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シンハラ語で話してみよう-4 

SAY IT IN SINHALA.png

本書のシンハラ語の発音記号最も近い英語の発音
au as in up
a:arfar
aeacat
ae:afan
a'aago
a':eaearth
eeend
e:aape
iiit
i:eefee
ooon
o:ooff
uuput
u:oopool
bbbit
cchchit
dththen
ddden
fffit
ggget
hhhit
jjjet
kkkit
lllet
mmmet
nnnet
nngking
pppit
rrrat
sssit
sshship
tththin
sshship
tththin
tttin
vv/wvest/west
yyyet

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シンハラ語で話してみよう-3 

SAY IT IN SINHALA.pngというわけで、

シンハラ語。大野晋がタミール語と日本語は似ている、日本語の起源はタミール語ではないか?と言っていますが、私はシンハラ語だって日本語と似ていると思ってます。

文法形態で言語というのは分類出来ません。S(主語)+V(動詞)+O(目的語)の英語をはじめとする西洋主要言語と、S(主語)+O(目的語)+V(動詞)の印欧語族でも、言語的な分類は同じ仲間。どこで、O(目的語)とV(動詞)がひっくりかえっちゃたのだろうね。まあ、いいですが。

それでも、いちいち日本語のS+O+Vを英語でS+V+Oと考え直すのよりは、インドの言語は日本人には習得しやすい。シンハラ語もインドの主要言語と同じS+O+V。

※厳密には違いますよ。インドにもS+V+Oの言語はあります。しかし、言語学、比較文化学の論文じゃありませんからお許し下さい。ただし、間違っている場合にはご指摘を。間違いを放置しておくのは恥ずかしいからね。

それでですね、何が学習本としてよろしいか、今回スリランカに行きましたので、いろいろ見てきました。

Teach Yourself SINHALESE - A complete Course for Beginners
by A.W.L.Silva


。。。買いましたけどね、シンハラ語の話す・聴くを修得したい私に、シンハラ語の文字はいらんでしょうが。タイ語の文字をまん丸くしたような文字なんですがね。シンハラ文字の読みを英語の発音で書いた後は、シンハラ文字で押し通そうとしてますよ、この本は。読み書きはいらないのだよ。ということで、ボツ。

SAY IT IN SINHALA by J.B.Disanayaka

その点、この本は良い!英語もシンプルです。

一番良いのが発音の表記。日本で英語の授業を受ける時、『e』の逆さまになったヤツとか、『ae』合体の文字なんて発音記号を習わされて、これじゃあ、もう一つ言語を習っているようなもんじゃないか?と私は思ったものです。あれで、喋るのがイヤになる日本人が何十万人いるんでしょうか?

ということで、

0. INTRODUCTION
1. WHY LEARN SINHALA?
2. NEW WORLD OF REALITY
3. SINHALA WITHOUT WORDS

は飛ばして、Chapter 4の"WRITING SINHALA IN ENGLISH"から説明してみましょう。

4. WRITING SINHALA IN ENGLISH
4.英語表記によるシンハラ語
この冊子では、シンハラ語は、英語のアルファベット、正確にはローマンスクリプトを多少変更したもので表記します。これらの変更は、英語のアクセントでシンハラ語の発音を表記するのを避けることを常に念頭に置いています。

いいじゃないですか。シンハラ文字で書かれた日には学習するのがイヤになりますからね。

伝統的な英語表記では、ひとつの文字はあるひとつの、或いは、いくつかの異なった発音を表しています。

例えば、"a"という文字は、少なくとも6つの異なった発音を表します。"all"、"apes"、"and"、"asses"、"are"、"away"などです。

ゲゲゲ!

"all"
"apes"
"and"
"asses"
"are"
"away"

パッと言われたら私には識別出来ません。カタカナで書いても識別出来ませんね。確かに口の形も違えば、短くきったり、伸ばしたり、いろいろ違いますね。ちなみに、"asses"と言うのは財産・資産という意味の"asset"の動詞形です。日本の発音記号だと、あの"e"の逆さまになった発音ですね。

この冊子では、それぞれの(英語のアルファベットの)文字は、ひとつ(の文字)がひとつの音(おん)を表すようにします。例えば、"a"は英単語の"up"、"cut"の母音を表します。

う~ん、親切だ。複雑なことを単純に、難しいことを簡単に教えるのが教師の役割。いいですねえ。

母音の後に続く":"(コロン)は、コロンなしの母音の2倍の長さで発音されることを表します。

ma-la = flower
ma:-la = neckless
pa-na = life
pa:-na = lamp

なるほどね。

シンハラ語で"ma-la"(マラ)は花ですが、"ma:-la"(マーラ)はネックレス。"pa-na"(パナ)は命が、"pa:-na"(パーナ)はランプ。

ふたつの同じ文字(発音記号)が続けて表記された時、それは明確に、二つの別の音節として発音されます。

ma-la = flower
mal-la = bag
e-ka = one
ek-ka = with

まあ、これは発音を飲み込めばいいのですよね。

"ma-la"=(マラ)
"mal-la"=(マルッラ)

ただし、「ルッ」はそれほど強調して発音するんではなく、下を丸める程度で発音すればよろしい。

"e-ka" = (エカ)(一、ひとつ)
"ek-ka" = (エッカ)(~と一緒に、共に)

も「ッカ」は日本語の「ッカ」よりも弱めに発音すればいい。

あ~、長い。

まだ、発音記号の話ですが、お次に続く。。。_| ̄|○

シンハラ語で話してみよう-2 

SAY IT IN SINHALA.pngそれで、

前の会社でシンガポールへの赴任者を募ったので、私以外誰がいるんだ?!ということで、他の人間にチャンスを与える機会を奪ったわけだ。他の人間も海外に行って人生が変わるよりも良かったであろう。海外恐怖症の人間も多かったからね。

シンガポールに行くと、シンガポール人は福建語・広東語などあまり話さず、英語で十分通じた。しかし、それでも、多少の福建語・広東語は単語程度は覚えた方が重宝したし、マレー語も必要であった。しょうがない。マレー語も多少覚えた。9年間をシンガポールで過ごした。

会社が突然帰国せよと命じてきた。

それは困る!娘の教育は日本では出来ない。なので、即辞表提出。香港に職を求め、かくて現在まで6年の香港暮らしである。

シンガポールとは違って、香港では広東語が多少必要。でも、他言語習得が非常に嫌いな私は英語で通してます。

あれ?

ついに、他言語の中に英語が含まれなくなったか。やれやれ。

それから、普通語(プートンファ)。北京語という中国の標準語ね。これまた、単語程度は覚えますが、それ以上の学習は拒否。英語で通している。それでも何とかなるもんだ。

と、

長い前置きだったが、私の語学へのマイナス20度の思いが判って頂けたと思う。

しかしながら、

ツラツラ思うに、娘がNZの大学に行ってしまったら、あまり香港にいる意味がない。娘の大学は2007年1月から2010年の年末まで。留年は一切許しません。大学院に行くというのなら考えますが。で、2008年6月には家族全員が香港の永住許可がおりる。そして、2008年8月は北京オリンピック、2010年は上海万博。世界のエネルギーも先が見えてきたし、中国の発展もいつまでも続くわけじゃない。

それならば、2008年6月を目処に徐々にスリランカに回帰することを考えねばならない。

え?日本?

やなこってす。

老人医療がものすごく高い日本なんて住めないね。スリランカなら賃貸住宅に住んでも、24時間看護のナースをつけて、メイドをつけて、20万円もあればお釣りが来ます。ドライバーだって雇えます。

ならば、

よいよいになった時に、スリランカの言葉で十分喋れないといけないじゃないか?

ということで、

スリランカの主要言語で、ヨメさんの民族の言葉、シンハラ語を修得しなければいけないと真面目に考え出したFRANK LLOYDでした。

あ~、長い。

シンハラ語で話してみよう-1 

SAY IT IN SINHALA.png私がはじめてスリランカに行ったのは1985年4月1日であった。その当時の私は27才。会社に入社して4年目。

言語と言えば、日本語はもちろん1級と自負し、英語はもちろん4級と自負していた。なにせ、中学・高校・大学と英語は相性が悪く、常に赤点であった。私の中学・高校は6年間一貫教育のミッションスクールで日本でも有数の進学校でもあった。

中学の時の赤点のボーダーラインは65点。高校になって、これじゃああんまりにも赤点のレベルが高すぎるだろうと、50点に引き下げられたが、私は常に62点とか48点程度しか取れず、中間テスト、期末テストの後の補習の常連であった。英語の教師はフランス系のカナダ人達であったが、彼らも私の発音の悪さにさじを投げた。

それ以来、語学というのは苦手である。今でも苦手である。家では英語しか喋らない環境にあるが他言語を話すというのは非常に苦痛である。海外に出て、国際結婚までして、足掛け21年経とうとしているが、なぜ、英語なんか話しているか理解しがたい。他言語の修得は大嫌いなのだ。

スリランカに5年ほど赴任し、娘がその間に生まれて、帰国命令が出た。やれやれ、やっと日本だ、もう、ヨメさん以外に英語を喋る必要もない、と安心した。

ところが、

ヨメさんも日本の生活に圧迫感があり、娘の将来の教育も考えなければいけない。私自身は多言語など修得するのはまっぴらなのだが、こと娘に関しては、誰がなんと言おうと日本語を教えるのもまっぴら、とこう思っていたのである。言語は文化を運ぶ。日本語を第一言語としたばかりに、日本化したガキに痛い目を見ている国際結婚仲間を見るにつけ、日本の学校、日本語の教育は絶対娘には受けさせない、とこう誓った。

『美しい日本と私』などウソなんである。というか、『美しい日本と私』を常に考えている文化人ばかりならそうであろうが、ミニスカートにパンツ丸出し(その当時はそういう風俗はなかったがそのかわり引きずるようなロングスカートが流行っていた)、高校生で喫煙しているガキを見るにつけ、日本語を教えたらいくら私が躾ようと、周囲の影響でこうなってしまう可能性があると危惧したのだ。

未だにその考えは変わらない。娘の前の学校の日本人の友人は3才から香港で教育を受け、英語はネイティブ並に出来る。しかし、第一言語は日本語である。14才の時には、既に日本のTV(日本からビデオなどが送られてくる)の影響なのか、日本の雑誌の影響なのか、はたまた日本人の友人の影響なのか、夏休みには処女喪失を目標として、それ以来3年間男あさりに余念がない。朝も顔を洗わず、勉強もせず、日本で言う汚ギャルと化している。グッチもじゃらじゃら持っている。私の頃はそういう女は公衆便所と称したものだが。大学もどうするんだろうね。

と、話がそれた。

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