カテゴリー  [ スリランカの政治・経済 ]

スリランカのニュース 2006年9月15日 

政府 日本の仲介期待 武装勢力と和平協議で
 スリランカ政府の国防問題担当報道官を務めるランブクウェラ政策計画・実施大臣(52)は14日、武装勢力「タミル・イーラム解放のトラ」との和平協議の再開に向けて、日本の仲介に期待する立場を明らかにした。同氏は和平協議の次回開催地について「コロンボか、それが無理なら東京で開けばいい」と期待を示した。

スリランカのニュース 2006年9月13日 

政府とLTTE、無条件で和平協議復帰示す
 欧州連合(EU)の執行機関である欧州委員会と日米、ノルウェーによるスリランカ復興開発会議が12日開かれ、紛争状態にある同国政府と少数派民族タミル人武装勢力「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)の双方は無条件で和平協議に復帰する意向を示した。和平協議は10月上旬にオスロで開かれる見通し。
LTTEの無条件の対話復帰を否定
 スリランカ政府は13日、政府と少数派武装勢力「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)が無条件で和平協議復帰に合意したとの「スリランカ復興開発会議」の発表を否定した。政府は「無条件の対話復帰について我々は合意していないばかりか、相談さえ受けていない」と指摘、仲介役のノルウェーに不快感を表明した。

CLEAR AND PRESENT INVISIBLE DANGER 

20060904143637.jpgLTTEが最後の聖戦に向けて必死で闘争資金を集めています。疑似海軍まで所持しているテロ組織。どうやって資金源を枯渇させるか?北朝鮮と同様の国際的な連携が必要なんでしょうが。。。北朝鮮よりも『いま、そこにある危機』の切実さがスリランカ人以外感じられないので。。。『CLEAR AND PRESENT INVISIBLE DANGER(いま、そこにある見えない危機)』

政府軍、武装組織と交戦し80人殺害
AFP通信によると2日、スリランカ北部ジャフナ半島北側の海域で政府軍と少数派タミル人武装組織「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)の武装ボートが交戦。政府軍はLTTEのボート12隻を撃沈し、少なくとも80人を殺害したと発表した。政府軍はLTTEが半島にある海軍基地襲撃を計画していたとみている。

武装ボートまで持っているLTTE。私は、海外のタミール人ネットワークからの自発的募金と脅迫による資金収集が主だと思っておりましたが、インド共産党毛沢東主義派まで絡んでいるとは奇々怪々です。しかし、LTTEもタミール貧困層の救済をうたい文句にしていますので、民族派とインド共産党毛沢東主義派が結びついても不思議ではないわけですね。

2006年07月11日
インドで台頭する極左武装組織毛沢東派 (世界日報 06/7/8)
ネパール毛派やLTTEとも連携 懸念されるテロの広域化や凶悪化

インドで極左武装組織インド共産党毛沢東主義派(マオイスト)が、オリッサ州やアーンドラ・プラデーシュ州など同国東部と南部を中心とした地域でテロ行動を活発化させている。今春発表されたインド内務省リポートによると、年初から四カ月間でマオイスト絡みのテロがオリッサ州やジャールカンド州など十二州で五百五十件起きており、三百七十四人が死亡した。

インド・マオイストは、ネパールの反政府武装組織毛派やスリランカの反政府組織、タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)とも資金・武器協力関係があるとされている。ネパールの毛派が政治の表舞台に登場してきたり、スリランカのLTTEが武力闘争回帰へと舵(かじ)を切ったりする中、インドのマオイストがテロ行動を凶悪化させたり広域化を図ったりといった、さらなる台頭が懸念される。

インド内務省リポートでは、マオイストの台頭を「治安上の重大な懸念」とした。シン首相は各州首相を集め、「インドが直面する最も深刻な脅威の一つ」と指摘し対策強化を指示。

しかし、広大な国土を有し、経済発展から取り残された農村住民が全国民の約七割を占めるインドでは、マオイストの活動を根絶することは至難の業だ。

ニューヨーク・タイムズはこのほど、インド北部を中心にでマオイストのゲリラ活動が目立つようになっており、マオイストの勢力は二万人規模、インド全土二十八州のうち十三州に活動拠点を置いていると報じた。

隣国ネパールでは、同国西部を中心に毛派が国土の三分の二近を実効支配指定しているとされるが、インドでも毛派の活動が顕著になってきた。力は拡大しているもようだ。

マオイストは、貧農層の解放をスローガンとし、社会的ひずみの是正を表看板として勢力拡大を図っている。さらに、ネパールの反政府武装組織毛派やスリランカのLTTEとも資金のパイプがあり、武器の提供を受けているとされる。

ということで、ロンドンでは。。。 

ということで、ロンドンでは、BBCの偏向報道、LTTEへのサポート報道に抗議するスリランカ人がデモしております。でも、カナダのタミール人デモの迫力よりもはるかにおとなしいなあ。

ATT00381.jpgATT00384.jpgATT00387.jpgATT00390.jpgATT00393.jpgATT00396.jpgATT00399.jpgATT00402.jpgATT00405.jpgATT00408.jpgATT00411.jpgATT00414.jpg

「最終戦争」のための資金拠出 

Funding the “Final War”
LTTE Intimidation and Extortion in the Tamil Diaspora

ゲゲゲ!

タイトルがすごい!

「最終戦争」のための資金拠出
LTTEによるタミール移住民(Diaspora)への"脅し"と"ゆすり"

cover.jpgやはり、LTTEによる海外居住タミール人への強制的な資金拠出があったのですね。世界人権委員会、本気で調べてます。

III. A Culture of Fear: LTTE Intimidation, Threats, and Violence


う〜ん、こういう事実があった、あった、と噂では聞いていましたが。。。

と、これだけでは片手落ちなので、スリランカ政府・政党サイドの暗部も載せましょう。

Black Cats について

Black Catsは統一国民党(UNP)が操ると言われるテロ集団。人民解放戦線(JVP)というのは仏教系のファンダメンタリスト(原理主義者)の政治団体(?)こいつらもLTTEと一緒で殲滅しないと。。。

南アジアの政治の暗部があります。インドもパキスタンにもバングラにも。政治にそれほど一生懸命になるな、といつも言ってますが、熱くなる民族群ですから。。。

スリランカは貧乏なのか? 

スリランカは、フィリピンと同様、国外で出稼ぎに出るワーカー、メイドの仕送りが重要な外貨獲得手段になっております。

イタリア 介護、外国人の家政婦頼り

在留邦人の家庭で、ワーカーとかメイドとか、使い慣れない人はずぅ〜っと使い慣れません。変に遠慮したり、変に居丈高になったりします。

しかし、ホワイトハウスの大統領が勝手に飲み物を作れないように、メイドがいると、家の旦那が自分であれこれできなくなります。あれこれしてしまうと、メイドは、こりゃあ、旦那の仕事で自分の仕事ではない、と勘違い致します。コーヒーだって自分で作れません。作ったっていいわけですし、メイドに任せない人もおります。だけど、基本的にはキッチン周りのお仕事はお任せしたわけですから、コーヒーの淹れ方を指導する、飲みたい時は飲みたい意思表示をする、というのが自然なようです。

義兄の家のメイドのナンダワティは、私が24時間コーヒーを飲み続ける人間と解釈しております。20分毎にコーヒーが出てまいります。私は、一生懸命飲みます。そうすると、ナンダワティはもうカップで作らないで、ポットで用意します。コーヒーは好きですので、ますます一生懸命飲みます。せっかくポットでスリランカコーヒーを作ってくれたので。。。30分ごとにトイレに行きます。

これは、よその家のメイドさんということで、私が気を遣いすぎ。『No thank you.』と表明すればよろしいのですが、ナンダワティとは十数年のつき合い、いまさらコーヒーはそれほど飲まない!とは言えません。見かねた義兄が、「FRANK!ビールを飲もう、ビール!」と言ってくれるまで、コーヒー攻めは続きます。

居丈高になるケースでは、海外になれない日本人の奥様。説明も丁寧でなく、期待だけが高い。自分の思ったとおりにならないと怒鳴ります。それで、メイドがむくれるとさらに。不信感が不信感を呼び、程度の悪いメイドの場合、仕返しに物を盗んだり、泥棒を呼び込んだり。常にメイドが変わる家庭、いつも泥棒に遭う家庭というのも存在します。まあねえ、日本でメイドなんて昭和30年以来激減してますので、メイドを持った経験のある在留邦人の奥様なんてまずおりません。

さて、

そこで、ふと考えたのは、在留邦人で長期間スリランカに居住している人、尚かつ家族帯同の人以外、ほぼスリランカ社会を網羅した階層とふれ合う日本人はいないのだろうなあと。

例えば、旅行で滞在している日本人の場合、ふれ合うのは旅行に関わるホテルなどのサービス業、タクシーなどの運送業、おみやげ屋、レストランの人間程度の階層との関わりがほとんどなんでしょうね。ビジネスでの滞在なら、ホテルの人間以外は、ビジネスの相手先の人間。アッパーミドルから上の階層。後は、ホテルで知り合う外国人ですね。在留邦人の家庭でも、奥様はやはり階層が偏る例が多いのかも。

これは、日本に来た外国人を想像して貰えれば良くわかるでしょう。日本に観光に来た外国人の友人、誰かの紹介、ビジネス関連でのつき合い以外、各地で昔よりもたくさん外国人を見るようになりましたが、それは、

見るだけ

で、実際に関わり合いになる日本人は少ないでしょう。スリランカでもそれと同じですね。

それで、例えばスリランカで予算4万円6泊7日の旅行をした日本人の場合、知り合った人間は、観光業がほとんど。それと、宿泊するホテルもそれなりのホテルですから、スリランカの印象も貧しいとか、騙す人間もいるとか、明るく親切な(サービス業だから当たり前なんですが)国だとかになってしまう場合もありますね。貧しさ、に非常に注意が向くということもあります。ビジネスの場合は、ビジネス関連の人間しか見えませんしねえ。

国際結婚をした場合でも、相手がシンハラなのか、タミールなのか、モスリムなのかで変わってくるでしょう。その相手の家庭がどのレベルの家庭かでも視点が変わってくるでしょう。JVPの熱烈な支持者と結婚した日本人なんてどうなってしまうのでしょうかね?それとも、日本人は南アジア人ほど政治人間ではないので影響されないかな?

この前の津波騒ぎで、香港でもかなりキャンペーンをやっていまして、インドは各国の援助を丁重に断り、スリランカは各国の援助を要請しました。スリランカはなんど貧しい国なんだ、なんて印象が香港では定着した感があります。

しかし、スリランカの金持ちを見ていると、どこが貧しい国なのか私には理解が出来ませんし、貧しいと言われている階層も、自分がそれほど貧しい?!とは思っておりません。だいたい、一人当たりのGDPが約1200USドルの国家が貧しいのか?ベトナムなんか490USドルなんですけどね。インドもバングラディッシュもパキスタンも、スリランカよりも一人当たりのGDPは少ない。南アジア諸国で一番一人当たりのGDPが多いのがスリランカなのですがねえ。。。

いやいや、国と国、民族と民族の印象、視点、理解なんてのも難しいものなんだなあと思います。

カナダでのLTTE支持集会 

ATT00004.jpgいい加減にどうにかならないか?!と思っているスリランカ内戦です。

どうにもならないのでしょうが。。。

仕掛け爆弾が爆発、スリランカで国軍兵士6人死亡
AFP通信によると、スリランカ北部ジャフナ半島のムハマライで26日、仕掛け爆弾が爆発し、国軍兵士6人が死亡、11人が負傷した。分離独立を求める少数派タミル人の武装組織「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)の犯行と見られる。死傷した兵士らは、LTTEとの戦闘のために築いた陣地の撤去作業中だったという。ムハマライでは11日間にわたり国軍とLTTEの戦闘が続き、双方合わせて約650人が死亡したという。

ATT00006.jpg本日、回覧が回ってきました。カナダでのタミール系住民のLTTE支持活動の話です。

Sent: Thursday, August 24, 2006 3:37 PM
Subject: Tamil Eelam Is Our Home Land - Saying Canadian Tamils (photos)

Dear Sri Lankans,

Send this photos to Sri Lankans around the world to understand how much Tamil people are in Canada supporting to establish "EELAM" as their homeland. Can we organise a propaganda like this in Colombo to up against "LTTE' ?????? See how our flag has been disgraced by Tamils can we call them as Sri Lankans ????? NO! And if you are a person who sympathizes with this lot... please migrate too.. It's beautiful warm country all for the taking.
Send this to many as you can to save Our Mother Land Sri Lanka.

ATT00007.jpg彼らの国、"EELAM"を建国することをサポートするタミール系住民。困ったものだ。国際社会は、LTTEをテロ集団と言うことで認定したので、LTTE主導での("EELAM"の)建国を支持する国家はいません。

ここで、筆写が怒っているのは、「こういったプロパガンダと同様に、もしも、コロンボで『反LTTE』のデモを行うことが出来るか?!(そんなプロパガンダ行動はできやしません)」と言っております。

ATT00009.jpg私のヨメが怒るのは、「じゃあ、LTTE支配地域にシンハラが行けるか?バビナ(友人のタミール人)の故郷のバッティカロアにシンハラは行けないが、タミール人はスリランカ全土に行ける?!これは公平なこと?!」

このスリランカ国旗の辱め、という一文、中国人や韓国人が日本国旗を焼いたり、踏んづけたりするのと相通じる物があります。

ATT00010.jpgそんなに文句を言うなら、スリランカ国籍を棄てて、移民して欲しい、本土のタミールナドナに戻ってしまえ!というのは、2ちゃんで語られる、在日朝鮮人・韓国人への文句と同じですね。

日本人が在日朝鮮人・韓国人、朝鮮半島国家に手を焼いているようなものです。もちろん、穏健な在日朝鮮人・韓国人、朝鮮半島の人間がいるのと同様、全てのタミール人がこうではありません。しかし、やはり、血の区別が血の差別を呼び込むということはある。

ATT00003.jpg日本人が在日朝鮮人・韓国人、朝鮮半島国家との関係をうまく解決できないのと同様、スリランカでもLTTEの問題を解決できないようです。

ATT00005.jpgだから、日本で解決できないような類(たぐい)の問題を、理想主義的に、希望的観測で、他国の問題だからといって、日本人が解決する手伝いをしようと思っても、そうそううまくはいかないと思うのですね。

ATT00008.jpg明石さんは別。外交的な立場にいるから、国家レベルの話ができるので、多少はなんとかできるのでしょうが。。。でも、当事者が。。。在日の問題や靖国神社の問題にアメリカの日本大使が出てくるようなもんでしょうね。。。_| ̄|○

CanadaTamilPopulation.jpgカナダのタミール人の規模はわかりにくいんですね。

http://www.asiapacific.ca/data/people/demographics_dataset1_bycity.cfm

2001年の統計で、Sri Lankanは58,945人、タミールは38,215人の合計97,160人ですが、インドとは出ていない。インド人はどこに行ったの?エスニックではない?パンジャブはあります。

で、このSri Lankanの中にタミール系も含まれていると思います?!Sinhalaとは書いていませんからね。Sri Lankanの中のタミール系が50%として、67,688人です。シンハラよりもタミールの海外進出の方が激しいですからね。カナダ政府は、国籍の他にエスニックで民族の統計を取っているんでしょうけれど。

よく見ると、末尾のノートに、

"Other Asian includes: Afghan, Pashtun, Bangladeshi, Bengali, Burmese, Cambodian, East Indian, Goan, Gujarati, Hmong, Indonesian, Kashmiri, Khmer, Laotian, Malaysian, Mongolian, Nepali, Sinhalese, Taiwanese, Thai and Tibetan"

???

このSri Lankanはじゃあシンハラは入ってない?入っている?う〜ん、よくわからない数字です。現在はもっとでしょうね。なにせ、一人が移民すると、妻が、子が、母が、父が、伯父が、叔父が、伯母が、叔母が、従兄弟が。。。というのがタミール民族ですからねえ。悪いとはいいません。言いませんが、集中豪雨的移民になりますね。

女性による経済活動と民族対立が引き起こす経済問題 1 

非常に良い論文がありますが、残念ながらPDFです。論評は後にして、取りあえず載せてしまいます。

女性による経済活動と民族対立が引き起こす経済問題
アジア周縁諸国経済の現状と今後の課題
−アジア外縁諸国の経済情勢研究会・報告書−
大蔵省 財政金融研究所 編 平成12年6月
第4節 「女性による経済活動と民族対立が引き起こす経済問題」:スリランカ
龍谷大学経済学部 教授
中 村 尚 司
1.はじめに
現代スリランカ経済には、大きな特徴が二つある。まず一つは、女性による経済活動への参加である。もう一つは、国内の民族対立が引き起こしている経済問題である。この二つの問題をめぐって報告したい。
 西洋近代の民主主義的な価値を代表する女性参政権を含む普通選挙制度と、それに基づく議会政治制度は、アジアでは異例に早く1931 年に導入された。主要な党派の構成や国会議員の顔触れを見ても、1930 年代の議会政治も1950 年代の議会政治もそれほど大きな違いはない。1942 年2 月、日本軍により陥落したシンガポールを撤退するに当たって、イギリス陸海空軍が東南アジア軍総司令部を安心してスリランカに移駐することができたゆえんである。1978 年に国賓として来日したジャヤワルダナ大統領が皇居の晩餐会で、「もし日本軍がスリランカに上陸作戦を始めれば、民族独立運動を進めていた我々は歓迎した。」と述べた。しかし、それは昭和天皇に対するリップサービスのようなものである。その後、私は大統領に直接インタビューしたことがある。あの発言は文字どおり受け取って間違いないかと確かめてもみたが、この話題に限って「私は耳が悪くて、あなたの声がよく聞こえない。」と韜晦されてしまった。
 独立後の半世紀を振り返えると、スリランカ社会は大きく変貌した。独立前は、イギリス植民地の優等生と言ってもよいくらい、英国的な価値が尊重されていた。しかし、シンハラ人やタミル人の民衆運動が武装蜂起を準備した1960 年代以降に、社会変容が激しくなり、世界各地で続出している地域紛争に結びついている。1970 年代以降に、たびたび憲法の改正が行われ、政体は自治領から社会主義民主共和国に変更された。国家元首は英国王から、直接選挙によって選ばれるフランス型の大統領に変わった。司法制度の改革も進み、最高裁判所が最終審となるよう改められた。ほぼ20 年から30 年遅れで、制度上は他のアジア諸国と同じような、脱植民地体制の国民国家になったと言えよう。公教育も法制も全て、英語から公用語のシンハラ語とタミル語とに切り替えられた。
 1960 年における世界最初の女性首相の誕生ということは、イギリス統治時代にはほとんど考えられなかったことであり、イギリスの公文書館に行くと、最後のイギリス総督はこの女性に対する悪口を並べた文章を残している。その後も女性の行政官や政治家の活躍は拡大しており、現在では大統領と首相がともに女性である。植民地以前のシンハラ社会には一妻多夫制や妻方居住制などの慣習法もあり、元々女性の社会的な地位は低くなかった。スリランカ人の遺産相続は、歴史的に男女の均分相続(末子の比重が高い)が行われてきた。イギリスの植民地政府は、キリスト教に従えば一人の妻は一人の夫しか持てないと定めて、一妻多夫制という慣習法を認めなかった。私が農村調査を始めた1960 年代には、「大きいお父さん」「小さいお父さん」と子供たちが呼んでいる家庭だとか、婚姻登録をしていない家庭が随分多いので感心した。
 1999 年12 月現在、スリランカ社会におけるエリート供給源であるコロンボ大学では、学長、事務局長、会計官吏、図書館長、医学部長、理学部長、法学部長など大学行政の主要な担い手は女性である。事務職員についても、課長級職員9名中7名までが女性である。教職員だけでなく、学生数も女性の比率がやや高い。その結果、医師や弁護士などの専門職においても、女性の比重が高まっている。このような点は独立後の変化というより、むしろスリランカ社会に固有の伝統と言うべきであろう。
 スリランカの民族抗争が、ゲリラ戦から正規軍の対決へと様相を変えるに従って女性軍人の参加も増えている。1997 年6 月23 日におけるペリヤマードゥ陣地(ヴァヴニヤ市北部の軍事拠点)の攻防は、政府軍に持久戦を強いることになった。双方に約150 名づつの戦死者を出す、激しい戦闘であった。この日の払暁、「タミル・イーラム解放の虎(LTTE)」戦闘部隊の先陣を引き受け、戦端を切り開いたのは、勇猛で知られた女性兵士の小隊であった。LTTE本部の公式発表によれば、1999 年12 月17 日に激しい戦闘の末、北部のパランタン政府軍基地を陥落させ大量の武器弾薬を捕獲するとともに、ジャフナ半島解放の橋頭堡を確保した。この「絶えざる波動3」作戦で戦死した78 名のLTTE兵士のうち、31 名が女性兵士であった。
 インド総選挙の最中にラジヴ・ガンディ元首相を暗殺したのも、1994 年のスリランカ大統領選挙の最中にガーミニ・ディサナーヤカ候補を暗殺したのも、いずれもLTTEの女性兵士であった。大統領選挙直前の1999 年12 月18 日に、チャンドリカ・クマラトゥンガ現大統領の暗殺を試み、30 名を越える死者を出して自爆したのもまた女性の特攻隊員であった。スリランカ女性は、政治家だけでなく軍人としても男性以上の働きをするのである。この不幸な事件にもかかわらず、12 月21 日の投票においてもまた、現職の女性大統領が再選された。

女性による経済活動と民族対立が引き起こす経済問題 2 

2.女性労働力に依存する経済構造
 筆者が行ってきた実態調査に基づく知見によれば、植民地支配とともに貨幣経済が浸透し、公的部門において英国政府方式のペイドワークが導入された。次いで、私的部門におけるプランテーション経済の創出とともに、女性労働力のぺイドワークが創出された。スリランカ社会の事例のように、公私両部門においては女性の社会進出が欧米や日本よりもはるかに進展し、工場労働や海外出稼ぎ労働において女性労働力がペイドワークの主流を成すにつれて、部分的ではあるが男性労働力(とりわけ失業者や潜在失業者)のアンペイド化が生まれつつある。
 よく知られているように紅茶生産は、スリランカの基幹産業であり、世界市場への最大の供給源である。プランテーション農園の産物である紅茶、ゴム、ココヤシの三大輸出品目に依存する経済構造は独立後も受け継がれた。無権利状態のプランテーション労働者(南インドから移住してきたタミル人)と、英国又は英国風の中等教育を受けたプランターたちとの社会的な格差にも変化はなかった。コロンボの紅茶競売市場は、英国系の代理商社が取り仕切り、敗戦国である日本やドイツの商社については1990 年代まで競売への参加が認められなかったほどである。
 1970 年代に、ほとんどのプランテーション農園が土地改革により政府に接収された。しかし、公営のままでは生産性が低落する一方であり、再び1980 年代後半に民営化が進められた。他方、イギリス植民地時代からの階層化された指揮命令系統を重視する軍隊モデルの労働組織は、官営化でも民営化でもほとんど変わらなかった。その基幹的な労働力は、茶葉摘みを引き受けるタミル人の女性労働者である。
 プランテーション農業の停滞とともに、輸出統計に占める紅茶の地位は徐々に低落していった。1990 年代における第1の外貨獲得源は、海外からの直接投資を誘致した輸出加工区の産業である。その中心である既成服の縫製業が、紅茶産業に取って代わった。ここでも大量の未熟練労働力が雇用される点では、プランテーション農園と同じである。しかし、プランテーション農園が家族単位の住み込み労働であるのに対して、自由貿易地帯の縫製業では、単身の若年層女性労働力が90 パーセント以上を占める。
 縫製業に次ぐ第2の外貨獲得源は、アラブ産油国に集中する海外出稼ぎ労働者からの送金である。1990 年代には、労働力人口の1割近くを占めるに至った海外出稼ぎの7割以上が、既婚女性の労働力である。政府の海外雇用局による調査では、女性出稼ぎ労働者の約6割が夫と二人以上の子供を残して長期に西アジアで働いている。このように女性労働力の比重が高まってきたのが独立後の特徴である。独立前は海外からの移住労働が輸出産業を担っていたが、独立後は輸出加工区や海外出稼ぎへと方向が180 度転換した。
 農業労働力も、工場労働力も、出稼ぎ労働力も、労働市場で商品化される労働力の基幹部分は、もっぱら女性に頼るようになった。軍人や警察官など、1970 年代までは男性に限定されていた分野における女性労働力の進出も顕著である。しかし、村から農園へ、都市の工場へ、更には海を越えて出稼ぎに行ったり、果ては戦場へ赴く女性労働者の苦難は、ほとんど改善されていない。
 しかし、彼女らはまぎれもなくペイドワーカーである。雇用労働者である女性がぺイドワークを引き受け、定職のない男性がアンペイドワークの家事労働を行う家庭は、もはや例外的とは言えない。早朝から茶摘み労働に出るタミル人女性の家庭でも、工場労働に出かける農村女性の家庭でも、子供を残して3年間、あるいは5年間と長期の海外出稼ぎに出る女性の家庭でも、残された男性の家事負担が少なくない。主たる家計支持者である女性とアンペイドワークを引き受ける男性との間で、さまざまな問題が発生している。女性が基幹的な雇用労働力となり、出生率は1953 年の3.87%から1996 年の1.86%へと急速に低下した。平均寿命は、1946 年の42 歳から1991 年の73 歳まで著しく向上した(図表1)。男女別の数字が公表されていないので、推測にすぎないが、出生率と平均寿命の双方について、男性よりも女性の生活条件改善の方が、一段と顕著であろう。
 他方、輸出商品作物とは無関係に、農村社会において水田、菜園、果樹園、畜産、内水面漁業などに従事している人々の暮らしでは、性別にかかわりなく手間替え労働(アッタンやカイマート)などの形態を取って、共的部門の経済活動が今日も重要な役割を演じている。灌漑施設の維持管理労働はその典型例であり、植民地化以降のペイドワークでもなければアンペイドワークでもない。長い年月にわたる共同労働の経験を、次代の経済建設にどのようにして活かすか、農村青年たちにとっては大きな関心事である。
 欧米の大学に留学したエリート官僚や政治家の経済政策論争が、「市場経済か計画経済か」をめぐって行われてきたのに対して、多くの農村女性は輸出商品生産の賃金労働や海外出稼ぎではなく、農村で暮らし続ける共的部門の生活を通じて、自らの未来を切り開く道を摸索している。言い換えると、農村社会において自営業のネットワークを組織しながら、ペイドワークやアンペイドワークの呪縛から解放される展望を求めているのである。しかし、このような形の共的部門再編の試みは始まったばかりであり、今後どのような進路を取るか注目し続けたい。

女性による経済活動と民族対立が引き起こす経済問題 3 

3.言語をめぐる民族対立
 独立後のスリランカ社会を大きく変える役割を果たしたのは、シンハラ語の公用語法(1956 年)である。英語を母語とするランシー人たちは、この島に展望を持てなくなりオーストラリアなどへ移住した。1960 年代までは英語を話せる者だけが、成人男性なら長ズボンと革靴を着用し、女性ならタイトスカートとハイヒール靴を着用することができた。逆に、シンハラ語やタミル語しか話せないものは、男ならサロン(筒状の腰巻き)、女ならレッダを着る習わしになっていた。外見的に区別でき、何語で話しかけるべきか戸惑う必要がなかった。しかし、今日でも、英語の優勢は変わらず、大学を卒業しても英語のできない学生は、ほとんど就職できず、大半が失業者になっている。
 現在では衣服を見て、使用言語を切り替えるというような判断は不可能になった。英領時代には、英語社会と現地語社会とは整然と区分され、両者の接点も少なかった。だが、シンハラ語やタミル語による公教育が進展すればするほど、英語をめぐる屈辱感は、植民地時代には想像もできなかったほど拡大している。このような屈辱感も一律ではない。上はイギリスやアメリカの知識人に会ってスリランカ英語の弱点を意識するエリートたちから、下は街で英語の返事ができず黙ってしまう労働者や農民に至るまで、使用できる英語の水準に応じて問題の性格も変わり、階層化されている。
 英語を話す指揮官を除くと、戦場に行く軍人もまたたいてい英語を話さない農村出身者である。エリート階層は、子弟を海外に留学させたりして、なるべく軍隊には行かせないようにしている。農村地帯へ行くと、軍人や警察官の戦死者を出した家庭が、その遺族補償金で立派な家を建てている。あるいは、女性労働者がクウェートやサウジアラビアに出稼ぎに行った家庭が立派な家を建てるという傾向が見られる。
 英語の習熟度に対応して社会的な階層を上昇することができる暗黙の合意がある以上、外国語の支配力は衰えない。1999 年12 月24 日の朝刊に、スリランカの大統領がロンドンに目の治療のために出発したという記事が出ている。大統領一家は、大統領を始め子供たちも海外の教育を受けてきた。けがや病気をするとロンドンに飛ぶということをごく日常的にしている。大統領選挙の後にロンドンに飛ぶというようなことも、スリランカは医療が非常に進んだ国だと言われている中で象徴的な記事である。
 英語の支配力に敵意を燃やすシンハラ人の人民解放戦線(JVP)やタミル人のイーラム解放運動の諸党派は、いくたび軍事的な鎮圧を受けても再び社会的な勢力として甦ってくる。コロンボの政治家や実業家が英語で仕事を続ける限り、政府軍との戦闘において民衆の生命を犠牲にしているはずのJVPやLTTEが、英語のできない島民大衆の支持を受けるという皮肉な事態は変わらないであろう。
 スリランカの仏教、ヒンドゥ教、イスラーム教の伝統は暴力を強く戒め、言語表現に重きを置く。中でも大勢の人間が一斉に声を合わせ、信条の成句を朗誦することが大切である。声帯の振動が空気の振動を呼び起こし、鼓膜の振動に共鳴する行為を通じての共同意志の確認である。声帯から鼓膜へという身体的な行為としての言論が、皮膚を切り裂く身体的な行為としての暴力に優越すると固く信じているのである。スリランカにおける伝統的な村の境界は、手助けを求める「フー」という叫び声の聞こえる範囲である。
 その伝統文化の中で、1970 年に始まる武器を取って戦う運動の長期的な継続は、スリランカ近代史の経験をはるかに越えている。18 世紀末にスリランカ島の沿海地方は、オランダの植民地から英領に代わるが武力抗争は全くなかった。1815 年に内陸部のキャンディ王国が英領に併合されるが、併合条約の締結という形を取り、シンハラ王朝側の武力による抵抗はなかった。2 年後に一部の貴族が反乱を始めるが、直ちに鎮圧され長期化することはなかった。1848 年のキャンディ地方における農民反乱も同様で、極めて限定的なものに止まった。20 世紀に入ると、植民地行政への批判は合法的な議会主義的な形態を取った。1920 年代から30 年代にかけて英国に留学した多くの青年は、マルクス・レーニン主義の左翼運動に惹き付けられて帰国するが、暴力革命の組織化には向かわなかった。
 1930 年代にはスターリン主義者とトロツキー主義者との間で、激しい論争が繰り広げられた。他のアジア諸地域と異なり、スリランカではトロツキー派が勝利を収め、多数派の平等社会党が第4インターナショナルに加盟する。しかし、スリランカのトロツキー主義者は植民地の議会で活躍し、スバース・チャンドラ・ボースのような武装した独立闘争には向かわない。英国で博士号を二つも取得するほど英国のシステムに同化したN.M.ペレーラ(後に大蔵大臣に就任)が、第4インターナショナル・セイロン支部長を務めた事実は、言論を大切にする議会主義的なスリランカ左翼の性格を象徴している。マハトマ・ガンディの運動が、非合法闘争にならざるをえなかったのと対照的である。
 1970 年4 月5 日の早朝を期した人民解放戦線の武装蜂起は、暴力の時代の出発点であった。1 両日中に反乱軍の組織的な暴力は、全島面積の約3 分の1 以上(シンハラ人居住地域の半分以上)を支配下に置き、世界を震撼させた。当時の冷戦構造にもかかわらず、北朝鮮を除く西側と東側の両陣営とインドやユーゴスラヴィアなどの非同盟諸国がこぞって軍事援助を行い、数ヶ月の内に武装反乱の主力部隊は鎮圧された。この年以来、スリランカにおける軍事部門の拡充が進み、兵力は飛躍的に増強された。反乱は軍事的に鎮圧され、多くの指導者たちは戦場や刑場で命を失うが、後を継ごうとするシンハラ青年の志願者が絶えることはない。議会に占める政党各派の議席数とは無関係に、JVPは1999 年末現在もなお、シンハラ人居住地域の主要キャンパスにおける最大の政治勢力である。

女性による経済活動と民族対立が引き起こす経済問題 4 

4.内戦の激化と経済協力
 同様の傾向は、1983 年8 月に始まるジャフナ半島におけるタミル青年の武装反乱にも共通する。タミル人のエリート政治家には、英語教育を受けた弁護士が多く、多数派のシンハラ政治家とコロンボの議会において言論戦を繰り広げてきた。タミル人のエリート政治家に対するシンハラ人の反感は根強い。この反感や憎悪が、多くの政治家に対する暗殺行為につながっている。民族対立が長期的な内戦に転化するとともに、農民兵士の陸軍部隊の主力が集結する古都アヌラーダプラでは、軍需景気に支えられた経済成長の拠点となっている。
 軍事費とそれに関連する政府支出や民間支出の正確な内容は、政府軍と反政府軍の双方とも公表していない。しかし、近年は年間およそ10 億米ドル程度と推測され、スリランカにおける国内総生産の10 パーセントに近い規模とみられる(図表2)。国防費が余り目立たないようにスリランカ政府としてはいろいろ工夫もしている。例えば日本国政府は、軍事費の多いところに経済協力をしないという基本方針を持っているので、なるべく目立たないようにしたい。それでも政府の経常支出の25%、約4分の1という位置を占めていることが分かる。
 他方、1983 年以降、反政府軍支配地における経済活動や海外在住タミル人からの軍事費送金は、スリランカの政府機関による把握が困難であり、その分だけ国民所得勘定なども不正確にならざるを得ない。
 長期化した内戦の激化は、外国援助のあり方にも再考を促す要因である。最大の援助国として道路やダムの建設、港湾や空港の整備、医療機関や教育施設などインフラストラクチュアに力を入れてきた日本の政府開発援助も、タミル人側からはシンハラ地区に偏っているとの不満の声がある。大量の死者や100 万人規模での島の内外に難民を出している武装抗争に触れることなく、開発援助のみを拡大するのは誰の目から見ても異常であろう。激化する民族対立を他人事として等閑視することなく、平和的な解決に資するような方向へ援助政策の転換が必要であろう。特にタミル人居住区に日本の援助はほとんど入らない状況なので、それを再検討する必要があるのではないか。
 1989 年夏、インド平和維持軍が支配するジャフナを訪問した筆者が、街の人びとに話しかけると「口は食べるためだけにあり、話すためではありません。」という答えが返ってきた。言語文化への不信は、インド軍の下で頂点に達していたのであろう。そのころ12 万人のインド軍に対抗すべく、ムライティヴ・ジャングルの根拠地で軍事訓練にいそしんだLTTEの青年男女は、相手の鼓膜に響く声を出すことを禁欲し、肉体を切り裂く行為に全力を傾けていたのである。
 タミル・イーラムのホームページは、インターネット上を検索すると、各種各様に出されていることが分かる。スリランカから国外に逃れた約50 万人のタミル人たちがスリランカに送金すれば、スリランカの軍事費に使われるのだと主張している。また、インド政府でラジヴ首相暗殺の首謀者だというので訴追されている人物が、話し合いによってこの民族問題を解決しようということを申し出ている。しかも、その申し出によって、大統領選挙のときに第2位の得票数を得た前政権UNP(統一国民党)の委員長であるRani lWickramasinghe も、当事者間だけでは解決の目処が立たないので、第三者の援助によって和平交渉をしようというような話に乗ってきている。ノルウェーを先頭にして、カナダ、英国、インド、米国、フランスなどが、様々な立場から斡旋役を申し出ている。第三国仲介による話し合いについては選挙後まだ日が浅いので、これからの課題である。

女性による経済活動と民族対立が引き起こす経済問題 5 

5.おわりに
 1989 年から10 年後の1999 年夏、スリランカ・タミル人を代表する知識人のニーラン・テイルチェルヴァム弁護士が、身体に爆薬を付けたLTTE兵士に暗殺された。こよなくタミル文化を愛し、言論こそが民族の壁を越えて人々を結ぶと信じていた人である。彼の死によって、スリランカにおける言語文化の伝統は、本当に暴力の文化に置き換えられたのであろうか。武人たる征夷大将軍が長く統治者となり、文人は俳諧趣味に堕した我が暴力文化の島から留学して、言論文化の伝統に魅せられた者から見ると、再び声帯から鼓膜への共鳴が響き渡る日の甦ることを願わずにはいられない。
<参考文献>
Central Bank of Sri Lanka, Economic Progress of Independent Sri Lanka, Colombo, 1998. W.D. Lakshman (ed.), Dilemma of Development; Sri Lanka Association of Economists, Colombo, 1997.
D.Panditaratne and P. Ratnam (ed.), The Draft constitution of Sri Lanka; Critical Aspect, Law and Society Trust, Colombo, 1998.
鈴木正崇著『スリランカの宗教と社会』 春秋社、1996 年。

女性による経済活動と民族対立が引き起こす経済問題 6 

(質疑)
[ 柳原 ] スリランカは、通常の指標で見る貧困が少ないことになっている。しかし、所得分配の指標で見ると必ずしも平等度が高く出ず、またジニ係数で見ると大きな値が出てくる。スリランカにおける富裕層とはどのような人々なのか。それから、これ自体大変興味深かったのであるが、民族対立というよりは英語をめぐる対立軸ということを強調されている。それが、所得面でも格差の一つの根源になっていると思う。他の国だと、ジニ係数が約0.46 とか、そういう国では金持ちの金持ちぶりが歴然と分かるのだが、スリランカに関してはどうもよく分からない。
[ 中村 ] 所得格差の問題は非常に難しいところがある。私は前に一度、スリランカ経済学会年次総会の基調講演を頼まれて行ったことがある。そのときにはヴァナキュラー・エコノミーというようなことで話したが、英語を話すか、話せないかで経済活動の担い手が整然と分かれている。例えば、主要な輸出産品であるお茶とかゴムとかココナッツの取引は、全部英語で行われるから、英語を話せないとそこに参入できない。また、コロンボ大学の卒業成績がいくら良くても、英語を話せないと、英語を話す分野での企業には採用されない。大学を卒業してもしなくても、英語さえできれば、かなり高い所得が保障されている。言葉によってこれほど人々の経済生活が整然と分かれて、私が留学していたころは服装まで分かれていたが、そんなことがあるのが少し変なのではないだろうか。英語を話す人は人口のせいぜい5%もいないのだから、人口の95%の人の能力が十分活用できないのではないかというような議論をしたことがある。しかし、英語が話せるか話せないかが所得格差の大きな分かれ目になっていることはほぼ間違いない。それでは、公用語がシンハラ語、タミル語になって、うまく人々の経済活動が組織されるようになったかというと、相変わらず経済組織ではほとんど英語で文書を作り、英語で取引をするというふうになっている。だから、それに対する不満からJVPが定期的に反乱する。反乱の後、ややジニ係数が改善されるというか、例えば土地改革など若干のことは行われるが、また格差が広がる。そして、また反乱が起きる。そんなことを、シンハラ人、タミル人ともに繰り返しているという側面がある。現実としては英語をどれだけうまく使いこなせるかが、人々の非常に大きな関心になってしまう。それなら思い切ってシンガポールのように全部英語でやってしまおう、と提案する人もたびたび出てくるが、スリランカの人口規模がシンガポールに比べ10 倍ぐらい大きいので、英語教育が十分にできないという悩みがある。パキスタンのように大都市富裕層あるいは特定の家族が経済を押さえているというようなことではなく、教育を通じて英語を使いこなせるようになるかならないか、それが決め手という非常に奇妙な話である。イギリスのロナルド・ドアーという教育学者が「日本とスリランカが世界で最も学歴病の国だ。」と言ったことがある。スリランカでは、とにかく良い学校へ行かせたいと、都市中産階級の支出の3割ぐらいまでが子供の塾通いなどの教育費に充てられる。ドアーは、これに匹敵する国は日本ぐらいだと書いている。
[ 今川 ] 「内戦の激化」という話であったが、最近、こういうことがあると、国連は何か問題ありとして出てくるというか、働くところはないかと探しているような感じがある。すぐPKOなどの方法で出てくる。これがカンボジアであり、東ティモールであり、あるいは中東の幾つかの国の場合だと思うが、スリランカについてはそういう話を国連の場であまり聞いたことがない。国連がスリランカへの介入を避ける、あるいはスリランカが嫌うということがあるのかないのか。それがまず第1点である。第2点。スリランカは、小乗仏教の国、タイ、ラオス、カンボジアでは、小乗仏教発祥の地として――仏教の発祥の地という場合は話が全く違うのだが――大変尊敬されているわけである。ところが、現在の我々の感覚で言えば、スリランカは、インド、パキスタンあるいはバングラデシュなどと同じように、どちらかというと南西アジア諸国のグループ、インド大陸のグループという感じである。スリランカから、東南アジアの小乗仏教国であるミャンマー、ラオス、カンボジア、それからタイという国に対して、宗教的、文化的なつながりから何か特別な関係や感情はあるのだろうか。
[ 中村 ] 1980 年代の終わりから1990 年代にかけて、スリランカに対してIPKF(インド平和維持軍)が12 万人送り込まれた経緯がある。国連の枠組みの外で問題を解決するという意思がインドに非常に強く、それがラジヴ・ガンディ首相が殺される結果にもなった。インドのスリランカ政策が、ある意味で解決の要である。インド政府は公式には他の外国と全く同じ立場にいると言ってはいるが、インド洋の安全はインド国家の安全でもあり、無関心ではいられない。ここのところが難しい。そんな事情から、近年のノルウェーによる和平工作は、インド政府と緊密な連絡を取りながら行われている。小乗仏教発祥の地として大変尊敬されているのに、なぜこんなに残酷な事態になっているのかというのは、虫も殺さないようなカンボジア人がなぜあのポル・ポトを生んだのかという疑問を感じるのと似たところがある。スリランカ政府としては、特にシンハラ人としては、インドに対する強迫観念が非常に強いので、ASEANに加盟したいということを申し入れて、ASEAN側から断られた事情がある。インドと非常にアンビバレントな関係にあって、その分だけASEAN諸国への親近感が非常に強い。
[ 下村 ] 国際機関によると、スリランカの初等教育の就学率又は完了率が、以前に比べて非常に下がってきているというデータがある。これは、社会主義から市場原理に変わったことから貧困層が学校に行けなくなったのかと思っていたが、経済体制の変化、政治体制の変化以外に、英語の問題や、母親が長期に海外に出稼ぎで行くことも、初等教育普及率低下に関係しているのだろうか。もしそうだとすると、スリランカの今までの非常にいいイメージ、ポジティブな面であった社会的平等の状態が、相当影響を受けそうな気がする。
[ 中村 ] 初等教育が落ちているのは、戦争ということもある。難民が内外に 100 万人も出ているような状態がある。
[ 成相 ] 1点目として、海外での出稼ぎ労働者から送金の使途についてである。こうした送金の国内での使途を統計にとるのはなかなか難しいのだろうが、例えばこれがほとんど消費に回ってしまうのか、あるいは、この貴重な外貨が投資に回り得るようなメカニズム、例えば外貨管理を行い経済発展に活用しているのかどうか。2点目は、経済協力政策に若干かかわってることだが、特にスリランカは、日本が断トツのトップドナーで、全体の6割ぐらいを占めている。そうなると、日本が少しはいろいろなことに意見を述べてもよいのではないかと私はずっと前から思っている。スリランカに対しては、日本がトップドナーカントリーとしてのイニシアチブを陰に陽にというようなことで何か発揮してきたのか。あるいはどんな分野だと、相手国政府の神経にさわらない範囲で発揮し得るのだろうか。
[ 中村 ] 女性の出稼ぎ労働者が男性よりも多いのは世界でスリランカだけである。その規模も増加しつつある。彼女らの送金が投資に回っているのかというと、国民経済全体、特に外貨需要という点では政府は非常にありがたいと活用をしている。それがこれまでの債務の利払いに向かっているのか、軍事費に向かっているのか判然としない。送金した人たちは、例えば中古車を買って輸送業を始めるとか、ちょっとした雑貨店をやるとか、それなりに自分たちの経済生活改善には心がけている。内戦の解決に日本がトップドナーとして何かやる気はないか、と我々は感じるわけだが、経済協力の立案に当たっている人たちは、あまり関心を持たないというのが実情であろう。東ティモールのように外務省が暫定統治機構に入れないのはインドネシアに対する遠慮があるからだすれば、インドに対する遠慮が日本の外務省にあるのかもしれない。しかし、インドが12 万人の軍隊を撤退した後だからもう遠慮しなくてもよいのではないか。
[ 小松 ] まず第1に、スリランカの高い教育水準及び高い識字率というのは、1960年代ごろからずっとそうだったように思う。我々は、教育水準が高くて人的資源が発展していけば、当然経済発展につながると思っていたわけだが、スリランカの場合にそうならなかった理由は何なのだろうか。それとも、教育水準が高い、識字率が高いと考えていたこと自体がイリュージョンなのか。それとも、教育水準が高くても発展しないという別のメカニズムがあるのか。
[ 中村 ] 識字率は1921 年代で既に非常に高い水準だった。恐らく第2次大戦後のある時期のスリランカの経済状態を支えていたのであろう。それ以上に高度な経済活動が組織されなかったのはなぜかと言うと、必要条件にすぎなかったのではなかろうか。インドの場合、インディラ・ガンディー首相は「公的な初等教育などは要らない。」と言い切っているぐらいなので、そういう物の見方が南アジア人には若干あるのかという気もする。
[ 小島 ] スリランカだが、一人当たりGDPが 800 ドルぐらい、平均寿命が男女平均で70 歳を超えている。こんな発展途上国は他にない。非常に特異な国で、先進国に近い平均寿命をどうして実現しているのか。
[ 中村 ] 平均寿命が高いのは、それほど特別な理由があるわけではない。日本でも、GDPないしGNPで一人当たりの所得が 1,000 ドルを超えたころ、日本の平均寿命は同じぐらいに達していたと考える。出生率の低下をもたらしたものに、日本の場合は人工妊娠中絶がある。スリランカでもかなり大規模に行われるようになり、乳幼児死亡が非常に低くなった。

スリランカは豊かだ! 

スリランカは豊かだ!・・・って、相対的な話なんですよ。物事は全て相対的。絶対的に貧しいとか豊かだとか、そういう状態はありえません。アインシュタイン先生も『全ては相対的だ!』と言われております。

スリランカから帰ってきた日本人旅行者の感想を聞くと、ときたま、「貧しいけれども。。。の国」という感想を抱かれる方がおります。そういう感想を聞きますと、私としては、スリランカで貧しいと思うようならば、インドバングラディッシュパキスタンに行くとどう感じてしまうんだろうか?なんて思ってしまいます。

昔から、インドパキスタン、バングラの日本人学校や大使館員が休暇でスリランカを訪れて、

「いやぁ、スリランカ、綺麗ですねえ、豊かですねえ」

という感想を聞きました。スリランカに駐在当時はインドパキスタン、バングラに行ったことはなかったので、私も、

スリランカが綺麗というなら、インドパキスタン、バングラはどんな世界なんだ?」

と思っておりました。後にシンガポールに赴任して以降、インドパキスタンを訪れる機会があり、バングラにも行ってみました。

・・・(絶句)

ス、スリランカは綺麗です。人少ない。高速道路はないけれど、いやいや、豊かな国です。

乞食が皆無とは言いませんが、スリランカの数十〜数百倍の乞食の数。スリランカに見られないらい病患者の集団。スリランカ空港で押し売りのポーターはいましたが(今はまあいない方です)、ダッカやカラチ、チェンナイのように数十人のポーターが私のスーツケースを奪い合うようなことはありません。

こういう印象は私だけかと思いましたら、あ!いたいた、いました。ちゃんとした方もそう言われておりますね。

口大使メッセージ「スリランカとバングラデシュ」2004/11/25
 イードの休暇を利用してスリランカに行ってみました。
 一番印象深かったことは、紀元前5世紀にベンガルから渡った王子によって開 かれたシンハラ王朝が、インドからパーク海峡を越えてやってくるタミール人 の攻撃を受けて、何度か遷都を強いられながらも、1815年英国に滅ぼされるま で綿々と続いたという説明でした。
 本当かなと思いましたが、ダッカに住む何人かのスリランカ人に尋ねたら皆そ う信じているそうです。
 ダッカから訪れた旅行者が気が付くのは、第一に人の少なさです。スリランカ の人口は二千万、首都コロンボは百万、国土はバングラデシュの三分の一余り ということですから当然ではあります。