつ働き出すの?などと欧米人の夫と親族に言われて、あまりの考えの違いに泣きを見ている女性達のようです。もちろん、欧米でも家族の職業や地方によっては違うでしょう。でも、日本人女性が知り合う欧米人は大都市居住者が多いのじゃないかな?夫が大金持ちなら別でしょうがね。

この3の結婚形態というのは、まさに、欧米化/香港化/シンガポール化に他なりません。そうすると、今までの、亭主は給料を稼ぎ、その給料は夫婦共同、実質女房管理の口座に振り込まれ、家計の財政管理は女房がする、なんてことは、3の結婚形態では問題が有り過ぎです。夫、妻、各々の収入が混在してしまいます。

欧米/香港/シンガポールでは、夫は夫の口座、妻は妻の口座、それと共同管理の家計の口座と2つか3つの口座を持って運営しています。夫は夫の給与を自分で資産管理、妻は妻で自己管理、家計の光熱費とか、消耗品、飲食費は共通で出し合い、服飾費、交際費などは別個に支払うというシステム。家は、アメリカなどでは、結婚前に男性が買ったとしても、女性が転がり込んでくれば「半分!」と言われてしまうので、結婚と同時に共同登記にしてスッキリする(離婚後に決済というのはスッキリしませんので)ということ。或いは、いったん売却して、改めて新居の費用を各々で出し合い、登記配分を決める、なんてことをやってます。香港も、シンガポールも似たようなシステム。

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「結婚格差の時代」 その3 

1.バブル期の男性の結婚観
2.バブル期崩壊後の男性の結婚観
3.現在の男性の結婚観

だから働く女性のパートナー選びは、35歳以下の男性が最近の推奨銘柄。家族社会学、ジェンダー論が専門の、東京学芸大学教育学部山田昌弘教授も、「35歳ぐらいから下の男性は、(それより上の年齢とは考え方が)違う」と明言。私が取材した実感では、35歳ぐらいから柔軟な男性が少しずつ増加、32歳以下からは確実に毛色が違う日本男児となっている。長い長い冬の時代を経て、ついに“働く女性がモテる”時代がキタッ…と私は思っている。

20060512112905.jpg32歳以下からは確実に毛色が違う日本男児となっている

つまり、33才以上は旧態依然の男性が多い、ということ。ということは、32才以下の男性の許容範囲が5才年上の女性まで、と仮にすると、37才までの女性にはこの毛色の違った、働く女性に理解のある(?)男性に行き当たる可能性はあるということ。

ただね、これは怖い言葉ですよ、理解のある、というのは。許容範囲外の女性は相手にされないし、結婚して許容範囲の外になったらポイされてしまうという危険もある。許容範囲ってのは、もちろん、結婚を安住の地にして、1(バブル期)とか2(バブル期崩壊後)になってしまう女性のことですね。

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小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」 

小野田寛郎「私が見た従軍慰安婦の正体」-「正論」一月号より
「従軍慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った兵士と軍の方ではないのか。

講釈師、見てきたようなことを言い、とは言いますが、こちらは当時現役だった小野田寛郎さんのお話。実に詳しく当時の慰安婦、慰安所の実態を書かれています。

軍は「慰安所」に関与したのではなく、自分たちの身を守るための行為で、それから一歩も出ていない。

これは小野田さんは清廉潔白だったかもしれませんが、一部にはやはり関与した軍人もいたのでしょう。しかし、それは少数だったのではないでしょうか?なぜそう言えるかというと、外地で商売する場合、物の売り買いでの汚職はまだ高級な部類ですが、色物・水物の商売は下の下で、これは今も昔も変わりません。刑務所で男性同士の争いによる殺人者は軽侮されませんが、女殺し、子供殺しの殺人者は最低階級となるのと同じことです。

私は、慰安婦なんぞ存在しなかった、などと主張するものではありません。ただねえ、軍隊のあるところ、必ず売春婦がいたのは事実でしょうに。現代でもいるでしょうが。それを軍隊が経営していたというのがあったかなかったか。それから慰安婦という名前がどれほど使われていたのかどうか。当時使われていなかったら、今それを造語として使うのは問題でしょう。慰安婦でなく公娼という呼び名、或いはパンパンじゃなかったのですかね?

う~ん、人民解放軍には慰安婦はいなかった?まさかあ。今でも人民解放軍経営のカラオケがあふれているではないですか?建前はそういうものはない!と言うのでしょうが、実態は?中国人がそういうおいしい商売を放置するはずがないではないですか?

「慰安婦」という言葉 

慰安婦」という言葉、耳打ちゲームというのでしょうか。だんだん数字と内容が変節していくのがわかります。

だいたい、女子挺身隊というのは、1938(昭和13)年4月1日公布、同年5月5日施行の国家総動員法に依ります。それから数年、戦争の長期化と戦局の悪化により、国民全体に対する動員は苛烈になりました。その方策として動員された国民(朝鮮人も含む)は、1944(昭和19)年2月までに390万人(労働人口の17%)に達しました。この数字は累積ではありません。だから常時390万人が無償で戦争遂行のために労働奉仕をしていたということですね。また、この390万人には男女合わせた数字です。

で、1944(昭和19)年8月23日勅令第519号をもって、「女子挺身勤労令」が発令されました。「女子挺身隊(14歳以上25歳以下)」というのは、正しくは、「女子(勤労)挺身隊」です。慰安婦目的ではありません。勤労です。

さて、

この「女子(勤労)挺身隊」の意味をよく理解した上で、韓国で起こった耳打ちゲームの数字と内容を見てみますと、

■1969年の韓国国内の日刊紙
 挺身隊として動員された朝鮮と日本の女性は概略20万人で、
 うち朝鮮女性は5万~7万人と推算される

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■宋建鎬(ソン・ゴンホ)「日帝支配下の韓国現代史」(1984)
 日本が挺身隊という名目で連行した朝鮮人女性は、ある記録によると20万人で、
 うち5~7万人が慰安婦として充員された」

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■韓国の高校教科書
 慰安婦の数 → 数十万
 強制連行された人 → 650万人

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■北朝鮮国連代表部のキム・ヨンホ書記官、ジュネーブ国連人権委員会での発言
 慰安婦の数 → 20万人
 強制連行された人 → 840万人

【民族抹殺統治】
また、わが民族は戦争に必要な食糧と各種物資を収奪され、わが国の青年は志願兵という名目で、また徴兵制と徴用令によって、日本、中国、サハリン、東南アジアなどに強制動員され、命を失い、女性まで挺身隊という名で強引に連行され日本軍の慰安婦として犠牲になった。

ふぅ~む、勤労目的で強制徴用された朝鮮女性5~7万人。その中に慰安婦が何人含まれていたか、含まれていないのか知りませんが、それが何故か、慰安婦の数字になり、さらには、朝鮮人と日本人合計の女子(勤労)挺身隊20万人がそのまま朝鮮人慰安婦の人数になり。。。

朝鮮人慰安婦20万人。。。

第2次世界大戦当時の男性の労働人口は1500万人ぐらいだったかな?まあ、これが生殖可能人口として、日本人売春婦を勘定に入れずに、朝鮮人売春婦(慰安婦)ってえのは20万人もいたとすると、

 20÷1500
=75人の日本人男性の生殖可能人口に対して1人の朝鮮女性が慰安婦

として奉仕していた計算になります。毎日買春出来るわけでも、する気にもならないでしょうから、ティーンからじいさんまでおしなべて日本人の労働人口の男性が4週間に1回朝鮮人慰安婦を抱くとして、毎日朝鮮人慰安婦は2.68人(=75÷28)の日本人男性と性交したんですな。で、日本人男性が日本人女性とする性交は?ナシ?

に、日本人って、それほどセックス好きだったの?戦争中だから異常に性欲が昂進したんでしょうか?いやいや、朝鮮半島人ほど日本人は買春好きとは言えませんやね。だいたいセックスしたい年齢の男性ってみんな東南アジア、中国大陸に散らばっていたのではないですか?数十万人も朝鮮人慰安婦ばかりを船で送り出していたの?それとも日本国内は残りの男性が朝鮮人慰安婦を複数抱えたハレム状態?まさかねえ。。。

彼らは、あれ、大変好きですけどね。なんせ、今でも満20歳から34歳までの女性(2002年、統計庁)人口の4%、(売春婦)適齢期の女性の25人にひとりはホントに売春婦のお国柄。売春産業は2兆6000億円の稼ぎですからねえ。自分で報道している記事 → 買春売春市場の規模、年間26兆ウォン(しかし、この数字だって眉唾だ。韓国人は数学が出来るのかなあ。2兆6000億円を26万人の売春従事者で割ると、一人年間1000万円の売り上げ?!それほど稼ぐの?どこまで含んだ数字なんでしょか?)

まあ、確かに朝鮮人慰安婦というのは存在したし、その中のいくらかは強制徴用された慰安婦だったのでしょうがねえ。。。自国の男性の需要がほとんどだったのではないの?

20万人の朝鮮人慰安婦。。。

職にあぶれた朝鮮人慰安婦が相当いたに違いない。。。買い手市場だ。。。

馬鹿馬鹿しいなあ。。。

腐ったトマトは小泉首相が来るまで投げずに我慢しなさい 

ノーベル文学賞受賞者の大江健三郎、彼の小説は、私にはとんと理解出来ない代物で、学生時代、半分放り出しながら、でも読まねば何も彼に関して言えないといやいや読んだ記憶があります。

故江藤淳や石原慎太郎と、とうの昔に袂を分かち、辻元清美ばりのえげつない左翼運動を展開して、嫌悪感以外抱けない人物となりはてたと思っていましたが、今回は発狂したとしか思えません。身体障害者の息子の世話で頭がどうかなったのでしょうか。

「腐ったトマトは小泉首相が来るまで投げずに我慢しなさい」
日本の代表的な良心的知識人である同時にノーベル文学賞受賞作家である大江健三郎は5日、SBSテレビの「韓スジンのサンデークリック」に出演して、日本の政権による憲法改訂の動き、歴史教科書歪曲問題、従軍慰安婦問題など韓日両国の外交争点になっている事案について自らの立場を明快でありながらも意味ある発言をする渦中に漢陽大を訪問して若者達を対象に行なった講演について、このような言及をした。

日本が戦争をしないで軍隊を持たないという憲法9条守護の会を主導している大江健三郎は、神社参拝をする小泉首相に対して批判をする中で「小泉首相の神社参拝は韓国・中国の怒りを買うに値する。日本は真正な心の謝罪をしなければならない」と強調した。

日本は真正な心の謝罪をしなければならない

また謝罪だ。大江健三郎さんは日本人の立場での謝罪を言いつのって、中韓の受けを狙っているんでしょうが、あなたも日本国籍所持者、どう謝罪を現すのですか?具体的にお言いなさい。

私も靖国神社の首相参拝には反対ですが、それは敗者に対して祟りを恐れた鎮魂という儀式が外国人にとってはわかりにくいので、やめた方がよろしいというスタンスです。中韓を恐れて、という話ではありません。仏教徒ですので、魂は死すれば速やかに輪廻転生するので、いつまでもこの世にとどまるわけでもなし、鎮魂など不要のこと、と思ってもおります。鎮魂を信じる、というのは元々の仏教思想ではなく、神道ですからね。お間違えのないように。

だいたい、中韓が望むのは、過去の中華帝国朝貢序列に戻り、日本が中韓の下風に立ち、中韓の息子、弟としての地位に甘んじ、過去、戦争で蹂躙し中韓を侮辱したのは間違いでした、日本はあなた方の息子であり、弟であります、と恭順して初めて、彼らは面子が立ち、謝罪を認めるのでしょう。それも、言葉・態度だけではなく、国際的地位を差し出し、経済的朝貢を行って初めて、向こうも溜飲が下がります。

ノーベル平和賞と文学賞は、他の賞と違って胡散臭いと思っていたんですが、まったくもって、本当ですね。少なくとも、ガルシア・マルケスと比較出来る人物ではなさそうな。

大江氏は漢陽大を訪問して学生たちに講演をする中で、「私の娘は心配性で、敏感な時期に韓国を訪問するのを心配して、日本人は印象が良くないから腐ったトマトを投げつけられるかもしれないと言っていた。腐ったトマトは私に投げずに、小泉首相が来るまで我慢しなさい」と言って学生たちの笑いを催した。横にいた小説家の黄ソギョン氏は大江氏のこの言葉に対して「大江先生には花を投げなければならない」と肯定的に回答した。

下品な冗談で受けを狙ったもんだ。品性のかけらもない人間です。鎌倉を引き上げて、韓国か中国に移住すればいいものを。江藤淳が草葉の陰で舌打ちしていることでしょうね。

大江健三郎は、ノーベル文学賞を受けた直後に日本天皇が与える文化勳章授与を拒否した理由について、「真の民主的な賞を受けたかった」と簡単に答えた後、この受賞拒否で右翼らのデモなどに直面したエピソードを聞かせた。
オリジナルの韓国語記事

なんと子供っぽい文化勲章受章拒否。日本政府もこんな人物を候補に上げなければいいものを。江藤淳と三島由紀夫が生きていたらどう言っただろうか?三島由紀夫の自殺の頃から大江健三郎はおかしくなってしまったんでしょうねえ。

辻元清美落選と共に、大江健三郎の書籍不買運動を!。。。って、もともと、あんな本あまり売れないか。。。_| ̄|○

大江健三郎殿、韓国人が腐ったトマトを小泉首相訪韓までに準備しておくかどうか知りませんが、少なくと私は腐ったトマトをあなたが香港に一歩でも脚を踏み入れたら投げつけるように準備しておきます。。。って、彼と同じ下品で下劣なレベルに落ちてしまうので止めておきますが。。。やれやれ。

ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(1) 

第51回パグウォッシュ会議報告(2002.3)の中にこのような文章があるのを見つけました。

パグウォッシュ会議のレゾン・デートル
パグウォッシュ会議の精神はラッセル・アインシュタイン宣言にある「あなたの人間性を心にとどめ、その他のことは忘れよ」にもっとも端的に表現されているであろう。それは国家の利害を超越することにおいて日本国憲法(とりわけ第9条)の精神にも通じているであろう。

このような立場に立って考えてみるとき、実際の討議の場においてこうしたパグウォッシュ精神が十分に生かされていないのではないかとの感想を私はもった。個々の参加者はとりわけ国家の利害に制約されていることを事実として否定することはもちろんできない。しかし議論を深める過程において、そうした段階にとどまるかぎり、パグウォッシュ会議の積極的な存在意義は見失われてしまうのではないか。少なくとも今回の会議では、参加者の国家からの独立性という観点がほとんど意識されていないような印象を私は受けた。

もちろん参加者の一人として私はそうした方向での問題提起をWG討論の中で積極的に打ち出すべきであったのだが・・・。しかしこうした印象をもったのは会議の運営の仕方にもよったであろう。事前にレポートがわたされ、全員がそれを読んだ上で、(問題の設定をも含めて)自由な討論が行われていたなら、もっと豊富ないろいろな意見が出ていたに相違ない。

ラッセル・アインシュタイン宣言は、総論としては良いでしょう。目的としても良いといえるでしょう。しかし、各論は?方法論は?各論も方法論も何も書いていません。何も書いていないと、単なる原則、原則論に陥る可能性があります。

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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(2) 

憲法9条かえないで-京都の女性たちのアピール
瀬戸内寂聴さんの憲法九条に寄せる思いは次の文章です。

東北の天台寺で、私は毎月法話を行っている。青空説法だが、全国から数千人の人々が集ってくれる。先月、時間も終わりになった頃、私の足許で声がした。

これからの日本はどうなっていくのでしょうか

見れば、にきびの出はじめた童顔の少年である。中学3年生だという。かねがね私は、このままでは日本は滅びへの道を一目散に疾走しているとしか思えないと、内心はらはらしている。しかし、こんな前途のある少年に向かって、そんなことをうかつにセえるものではない。

「あなたは何が心配で、日本の将来のことを考えているの」と訊いてみた。

このままでいけば、憲法が改定され、9条がなくなりそうです。すると、僕は戦争に征かされそうです。それはいやです。日本はどうなるのでしょう

私がことばを返す前に聴衆から、大きな拍手が爆発的に湧き起った。私は感動で泣き出しそうになるのをこらえ、少年に言った。

「あなたが戦争に行きたくないと思えば、いやだと胸をはって言いなさい。まだ日本の憲法は生きています。9条は生きています。でも、あなたの不安は正しいのです。いま、日本の政治の方向は、今の戦争放棄の憲法を捨て、戦争のできる憲法に改定しようとしています。2005年を目処に改定案を出すといっているし、野党もそれに賛成している党もあるのです。あなたはなぜ、戦争に行きたくないの」

死にたくないから。だってぼく、やりたいことが一杯あるんです

それじゃ、憲法が改定されないよう戦いましょう。一緒にがんばろうね

また万雷の拍手が湧き、山にひびき渡った。

-瀬戸内寂聴「京都新聞・天眼より」


日本の文壇というのは左翼っぽいものである。だから、文士が左翼的発言をしてもまったく驚くには当たらない。いわゆる進歩的文化人なるいかがわし「人間も新聞・雑誌などのマスコミでエッセイなどを書いていて、実にほほえましい限りである。空想的平和主義に凝り固まっている彼らの言葉を聞いていると、日本は実に平和であると思わざるを得ない。

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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(3) 

さて、そこで、憲法9条を守る方々に朗報をお教えしましょう。

台湾海峡紛争に介入なら核使用も=中国軍当局者、米国に警告-英紙
15日付の英紙フィナンシャル・タイムズ(アジア版)によると、中国人民解放軍国防大学の朱成虎教授(少将)は外国人記者との会見で、台湾海峡での武力紛争に米国が介入し、中国を攻撃するなら、中国は対米核攻撃に踏み切る用意があると警告した。

同教授は「もし米軍が中国領土の標的に対してミサイルや精密誘導弾を発射すれば、われわれは核兵器で対抗しなければならないだろう」と語った。この「領土」には中国の艦船や航空機も含まれるという。


アハハハハ。

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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(4) 

戦争反対の輪 広げよう 山科の女性4人「憲法九条を守る集い」企画
戦争反対の意識を広げていこうと、京都市山科区竹鼻のニットデザイナー石井麻子さん(60)ら女性4人が、今年10月に「憲法九条を守る集い」を企画している。趣旨に賛同するアーティストを集めた展覧会や音楽会を開き、講演会ともタイアップしていく予定で、準備を進めている。

石井さんは、昨年9月に発足した「山科・九条の会」の呼びかけ人の1人。今回は、党派や意見の違いを超えて戦争に反対する人たちが出会える場をつくろうと、集いを思いついた。企画しているのは、山科区内で絵や版画などの芸術に携わる50-70代の女性たちだ。

集いでは、石井さん宅のギャラリーで開く「九条を守りたい-山科在住アーティスト展」が一つの目玉となる。陶芸や洋画などを見ることで、若者や女性への広がりを期待する。

今年6月に日本世論調査会が憲法の世論調査をした結果、改正派が6割で、改正の必要はないという側の3割を大きく上回った。石井さんは「日本が戦争に巻き込まれないよう、九条を守りたい。気持ちがあっても、実際に動くことがなかった人たちに、九条の大切さを訴えられたら」と話している。


「日本が戦争に巻き込まれないよう、九条を守りたい。・・・九条の大切さを訴えられたら」

九条を守る = 日本が戦争に巻き込まれない

という根拠がまったく理解出来ません。

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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(5) 

土岐正造さんの「平成鸚鵡龍中記」でTB頂きました。土岐さんの下調べが出来ているエントリー群と違いまして、FRANK LLOYDのエントリーは書き散らかしで恥ずかしい。漫画の原作をされている土岐さん。漫画の原作は、歴史物、戦記物、未来物などは、時代考証が大変で、ただの一コマでも気を遣うんじゃないかと想像しております。

さて、そのTB、「九条は拉致被害者を救うのか?」、

チベットに憲法九条があったら、人民解放軍によって国土と文化と人民を蹂躙されなかったのか? ちょっとは考えてみたらどうですか、石井麻子さん(60)。


この文章で思い出したのが、中国の国連参加と台湾の国連脱退の時のこと。台湾は、当時安全保障理事会常任理事国でしたが、中国に安保理での議決でなく、国連総会での議決に持ち込まれて、中国の国連参加を許しました。つまり、拒否権を使う機会がなかったんですね。
参考:常任理「第2次大戦の役割で決まった」 中国国連大使

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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(6) 

吹いて飛ぶような団塊の世代、サヨクの空想的平和主義者、護憲論者をいくらいじめてみたところで、それら護憲論者が意味のある提案を一つでもしているわけでもなし。本論に戻りたいと思います。本論は、

ラッセル・アインシュタイン宣言憲法9条

です。

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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(7) 

ラッセル・アインシュタイン宣言憲法9条の護憲主義が似て非なるものだと言うと、怒る人も多いかもしれない。しかし、これは事実です。

「日本が戦争に巻き込まれないよう、九条を守りたい」なる動機は、人に迷惑を与えなければ何をしても自由という戦後民主主義の大いなる誤解と同列であり、非常に低次元、最低限の民主主義的考えに基づくものです。

以前書きましたが、民主主義というものはさまざまなレベルがあります。そのレベルを4段階で述べると、

① 自己利益の追求と共に、社会への貢献を目指す
 ↓
 性善説の儒教的な世界

② ルールの遵守に加えて社会の共感が得られないような行動は取らないように自制する
 ↓
 アダムスミスの道徳感情論的世界

③ ルールに違反しない限り何をするのも自由
 ↓
 倫理に中立な自由主義的世界

④ 発覚しなければルールを犯しても得になることをする
 ↓
 韓非子的な性悪説の世界

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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(8) 

「日本が戦争に巻き込まれないよう、九条を守りたい」

この考えが如何に非現実な考えであるかは既に述べました。

ラッセル・アインシュタイン宣言で述べられている理念は、このような低次元の理念ではありませんし、自発的宣戦布告はしない、侵略のために軍備は持たない、などという消極的な憲法9条の理念とも違います。

ラッセル・アインシュタイン宣言で述べられていることは、当たり前の理念です。

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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(9) 

戦後、学校教育でよく教えられたのが、「相手のことを思いやりましょう」という言葉。これほど傲慢な言葉があるでしょうか?

私は相手のことを思いやった、どうだ!
私は思いやって争いをしないぞ、どうだ!
倫理的には私が優位だ、どうだ!

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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(10) 

1948年、アメリカ上院議会で決議されたバンデンバーグ決議という法律があります。

これは何かと言いますと、アメリカ国家の安全と国連の集団安保体制に基づき、アメリカだけが相互安保条約を結んだ相手国に一方的に相手国を防衛する軍事行動を行う義務はない、ということを大統領と上院が相互義務決議として制定したものです。

相互義務決議。つまり、大統領だけで、大統領府だけで、勝手に安全保障の相手国の防衛は出来ない。アメリカ上院議会の了承を得る必要があると言うこと。逆に、アメリカ上院議会が相手国の防衛を決議しても、大統領には否決権があるということです。

つまり、日米安全保障条約があって、日本が他国に侵略された場合、日本の行動に気に入らない点があったり、国連集団安保体制に反していたりすると、アメリカ大統領、或いはアメリカ上院議会、或いはその双方は、日本を防衛してくれないということです。

日本の行動に気に入らない点 - これはハッキリしてますね。日本がみずから自国の防衛をしない場合、アメリカが自国の軍人を犠牲にしてまで日本を防衛してくれるか?ということです。

国連集団安保体制に反する - もしも、日本を侵略する国が国連安全保障理事会常任理事国だとすると、安保理に日本の国連としての集団的自衛権の発動(国連軍の組織)を求めても否決されます。アメリカはそれを理由に日米安保による日本の防衛を破棄しても構いません。

このバンデンバーグ決議を根拠に朝鮮戦争の折りに日本は再軍備を強いられたという経緯がありますが、国際常識として、自助努力をしない、祖国防衛をしない国を他国が守る義務が生じるのか?という疑問はありますね。その意味で、バンデンバーグ決議を怨んでいる左翼人がいるかと思いますが、何か一般生活における警察力、のような勘違いをしているとしか思えません。

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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(11) 

大森実が書いた中公文庫『日本は何故戦争に2度負けたか』P.182に、

 アメリカ国務省の「1945年・外交文書」という公式記録の中に、次のような一文が発見される。
 「GHQは、日本の労働組合を育てるべきで、労働諸法もGHQの指導で立法化すべきである。ストライキを阻止するための日本政府の干渉は廃止されるべきだである」
とあります。サヨクの人、よく読みなさいよ。日本の左翼運動は、アメリカ国務省の通達で発達する萌芽が出来たんですよ。続けてこの本には、

 戦時中にワシントンで作成された「民政ガイド」と呼ばれたガイドラインの中にも、日本の労働組合に対する指導方針が記録されているのだが、面白いと思えるのは、国務・陸・海連絡委員会の付属文書の中で発見された次の項目だ。
 「占領軍によって日本の労働組合が助成されると、かつて資本主義発展の犠牲にされてきた労働者の生活水準が上がる結果、日本の労働コストの上昇が、日本の独占資本のソシアルダンピングによる排他的な利潤追求を不可能にするであろう。これは日本の貿易収支の悪化につながるため、日本の非軍事化に役立つとこととなろう」
日本の左翼運動というのは、アメリカのお墨付きで、次の目標を持って設立されたわけです。

1.日本の再軍国主義の阻止
2.そのための財閥などの独占資本の再形成阻止
3.日本の労働コストの上昇による生活水準の向上

これは順番ではありません。項目1を達成するための必要十分条件が項目2であり、項目2を達成するための必要十分条件が項目3であるわけです。

なぜ、こんな引用をしたかというと、左翼の人間を揶揄して、嫌いなアメリカが実は左翼運動を擁護したと書くつもりではありません。

1945年の段階では、アメリカが恐れていたのは、日本の再軍備と、再軍備を可能にする独占資本の再形成ということを言いたい。だから、GHQは、

日本国憲法、第2章 戦争の放棄
第9条
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
という日本国憲法を押しつけたわけです。再軍備されては困りますから。

そして、もちろん、第9条の成立過程の頃は、サンフランシスコ講和条約の締結前、日本の独立前ですから、アメリカ占領下にありました。日本の防衛はアメリカが行うはずで、日本自身の自主防衛の必要はなかったし、警察予備隊もありませんから、自主防衛をしようにもそれは不可能でした。

つまり、憲法第9条は、サンフランシスコ講和条約の締結前は非常に妥当順当な条文だったというわけです。

だけど、マッカーサーが日本の独立後の事まで考えてこれを作ったかどうかははなはだ疑問です。吉田茂など、独立してから憲法を改定すればいい、と考えていた節があります。

ところがギッチョン、アメリカの後押しではじまった日本の左翼運動が、そのいきさつは知らず、憲法9条を神聖視したのだから、憲法改正など出来る話ではなくなりました。

おまけに、明治憲法の不朽の大典(?)と同じように、昭和憲法も神聖にして改訂出来ないという、日本の歴史は繰り返すをまたまたやってしまった。今もやってますが。。。

左翼の人、よく読んで下さいよ。昭和憲法に対する神聖視は、明治期以降のあなた方が大嫌いな戦前の軍国主義者とやっていることはおなじなんですからね。

ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(12) 

同じく、大森実が書いた中公文庫『日本は何故戦争に2度負けたか』P.29。ポツダム宣言受諾の是非を論じる宮中御前会議での昭和天皇の発言。(一部、文章のつなぎでFRANK LLOYDの手をいれました)

「議を尽くすこと、既に数時間に及びましたが議決致しません。もはや事態は一刻の猶予も許されません。異例で畏れ多いことながら、聖断を仰ぎとう存じます。」と当時の鈴木首相。

それに答えて、昭和天皇はおもむろに口を開かれた。
「それならば意見を述べよう。私は外務大臣(東郷外務大臣)の意見(ポツダム宣言受諾を是とする)に賛成である。」

「念のために言っておくが、大東亜戦争が始まって(日中戦争以後)、陸海軍がしてきたことを見ていると、予定した計画と結果が違うじゃないか。今も陸海軍は本土決戦で勝つ自信があると申しているが、私は心配だ。先日、参謀総長から九十九里浜の防衛の話を聞いたので、侍従武官を派遣して調べさせてみると、参謀総長の話とは大変違う。防衛はほとんど出来ていない。師団装備は出来ていると言っていたが、兵士は銃剣すら持っていないではないか。

このような状態で本土決戦に突入したら、日本民族はみんな死んでしまうのではないか。日本という国を子孫に伝えることが出来るのか。私の任務は、祖先から受け継いだこの日本という国を、子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本人に生き残ってもらい、その人達に立ち上がってもらうほかに、将来、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。このまま戦争を続けることは、世界人類にとっても不幸なことである。忠勇なる軍隊の武装解除や、戦争責任者の処罰は、忍びがたいものがあるが、いまは忍びがたきを忍ばねばならぬ。私は明治天皇の三国干渉のときの心境を考えている。私は戦争を止める決心をした」


この文を引用したのは、昭和天皇の決心を賛美するためではありません。

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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(13) 

別ブログの「ラッセル・アインシュタイン宣言憲法9条 その11」のコメントに対するレスで、

面白い話です。似たような話ですね、護憲運動も。
護憲運動って、新憲法発布以来60年近く続いている運動、
なんて錯覚を覚えるじゃないですか?
でも、実際は、当初は保守系がまあまあ、とにかく発布しようと言っているのに、
共産党も社会党も、おしつけ憲法反対!って言っていたんですよね
あの頃は、共産主義社会が明日にでも日本にできるような錯覚があったから
自由主義諸国を攻撃出来ない憲法は邪魔だった。
それが、コロッと変わるんだからなあ。
イデオロギーや政治なんて、都合次第の、
オセロみたいなものですね。
憲法だって、都合次第で変えていけない道理はないと思います。
土井たか子や福島瑞穂に言わせれば、自分の党の主義主張は
変えるけど、憲法はイカン!という論理になる。
変ですよねえ。


と書きました。

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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(14) 

1928年コミンテルン第5回大会決議と共に、1928年の後の世界、つまり、日中戦争当時を思い起こしてみましょう。ゾルゲ事件(リヒャルト・ゾルゲ(Richard Sorge,1895年10月4日 - 1944年11月7日)は第二次世界大戦中のドイツのジャーナリストと言う肩書きを持つソビエトのスパイであり、戦前の日本を舞台に行ったスパイ事件「ゾルゲ事件」を起こす)という戦前の大事件がありました。

その ソ連のスパイのゾルゲと共に、日本人も処刑されました。尾崎秀実です。彼は、日中戦争当時の日本の首相近衛文麿の政治ブレーンでもあり、ある意味、尾崎秀実の考えが日本の政策に影響を及ぼしていたとも言えます。

尾崎秀実
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尾崎秀実(おざきほつみ、1901年4月29日 - 1944年11月7日)は満鉄嘱託職員で近衛文麿政権のブレーン。東京府(現・東京都)出身。

東京帝国大学(現東京大学)卒業後朝日新聞社の記者として活躍、その後満鉄調査部嘱託職員として活動していた。中国問題の評論家として、『朝日新聞』、『中央公論』、『改造』に論陣を張った。1937年(昭和12年)『中央公論』9月号で『南京政府論』を発表し、蒋介石の国民政府に正統性のないことを主張。それは、翌1938年(昭和13年)1月16日の「爾後国民政府ヲ対手トセズ」の近衛声明を前もって正当化した。1938年『改造』5月号で『長期抗戦の行方』を発表し、また、1938年『中央公論』6月号で『長期戦下の諸問題』を発表し、早期講和に反対し長期戦を正当化した。1941年10月15日にゾルゲ事件に連座して逮捕された。訊問には積極的に答えたので、28回分の検事・司法警察官訊問調書、また、28回分の予審判事訊問調書などの、膨大な量の資料を遺した。1944年、ロシア革命記念日にあたる11月7日に、国防保安法違反、軍機保安法違反、治安維持法違反により巣鴨拘置所でリヒャルト・ゾルゲと共に絞首刑に処された

尾崎秀実。当時のソ連のスパイであると共に、日中戦争の際の首相である日中戦争当時の日本の首相近衛文麿の政治ブレーンで、日中戦争、ひいては第2次世界大戦まで日本の政治を方向付けた宰相に入れ知恵をしていた人間がこの尾崎秀実なのです。

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ラッセル・アインシュタイン宣言と憲法9条(15) 

左翼の「名」発言集
表向きは「人権の尊重」「平和の重要性」「民主主義の擁護」という崇高な理念を唱えるものの、裏では下記の発言のように、常識を疑うような言動をしていることが大きな要因として挙げられるでしょう。ここでは、そういった左翼(サヨク、進歩的文化人ともいう)の非常識な発言を列挙していきます。

向坂逸郎【社会主義協会会長:故人】
■「(引用者注:社会主義政権下の言論の自由はどうするのかという質問に対して)プロレタリアートの独裁です。」
■「反革命的なものは弾圧されて当然です。」
■「ソ連はですよ、日本とはくらべものにならない。ソ連人の教養というのは、日本とはくらべものにならない。はるかに高いです。自由もね、日本とはくらべものにならない。自由です。思想の自由も、日本とはくらべものにならないくらいある。それは全然ちがいます。」
出典元:1977年7月『諸君!』より

★左翼全体主義者の本音が出ている発言です。もし社会党単独政権が出来ていたら、日本は言論の自由が認められない北朝鮮みたいな国になっていたことでしょう。

向坂逸郎。社会党左派の理論的支柱であった方です。

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